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『自己組織化と進化の理論――宇宙を貫く複雑系の法則』
スチュアート・カウフマン 著
ちくま学芸文庫(2008年)
「自己組織化」とは、例えば、雪の結晶がとても美しい六角形をしているように、秩序や構造が自然にできあがる現象のこと。本書は、その第一人者であるスチュアート・カウフマン(1939-)が、「自己組織化」の論理に基づいて生物の進化、さらには技術や経済・社会の進化をあざやかに読み解いていく大著。副題の「宇宙を貫く複雑系の法則」は、この「自己組織化」が、生物・非生物を問わず、あらゆるものの在り方に貫かれているとする著者の考えを示している。
「自己組織化」の論理によって、まず大ナタが振られるのはダーウィンの進化論。ダーウィンの進化論は、進化は「ランダムな突然変異と自然淘汰による選別」によって為されたとするが、カウフマンはこれを明確に否認。生命とその進化は、自己組織化によって生み出される自発的秩序と自然淘汰がたがいに受け入れあうことによって成り立ってきたのだと主張する。
秩序は(ダーウィンが言うような:評者注)偶然の産物などではまったくない…自然界の秩序の多くは、複雑さの法則により、自発的に形成されたものである。自然淘汰がさらに形を整えて洗練させるという役割を果たすは、もっとあとになってからのことなのだ。[P23]
そしてさらにカウフマンの大ナタは、生物から技術、経済・社会へと広がっていく。これら「非生物の進化」の背景にも同様に「自己組織化」の法則が働いているとするのがその主張だが、このことを象徴的に示すものとしてカウフマンは「民主主義」を挙げ、その進化にも期待を寄せる。
本書では、現実的、政治的、そして倫理的な利害関係が拮抗するとき、達成可能な最良の妥協点をみつけるためのおそらく最適なメカニズムとして民主主義が進化してきたことを、私や仲間たちで研究している複雑さの法則によって示唆できることを証明したいのである。[P18]
上記引用にある「最良の妥協点」も自己組織化の論理のカギとなる概念だ。「最良の妥協点」。それは、秩序とカオスの境界にある「カオスの縁」と呼ばれる場所にある。
単一の細胞から経済システムまで、生物圏におけるすべの複雑適応系は、秩序とカオスの境界にある自然な状態に向かって、あるいは、構造あるものと予期せぬものとの間のおおいなる妥協点に向かって進化していくのではないかと私は考えている。…それは、生き残るために競い合ったり協力し合ったりする、個々の役者の小さな最善の選択の結果として生ずるのである。われわれはみな最善を尽くすのだが、その最善と思われる努力の予期せざる結果として、最終的には舞台から追い出されてしまう。…われわれは太陽のもとで、自分たちのための場所を見つける。「カオスの縁」でつり合いを保ち、太陽の輝きによって支えられた場所である。[P36]
私たち生物は、太陽に近すぎず、遠すぎずの距離にある地球の表面という相転移点=カオスの縁に生を得た。中でも、海から陸への相転移点にあたる干潟というカオスの縁は“生命の宝庫”と呼ばれている。「生命はカオスの縁に存在する」のである。
考えてみれば、私たちの身体だってそうだ。身体は、皮膚という境界によって外界から遮断されているものの、食物の摂取/排泄、吸気/呼気など、外界との間でやりとりをすることによって維持されている。つまり、閉じているようで開いている、開いているようで閉じている、という状態で生を営んでいるのだ。
会社などの組織もそうだ。組織が健全な状態を保ち続けるためには、その身を秩序とカオスの間に置く必要がある。まったくのカオス状態では、組織が組織としてまともに機能しない。かといってガチガチの秩序の下では、メンバーはやる気をそがれ、主体性を失い、組織はやがて死んでいく。だから組織は、「適度に閉じた系」であるとともに「適度に開いた系」として経営される必要がある――組織にあってもやはり、「生命はカオスの縁に存在する」のである。
カウフマンらが唱える「自己組織化」の論理に対しては、現在もなお評価を控える論者は多い。が、この“宇宙を貫く法則”の応用は今日、化学や製造業、脳科学や医学、経済・経営・社会学などさまざま分野へと広がりを見せている。なかでも『ティール組織』に代表される近時の組織論や、先進的経営を実践する組織の多くは、この「自己組織化」の考え方を積極的に採り入れ、従来の組織にはなかったまったく新しい地平を拓きつつある。
