[この本に学ぶ]
『生命のからくり』
中屋敷 均 著
講談社現代新書(2014年)
いったいどのような仕組みによって、単純な化合物から、現在の生物のような複雑な仕組みを持った「生命」を生み出すことが可能となったのか? その「からくり」を一般人にも分かりやすく解き明かそうとしたのが本書『生命のからくり』。その解は、専門家にとってもまだまだ不明な点がいっぱいあるが、本書では著者が確信する自説を柱に、それが一本の筋として語られていくため、「ふむふむ、なるほど」と、とても納得のゆく論がわかりやすく展開されていく。そのエッセンスはというと――。
本書の内容は……煎じ詰めると二文になる。一つは、生命であれ文明であれ、「発展する事象」の本質は、有用情報の漸進的な蓄積であるということ。そしてもう一つは、その漸進的な蓄積は、相反するベクトルを持つ二つの力の相克によって起こるということだ。この二つの要点と「生命とは何か」という問いとの関連性を中心に……本書は作られた。[P194]
著者は生命の本質を「情報システム」として捉え、そこで不可欠なのが、「情報の保存」と「情報の変革」という2つの機能を同時に成立させる「からくり」だという。コピーに喩えれば、前者はいわばデジタル・コピーで、情報のオリジナルとコピーが全く同じ状態を長く保つこと。後者はいわばアナログ・コピーで、オリジナルとコピーとが微妙に異なる状態が生み出されること。そして、この「微妙な違い」が実はとても大切で、それが漸進的に蓄積されることによって、「進化すること」「環境に適応すること」が実現されていく――というのが、著者が説く「からくり」の核心だ。
なかでも筆者(馬渕)が最も惹かれたのは、生命の本質を「相反するベクトルを持つ二つの力の相克によって起こる」ものとする考え方。この点への思い入れの強さは著者も同様のようで、それを象徴するかのように、著者は本書の最後を「陰陽二元論とDNA」という項で締めくくっている。
陰陽論では、世界を対立する二元「陰陽」に還元し、動・軽・剛・熱・明などの属性を持ち、能動的・攻撃的・昂進的状態に傾いているものを「陽」、静・重・柔・冷・暗などの属性を持ち、受動的・防衛的・沈静的状態に傾いているものを「陰」で表す。……このような陰陽論の世界観が、ここまで述べてきた「生命」を支えている情報システムの構造とよく符合しているのは、単なる偶然として良いのか、驚いてしまう。……生命の継続の基盤となる正確な情報の保存は、言うなれば「陰」の働きであり、そこに変異を与え情報を変革していくのは「陽」の力である。……この「陰」と「陽」の螺旋状の働きにより、生命の発展、すなわち進化が起こっていくと考えることができる。[P187-189]
そしてさらに、この「陰陽論」の正当性にダメを押すのが、『生命の起源』の著者であるフリーマン・ダイソンが、物質から生命が生まれてくる過程には、宇宙の持つ二つの側面、「荒々しさ」と「静けさ」が必要だったと語る次の言葉。
生命の原材料やエネルギーを手に入れるためには、爆発や隕石の衝突などの荒々しい出来事が必要だが、生命が自己組織化するためには、「静けさ」の状態が長く続く必要があり、この両方が交互に訪れることが生命を形成する上で大切だった。[P190]
「古池や蛙飛び込む水の音」。松尾芭蕉のこのあまりにも有名な句は、過去と現在、静寂と水の音、静止と動作、死と生といった「相反するベクトルを持つ二つの事象」を巧みに織り成すことによって、「いのち」の象徴としての蛙をしなやかに描き出している。
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」もまたそうだ。幾千年の昔から不動のままに存在し続ける堅固な「岩」。その岩に、成虫後わずかな期間で死を迎えるはかない蝉の声が、岩をも貫くほどの力をもっている降り注がれている。この静と動との対比のなかで、蝉の「いのち」が一円に響き渡る。
今日の企業社会における「組織」。その生命力もまた、同じ原理で盛衰を繰り返しているに違いない。細胞が、細胞膜のもつ選択的透過性によって、外に対して閉ざされると同時に開かれた世界を形成しながら「いのち」を維持しているのと同様に、「開く」と「閉じる」のダイナミックな最適バランスをそれぞれの企業がそれぞれに見つけ出していく――その「からくり」が大切だと思う。

序 章 生命の糸・DNA
- DNAの2つの特徴: ①ACGTという4種の異なった塩基が存在することにより「情報」を持つことができる、②塩基の「相補性」によりDNA分子自身のコピーを容易に作り出すことができる[16]
第1章 生命と非生命
- ブフネラ: 細胞内共生⇒遺伝子脱落[23]
- オルガネラの細胞内共生説: 葉緑体やミトコンドリアももともとは独立した生物?[26]
- マメ科植物根粒菌: 根粒の中で菌と共生することで窒素固定を行っている。[30]
- 細胞膜構造: 一般の生物は、細胞膜構造により、自分の細胞の中と外で、さまざまな物質の「濃度の違い」を作っている。細胞膜を持つことは「生きている」ことの基盤としてきわめて大切な要素。[39]