「組織」という生命もまた、柔軟性に富み、多様な在り方を許容する、カオスの縁に向かって進化を続けていくに違いない。

※末尾の[頁]は、ちくま学芸文庫版ではなく、単行本(日本経済新聞社/1999年)のものを示しています。
第1章 宇宙に浮かぶわが家で -自己組織化と自然淘汰が生物世界の秩序を生んだ
- 最良の妥協点: 本書では、現実的、政治的、そして倫理的な利害関係が拮抗するとき、達成可能な最良の妥協点をみつけるための最適なメカニズムとして民主主義が進化してきたことを証明したい。われわれは、聖なるものを、そしてわれわれ自身の深い価値観の感覚を復活させなければならない。そしてそれを再び新しい文明の中核に置かなければならない。[18]
- ダーウィンの進化論: ランダムな突然変異と自然淘汰による選別。これが基礎であり核心である。[22]
- 自発的秩序: 自然界の秩序の多くは、複雑さの法則により自発的に形成されたもの。自然淘汰がさらに形を整えて洗練させるという役割を果たすのは、もっとあとになってからのこと。[23]
- 生命とその進化: 生命とその進化はつねに、自発的秩序と自然淘汰が互いに受け入れ合うことによって成り立ってきたのである。[25]
- 秩序: 熱力学の第二法則の帰結として、「閉じた系」において秩序は消えていく傾向をもつことになる。秩序が維持されるためには、何らかの形で外部から仕事がなされなければならない。この仕事がないと秩序は消え去る。秩序がばらばらに崩壊するのは自然のなりゆきである。[25]
- カンブリア紀の大爆発: ダーウィンは、有効な変化がきわめて少しずつ積み重なっていくことによって進化が起きたと主張した。が、この考えは間違っていることが明らかになった。カンブリア紀の大爆発の特徴は、進化の図表が上から下へに向かって埋められていったことにある。「門」が多数生まれることにより、自然は急激に前進した。そして、この基本的なデザインがより精密化されることにより、網、目、科、属が形成されていった。[32]
- 最適化: 生物や人工物における互いに相容れない設計基準は、非常に難しい「最適化」の問題を提起する。最適化問題の目的は最適な妥協点を見つけることだが、それを解くのは離れ技がいる。人工物や文化形態の進化にも、生物進化と響き合うエコーのようなものを見つけられるであろう。[34]
- 雪崩現象: 生命の突発的な出現や消滅は、天候の激変やその他の外部的な大変動に伴って起こるとはかぎらない。むしろ、種の社会の自発的なダイナミクスを非常に反映しているように見える。自己組織的であり、集団創発現象であり、複雑さの法則の自然な現れであるようにみえる。[35]
- カオスの縁: 単一の細胞から経済システムまで、生物圏におけるすべの複雑適応系は、秩序とカオスの境界にある自然な状態に向かって、あるいは、構造あるものと予期せぬものとの間の「おおいなる妥協点」に向かって進化していくのではないかと私は考えている。[36]
- 創発的な秩序の理論: 成長の際に見られる秩序は強靭であり、創発的であり、自発的な構造が集団的に「結晶化」した構造といえる。そしてその秩序の起源や性質が、個々の詳細とは独立に説明されることが期待される。[42]
- 宇宙: 宇宙が進化するのは、究極的には、宇宙が平衡状態にないことの自然な表れではないのか。[44]
- 秩序が生まれる際の2つの代表的な形式: ①低いエネルギーもつ平衡状態、②秩序化された構造を維持するために、質量あるいはエネルギー、またはその両方の供給が必要な非平衡状態。散逸構造。[45]
- 創発理論の探求: われわれがここで求めているのは、不必要な詳細予測ではなく、その説明。その一般的な形を予測し説明するための強力な法則を明らかにすることなのである。[50]
- 創発理論: われわれは、圧倒的倍率を勝ち抜くことによって生じた存在ではない。宇宙の中にしかるべき居場所をもつ存在であり、生じるべくして生じた存在である。創発=全体は部分の総和以上のものである。私は生命自身が、創発した現象だと信じている。[51]
- 生命: 生命は部分の上に成り立つものではなく、部分が作り出す全体の集団的・創発的性質の上に成り立つものとなる。集団的な系には、そのどの部分にも存在しない驚くべき性質が存在する。自己を複製することができるし、進化することもできる。集団の系は生きているのである。各部分は単なる化学物質だというのに。[52]