- 他の生きている生物に依存しているか、独立しているかは、「生きている」ことと直接的には関係がない。[46]
第2章 情報の保存と絶え間なき変革
- 情報の保存: 同じことを再現できるシステムの成立、これこそが「生命」という現象を成立させている1つ目の決定的な条件。[58]
- 累積淘汰: 自然淘汰の漸進的な積み重ね(リチャード・ドーキンス)[59]
- 情報の変革: 「生命」に決定的に重要な二つ目の要素。「進化すること」あるいは「環境に適応すること」の原動力[60]
- ダーウィンの進化論: ①生物には変異が起こり、それが親から子へと伝わっていくこと。②より環境に適応した個体が、ほかよりも多くの子孫を残していくこと(自然淘汰)[61]
- ネオダーウィニズム: ランダムな変異から生まれた子孫のうち、より環境に適応したものがたまたまできれば、それが多くの子孫を残していき、優占的に広がっていくため、結果的に「進化」したように見えたり、「適応」したように見える[61]
- DNAの変異: 多様性に富んだ子孫を作るという難題を、DNAは、①長さの変化、②塩基の種類の変化という、シンプルな方法で解決している。[62]
- DNA上の情報をタンパク質へ翻訳するという機能により、「変異の増幅」が可能[67]
- 「生命」には今を維持しようとする力と、それを変えようとする力という、2つの矛盾した力が内包されており、そのいずれもが「生命」を成り立たせる上で必須のもの。[69]
- セル・オートマトン: クラスⅠ(定常的)/クラスⅡ(周期的)/クラスⅢ(カオスの縁)/クラスⅣ(カオス)[70]
- カオスの縁: カオスの縁では、秩序と偶発性が適度に混じった状態で存在し、小さな創生と破壊が繰り返されることにより、予想だもしないようなさまざまな多様性(複雑性)が生まれる。忠実な遺伝子の複製が続くところに、少しずつ変異率を上昇させていくと、どこかの時点で自己の複製が維持できなくなり、カオスの状態へと相転移を起こす点があるはず。しかし、生命はそのギリギリ前の「カオスの縁」に留まる変異率を維持することで、複雑な進化や適応を可能としてきたと考えられる。[73]
第3章 不敗の戦略
- 不均衡進化論: 連続鎖と不連続鎖における合成様式の差が、遺伝子の突然変異率に差を生む。この差こそが進化の原動力。古澤満。[81]
- 元本保証された多様性の創出: 常に継続した生命の存続を担保しながら、変異によってできた新たな遺伝子型を次々と試すことが可能に。[87]
- ゲノムの倍数化: ゲノムとは「生命をその生物たらしめるに必須な最小限の染色体セット」であり、理屈の上では1セットあれば事足りる。が、高等生物では2セット持つのが一般的。一方の遺伝子で元本を保証し、もう一方で変異を作り出すことが可能。[89]
- 有性生殖: 有性生殖における「性の2倍のコスト」。それだけのコストをかけても、安定して変異を作り出せることがメリット。[90]
- 不敗の戦略: 一部を「今」の継続に使い、残りを「未来」への投資へと使うような性質が、安定した進化とともに、結果として進化程度の異なるさまざまな生物をこの地球上で共存させることにつながっているのではないか。[103]
第4章 幸運を蓄積する「生命」という情報システム
- 1/fゆらぎ: 「例外」を内包する規則性が生むパターン。ノイズが存在することで、より大きな全体の調和が生まれる。[108]
- 歴史の偶発性: スティーブン・グールド『ワンダフル・ライフ』「最もよく適応した者が生き延びたのではなく、最も幸運なモノが生き延びた」。隕石の衝突など、何が起こるか予測できない偶発的な外的環境の変化に対応するためには、生物側も偶然に依拠したエラーにより明確な目的のない多種多様な変異を作り出しておくという戦略が、生き残りのために実は最も効果的であったのかもしれない。[110]
- ダーウィン進化: 情報の保存と変革ベクトルが繰り返し作用することにより、有用情報が蓄積されていくサイクル[112]
- 淘汰: 「情報の保存」過程における、「情報の安定度の差」による選抜。「淘汰」は、「情報の保存」と「情報の変革」という一見、逆方向に見えるベクトルの見事な融合によって具現化している。[113]
- 試行錯誤による成功経験の蓄積: 無数の「偶然」から「幸運」を選んでは、自動的に蓄積するシステム。そして、それを途方もない時間、延々と繰り返し続けるシステム。そんな魔法のような情報システムが発展しないはずはない、そして、これこそが太古から現在まで脈々と受け継がれ、地球上のあらゆる環境に適応し、次々と姿を変えてゆく「生命」という現象を可能としたからくりの心臓部であろう。[115]
- 脳情報: 人間の「生」においては、子孫に受け継がれる「DNA情報」だけが重要なのではなく、脳細胞のシナプスの連結パターンのような「脳情報」が個体の認識のうえで非常に重要な位置を占めている。[119]