- 無償の秩序: 個体発生でみられる美しい秩序のほとんどは、驚くべき自己組織化の自然な表現として、自発的に生ずるものである。[53]
- 自発的秩序: 本書では、生物における秩序の多くは、自然淘汰の結果などではなく、自己組織化された自発的秩序であると提案する。それは打ち寄せるエントロピーの波と闘って得たものではなく、壮大かつ生成力をもったものである。しかも無償で利用できるものであり、次々と起こる生物のあらゆる進化を支えるものである。生物の秩序はあたり前のものであって、自然淘汰によって勝ち取られた思いもよらぬ偶然の産物ではない。[54]
- 作業仮説: 「生命は多くの場合、カオスと秩序の間で平衡を保たれた状態に向かって進化する」「生命は<カオスの縁>に存在する」「生命は相転移点付近に存在する」。カオスの縁―秩序と意外性の妥協点―の近辺にあるネットワークが、複雑な諸活動を最も調和的に働かすことができるし、また進化する能力を最も兼ね備えている。[55]
- 共進化: カオスの縁のイメージは、共進化にも現れる。おのおのの種は自己の利益のために活動しているにすぎないのに、系全体としては、まるで「見えざる手」にあやつられているかのように振る舞う。「技術の進化」もまたしかり。[57]
- 民主主義の論理: 最良の妥協は秩序とカオスの間の相転移点においてなされる。民主主義は、複雑に進化する社会において複雑な問題を解決するための、そして共進化的な適応地形のピークを見つけるための、断然優れた方法なのである。[59]
- 自己組織化臨界現象: 砂山の雪崩。同じ大きさの砂粒が、小さな雪崩も、大きな雪崩も引き起こせる。雪崩の大小をあらかじめ知ることはできない。[60]
第2章 生命の起源 ―単純な確率論からいえば生命の誕生はありえなかった
- 無償の秩序: 科学物質の集合が十分な種類の分子を含んでいるときには、そのスープから物質代謝が必ず現れる。ネットワークは原始スープの中から、十分に成長した形で自己組織的に生じることができる。この私の考えが正しければ、生命の標語は、「われわれは生じそうもなかったものである」から「われわれは生じるべくして生じたものである」に書き換えられることになる。[90]
第3章 生じるべくして生じたもの -非平衡系で自己触媒活動をもつ分子の集団
- 生じるべくして生じたもの: 私の同僚のほとんどは、生命は単純な形で現れ、そのあとで複雑になっていったのだと信じている。裸のRNAが複製に複製を重ねる中で、ついには生きた細胞内にみられる複雑な化学装置のすべてと出会い、それをあつめていったのだと彼らは想像する。しかし私はこれとは異なる見解をもっている。読者にはぜひ納得してほしい。化学スープの中で分子の種類の数がある閾値を超えると、自己を維持する反応のネットワーク(自己触媒的な物質代謝)が、突然生ずるであろうことを。私は主張する。生命は単純な形ではなく、複雑で全体的な形をもって現れた。そしてそれ以来、複雑で全体的なままであるのだ、と。この生命の出現は、生気のない分子から組織への、単純で深遠な変換によるものである。この組織の中では、おのおのの分子の形成に対して、組織内の他の分子が触媒として働く。生命の秘密、複製の源は、美しいワトソン―クリックの対形成に見いだされるのではなく、集団的に触媒作用を営む閉じた集団に見いだされるのである。その核心は二重らせんよりも深遠で、化学そのもの基づいたものである。したがって、複雑である全体的な生命、創発的である生命は、別の意味で結局単純であり、われわれが住む世界から生じた自然な結果だということになる。[92]
- 生命のネットワーク: 生命は、その核心において、ワトソンークリックの塩基対形成という魔法とか、何か特別の鋳型複製機構には依存しないと私は考えている。生命の本質は、分子種の集合間の一連の閉じた触媒作用の性質に見いだされる。単独では、それぞれの分子種に生気は存在しない。連携によって、それらの間に閉じた触媒作用がひとたび形成されれば、集団的な分子の系は生命を持つことになるのである。[96]
- あなたの体の中の各細胞、自由生活を営むすべての細胞は、集団的な自己触媒作用を営む、自由生活を営む生物内において、DNA分子は単独では複製を行わない。DNAは、細胞内の反応と酵素の複雑なネットワーク、つまり集団的に自己触媒作用を営むこのネットワークの一部となったときに、はじめて複製を行うのである。細胞は総合的存在であり、その起源は確かに不可思議ではあるが、神秘主義的なものではない。[96]
- 開いた熱力学系: 生きたシステムはいずれも「食べる」ことが不可欠である。「開いた熱力学系」と呼べる系なのである。[97]
- 非平衡化学システム: 非平衡化学システムはどんなに単純なものでも、化学物質の濃度が空間的・時間的に変化するような、非常に複雑なパターンを形成することができる。「散逸構造」あるいは「散逸系」と呼ばれるこれらの系は、その構造を維持するために、システムは物質とエネルギーを散逸し続けている。[101]
- おもちゃの問題: ランダムグラフにおいて、糸とボタンとの比が0.5を超えると、相転移転が生ずる。この点において「巨大なクラスター」が突然現れる。ジグモイド曲線が垂直的に上昇する。私はこの相違点が、生命の起源を導いたのだと信じている。[106]
- 結晶化: 化学反応系において、十分多くの反応が触媒作用を受けると、触媒された反応の非常に大きな織物が「結晶化」する。こうした織物は、ほぼ確実に自己触媒的であることがわかる。そして、ほぼ確実に自己維持的である。生きているのである。[108]
第4章 無償の秩序 -自然に生じた自己組織化は進化する力をもっていた
- 無償の秩序: 集団的な自己触媒作用の起源、生命そのものの起源は、私が「無償の秩序」と呼ぶもの――自然に生じた自己組織化――のおかげで存在した。「われわれは生ずるべくして生じたものである」。[133]
- 変異と進化: バグリとファーマーは、そうした系の中で変異と進化が起こりうる自然な方法を発見した。自己触媒のネットワークがせっせと自分の務めを果たしている間にも、ランダムで触媒作業をうけていない化学反応が時として起こる。これらの自発的なゆらぎは、セットの要素ではない分子を生む傾向を持つ。例えば、自己触媒セットを取り巻く化学的な霞のようなものである。これらの新しい分子種のうちのいくつかを内部に吸収することにより、セットは変化するであろう。[134]
- 共進化: 物質代謝を行う生命だけが、全体的に、そして複雑なものとして生じたのではない。我々が生態系としてみなすような、相利共生や競争の一揃いすべてが、非常に初期の段階から生じていた。こうしたあらゆるスケールでの生態系の物語は、単なる進化の話ではなく、共進化の物語なのである。[136]
- 恒常性: 小さな秩序アトラクター、恒常性、そして優雅な安定性といったものも、無償の秩序が与えてくれた。[146]
- カオスの縁: 複雑適応系はカオスの縁に向かって進化する[171]
- 系は、自分自身を小さなアトラクターに「押し込めて」いる。このように状態空間の微小な体積の中に自分を押し込めることが、究極的に秩序を構成している(=「無償の秩序」)。しかし、それは熱力学的には「無償」ではない。状態空間の小さな領域に系が自分を押し込めることの代償は、環境に熱を捨て去ることによって、熱力学的に「支払われている」のである。[172]
第5章 個体発生の神秘 -一個の卵から生物体ができる「法則」は何か
- 個体発生における2つの基本的な過程=「細胞の分化」と「形態発生」。[177]
- 基本的には生物の全細胞に染色体の全数が含まれている。細胞がそれぞれ異なっているのは、活性化される遺伝子が違うため。[178]
第6章 ノアの箱舟 -生物の多様性は臨界点の境界への進化から生まれた
- 正確で非神秘主義的な意味において、生物は全体として自己触媒的集合体であり、そして――原子核の連鎖反応にいくぶん似ているが――全体として臨界点を超えており、われわれが目にする有機分子の爆発的な多様性を触媒作用によって生み出しているであろう。[213]
- 生物学的爆発: 触媒反応の確率が十分に高いか、素材分子の種類の多様性が十分に大きいか、あるいはその両方が実現されている場合には、系は臨界点を超えており、新しい種類の分子を爆発的に生成し、次々と新しい種類の分子の形成を促進する。[218]
- 超臨界性: 超臨界性こそが生物圏における分子の多様性の究極の源泉となるが、それはまた最も深遠な危険性を生じさせるものでもある。もし生物圏が臨界点を超えているならば、どのようにして細胞は、超臨界性に伴う分子的カオスから身を守るのか? 細胞が現在、臨界点の手前であり、これまでもずっと臨界点の手前であった、というのが答えであろう。[224]