- 「生命」の本質: 「情報の保持」と「情報の変革」を繰り返し、新たな有用情報を蓄積していく現象、それがいかなる環境下においても継続していくことが唯一大切なのではないか。個体や種というのは、その継続を強固にするために「生命」が環境に応じて編み出したバリエーションにすぎない。それらを通じて継続する現象こそが「生命」の本質である。[124]
- 生命とは: 生物の本質を「情報システム」と捉えるなら、究極的には塩基の並びによる情報と相補性による複製が決定的な2要素である。すなわち生命とは、核酸という物質的装置により「幸運を蓄積する」情報のサイクルを展開することが可能となった存在といえるのではないか。[125]
第5章 生命における情報とはなにか
- 結晶化: 自由に動ける原子や分子が、自発的に一定の規則に収まって秩序を形成していくようにも見える不思議な現象[130]
- 生命現象における情報としての「形」: DNAにおいても、すでに存在する「分子の形」が、新たに生成される「分子の形」に影響を与える。[135]
- 情報と影響度(IF): 「情報」というものは本来、単独で存在しても意味がなく、受け手があって初めて成立する。他に影響を与える量がその情報の持つ価値である。[143]
- 自己組織化: 無秩序から形を作っていく「生命」という現象の一つの特徴。この世の形あるものは、必ずしも何らかの「設計図」により作られているのではなく、「分子の形」そのものが設計図であり、一定の環境さえ与えられれば、特定の形に自然に組みあがるようなことが起こり得る。[146]
- 情報がソースからシンクへと一方的に流れるのではなく、ソースもシンクとなり新たに生成される際に他から影響を受けて変化し得る仕組みが成立している。生命の特性は、このような作用力が両方向に働く装置を中心に置くことで発生しているのではないか。[151]
第6章 生命と文明
- 遺伝情報と脳情報: 人間の持つ情報は、DNAによる「遺伝情報」と脳細胞のネットワークからなる「脳情報」に区分できる(カール・セーガン)。「巨人の肩の上に立つ」。ハードウェアとしての「脳」そのものよりも、ソフトウェア的な情報システムの成立と成熟が人間を他の生物から区分できる存在にしたのではないか。「脳情報」の蓄積様式は、生物進化におけるDNA等による「遺伝情報」のそれと驚くほど類似している。[160]
- 科学の発展が生物進化よりも圧倒的にスピードが速いのは、変異の創出を偶発的なエラーのみに頼るのではなく、自ら積極的に創作して試していくところにあると思う。[168]
- 類似した情報蓄積の様式をもつ「生命」と「文明」に共通する重要な特徴は、発展・展開していく現象ということであり、何より特筆すべきは、それらがそれまでにはなかった「新しいもの」を作り出す能力をもっていることである。[169]
- 偶発的なエラー: 偶発的なエラーは多くの「無駄」を含むものの、人の計りを超えた「幅」をもっており、それが時に大きな「幸運」をもたらす。「過ち」。[172]
- 非調和性: 細胞を維持する遺伝子発現は、多くの因子が相互作用し、周囲の状況からフィードバックを受け、適切に制御されている巨大ネットワークである。お互いがお互いの顔色を窺いながら、全体としてうまくいくように調和をめざすシステムといえる。しかしトランスポゾンは、そういった調和的な遺伝子ネットワークから独立しており、他人の都合などまったくお構いなく転移を繰り返す。しかし、そんな身勝手な因子が、結果として、ヒトゲノムの非常に重要な構成要素となっている。[174]
- 相反するベクトルの相克: 伝統を守りながら変革を取り入れることで、多くの文化や芸術が発展してきた。しかし、保守が過ぎると「熱」を失いマンネリに、そして革新が過ぎるとカオスとなっていく――もしそのような事物を発展させる理があるのなら、DNAを代表とする核酸にはそのサイクルを展開できる仕組みが、その分子構造に由来して元来のものとして備わっているということ。[180]
終 章 絡み合う「二本の鎖」
- 陰陽論: 動・軽・剛・熱・明などの属性を持ち、能動的・攻撃的・昂進的状態に傾いているものを「陽」、静・重・柔・冷・暗などの属性を持ち、受動的・防衛的・沈静的状態に傾いているものを「陰」で表す。善悪二元論とは根本的に異なる。[187]
- 太極図: 「陽極まれば陰となし陰きわまれば陽となす」。[187]
- 陰陽二元論とDNA: 生命の継続の基盤となる正確な情報の保存は「陰」の働きであり、そこに変異を与え情報を変革していくのは「陽」の力である。この「陰」と「陽」の螺旋上の働きにより、生命の発展、すなわち進化が起こっていくと考えられる。[188]
- フリーマン・ダイソン『生命の起源』: 物質から生命が生まれてくる過程には、宇宙の持つ2つの側面、「荒々しさ」と「静けさ」が必要だった。生命の原材料やエネルギーを手に入れるためには、爆発や隕石の衝突などの荒々しい出来事が必要だが、生命が自己組織化するためには、「静けさ」の状態が続く必要があり、この両方が交互に訪れることが生命を形成する上で大切だった。[190]