- 細胞はそれ自体ではおのおの臨界点に達していないが、それらが相互作用することによってできた集合体は全体として臨界点を超えているため、分子の多様性はゆっくり増大し、ちょうど境界線上に達する。「細胞の集合体が臨界点の前後を分ける境界線に向かって進化する」。[231]
- 局所的な生態系は臨界点の前後を分ける境界に進化し、その境界線上でその後ずっと釣り合っており、境界点の手前なら移入と種形成によって押し上げられ、臨界点の先なら絶滅によって押し下げられ、その均衡が保たれると考えられる。[235]
- つり合った生態系は、手に負えない大爆発ではなく、分子の多様性が制御された形で生成されていく方向に向かう。細胞膜は、たくさんの分子の相互作用を防げ、それゆえに超臨界的な爆発を防げるのである。これはちょうど、反応炉の中の炭素棒が中性子を吸収し、それによって、中性子と原子核との衝突回数をおさえ、超臨界的な連鎖反応を防げる仕組みと原理は同じである。[236]
第7章 約束の地 -分子の自己組織化を応用すれば新しい薬をつくることができる
- 応用分子進化とランダム化学: 医学的に非常に重要となる可能性を秘めた2つの分野、応用分子進化とランダム化学。その理論は、ランダムに選んだタンパク質がランダムに選んだ反応を促進するという確率のモデルに基づいている。[269]
第8章 高地への冒険 -生物や生物集団はより適した地位へと進化していく
- 自然淘汰の限界: 自然淘汰は二重の限界に遭遇することになる。非常にでこぼこした適応地形の場合には、個体群は局所的な領域にとらえられ、閉じ込められる。一方、なめらかな適応地形図の上では、個体群はエラーによる崩壊をこうむり、ピークから流れ出してしまって、遺伝子型は、あまり適したものにならない。[332]
- 進化可能性: 「自己組織化は進化可能性にとって必要条件であり、自然淘汰から恩恵をこうむることができるような構造をつくり出す」。自己組織化は、徐々に進化することができる頑強な構造をつくり出す。というのは、自発的秩序、頑強さ、冗長性、漸進主義、相関のある適応地形の間には、必然的な関係があるからである。[339]
第9章 生物と人工物 -技術や経済や社会もより適した地位をめざして進化する
- 生物と人工物の間の類似点: でこぼこの、しかもそのでこぼこの間に相関のある適応地形には2つの特徴がある。①[カンブリア型の多様化パターン]根本的に新しいものが生まれると、それらは数多くのまとまった異なる方向に、急速にしかも劇的に改善されていく。そしてその後、あまり劇的でない改良がつけ加わっていく。②[学習曲線的特性パターン]ある改良が加わると、その次の改良の選択肢が一定の割合で減る。[345]
- カンブリア紀大爆発: 種の多様化のほとんどが最初に猛スピードで進行し、その後緩やかに進んでいく。カンブリア紀には分類表の上から下へ種が発生し、二畳紀では下から上へ発生していったが、どちらの場合も最大規模の多様化は初期の段階で起きており、そのあとでよりおだやかな生物進化の実験が繰り返された。[356]
- 盲目の時計職人: われわれ人間は考えることができる。生物の進化は考えることはできない。しかし問題が非常にむつかしければ、そもそも考えること自体たいした助けにはならない。われわれはすべて、程度の差こそあれ、盲目の時計職人なのである。[360]
第10章 舞台でのひととき -生物集団は互いに影響し合って進化し、絶滅していく
- 見えざる手: 淘汰は集団のレベルには作用しない。即ち、競合する集団の中から適応度の高い集団を選び出すといった働きはしない。同様に、種全体や生態系全体に対しても自然淘汰が作用することはない。だとすると、生物群集や生態系、共進化システム、あるいは共進化自体の進化の中に現れる創発的秩序は、目に見えない振付師(=見えざる手)が残した作品ということになる。[373]
- べき乗則分布: 秩序状態とカオス状態の間の相転移領域では、雪崩現象はほとんどべき乗則に従った分布になっており、たくさんの小さな雪崩と数少ない大きな雪崩が、変化の合図をシステム全体にわたって送り続ける。[380]
- 自己組織化臨界現象: システムは見えざる手を使うかのようにして自らを調整し、砂山の角度を崩れる寸前のところまでもっていき、上から砂が永遠に降り注いできても、そこでそのまま均衡を保つのである。[417]
第11章 優秀さを求めて -民主主義の正当性も自己組織化の論理で説明が可能
- 「われわれは経済活動の組織(パッケージ)を新しい小組織(ユニット)に移し変えている。上意下達方式の中央集権的な組織モデルはもう古い。組織はますます平になり、より分散化していくのである」。より分散化した組織――ビジネス組織、政治組織、その他の組織――のほうが柔軟で総合的競争力が高いのはなぜか?[430]
- 変化する適応地形: 意図をもって行動するとしても、われわれは盲目の時計職人以上のものにはなれない。われわれはみな、細胞にしても会社の社長にしても、変化を続ける適応地形を目をつぶったまま登っているだけなのである。そうだとすれば、他の組織が作る適当な場所(ニッチ)で生活をしている組織――細胞、生物、ビジネス、政治、その他――が直面する問題は、主として、変化し続ける適応地形の上でどのように進化し、移動する適応度の山をどのように追いかけるべきかというものである。変化する適応地形の上で山を追いかけることが、生き残るための中心課題なのである。[433]
- 秩序領域では系全体がそれぞれあまり満足のいかない妥協をし、カオス領域では妥協に至ることがなく、相転移領域でみんなにとってかなりよい解決策が見つかる。[434]
- 部分組織: 矛盾だらけの問題全体を、適切に選んだ部分組織に分けると、その共進化システムは秩序とカオスの間の相転移領域に位置し、かなりよい答えを素早く見つけることになる。「部分組織」は、われわれが社会システムやその他のシステムで、非常にむつかしい問題を解くために進化させてきた基本プロセスなのかもしれない。[444]
- 部分組織(2): 生産ラインを少数の生産ステップからなる「部分組織」に分割し、その部分組織内で最適化を行わせ、さらに部分組織間で共進化を進め、そして優れた全体的な仕事をすばやく達成することができると考えている。複雑な問題が正しい大きさの部分組織に上手に分けられれば、実りの多い妥協案に急速に到達させることが可能となるからだ。[461]
- 民主主義: トマス・アクィナスは自己矛盾のない道徳体系を見つけようとした。カントも同じことを探し、有名な「その行動原理が普遍化されるよう行動せよ」という言葉を残した。が、複数の「よい」目標がたがいに矛盾しないなんて、誰も保証できない。われわれは矛盾だらけの世界に必死に暮らし、それを作っていくのである。政治機構は、適切な妥協点をみつける方法を身につけるよう進化していかなければならない。民主主義は、こうした優れた妥協点を引き出すシステムとして活かされるべき。[468]
第12章 地球文明の出現 -生態系・技術・経済・社会・宇宙を貫く自己組織化の論理
- オートポイエーシス: カントは生物のことをオートポイエーシス的統一体とみなし、そこでは「各部分が全体のために全体のちからを借りて存在し、また全体も部分の力を借りて部分のために存在している」と考えた。[476]
- 錬金術; 機能は記号の羅列であり、記号列は別の記号列に作用することによって、新たな記号列を生む――ウォルター・フォンタナはそんなアルゴリズムの化学スープを作りたいと考え、それを「アルゴリズム的化学」あるいは「錬金術」と呼んだ。[482]
- 技術の共進化: 技術網は、新しい商品がそれよりもさらに新しい商品に対してニッチを提供するという形で拡大していく。われわれの用いたモデルはニッチを生み出すモデルと言える。臨界状態を超えた化学系の分子の爆発的多様化、またはカンブリア紀の種の爆発、あるいは今日われわれのまわりで起きている人工物の爆発的多様化は、どれもすべて多様化を促す方向に進行し、これらの過程が次々と新しいものにニッチを提供していくことで複雑さを増す方向に保たれている。分子、生物、経済行為、文化形態などの多様化と複雑化を推し進めるためには、自己触媒反応してニッチを作る基本法則を理解することが必要である。[493]
- 地球文明: われわれの社会生活のさまざまな要素がどのようにつながりあって、要素間で相互作用したり変換し合ったりする網目構造ができあがるのか、ということに関する理論がまだない。われわれはこの要素の変動を「歴史」という。文化や経済など分野で、ある法則に従ったパターンがあることを学んできたが、歴史にもこのようなパターンが存在するのだろうか。[518]