ダイアローグ190409

“存在の歌”が踏みにじられている


[この本に学ぶ]
レナード・バーンスタイン ザ・ラスト・ロング・インタビュー
ジョナサン・コット 著
アルファベータ(2013年) 


カラヤンと並び称される、20世紀後半のクラシック音楽界をリードした音楽家、レナード・バーンスタイン。そのバーンスタインが亡くなる1年前の1989年11月、自宅で、本書の著者を相手に12時間にわたって語り明かした音楽論の全容を収めたのが本書。人間にとって音楽とは何か。音楽が成し得ること、音楽にしか成し得ないことは何かが、深い含蓄と衰えを知らない情熱をもって語られている。

レニー(バーンスタインの愛称)の活動のすべては、おそらく「教師」という言葉に集約されるだろうと著者はいう。とりわけ体調ゆえに指揮活動から引退した後は、残りの人生を教育に捧げることを表明。「若者といることは僕を生き生きとさせるし、彼らのためには何でもしたい。…僕の死にそうな呼吸と僕の最後の血とエネルギーを使って、このあり得ない状況を正していきたい…」とその強い意思を明かしている。

レニーが音楽をもって正したいと、生涯にわたって立ち向かった「あり得ない状況」とは、世の多くの教師や親たちが、子供たちの“存在の歌”を無自覚なまま踏みつぶし続けている今日的な風潮のこと。本書の著者がインタビューの中で紹介した、あるラビ(ユダヤ教の宗教的指導者)の「すべての人は一つの存在の歌から成っている。それによって我々の最も深い部分が作られ規定された歌」という言葉に対し、レニーは深くうなずき、次のように答えている。

それは美しい。それは美しい。それは、僕が言おうとしていたことのとても優れた言い方だよ。それにとてもシンプルだ。でもなすべき仕事はとても複雑なんだ。というのも、僕たちが、子供を抑制することによって、あるいは、冷笑的に自分の利益だけを考えるように子供たちに教えることによって、その他何もかもによって、子供たちの存在の歌を破壊しているからだ。…すなわち無配慮と愛の欠如なんだ。

我々の最も深い部分には“存在の歌”があり、その歌が、我々を存在せしめている。つまり“存在の歌”とは、我々の<いのち>に他ならない。そしてその<いのち>が、心ない教師や親たちによって踏みにじられている、とレニーは憂える。

人間は善性をたくさん備えてこの世に生を享ける。すべての人が学ぶことへの愛をもって生まれてくる。が、そうした“存在の歌”が踏みにじられると、生来不安を抱える子供たちは行き場をなくしてシニカルになり、ふてくされてしまう。学ぶことに、もう完全に反抗的になってしまう――そんな彼らに残された途は“即席の満足”しかない。

僕が指摘したいのは、僕らの世代と違って、今の子供たちは、一瞬でこの惑星が破滅する可能性(注:核兵器のこと)があることを当然のことと思って育っているため、即席の満足にいっそう引っ張られているということ。…少女たちは満たされずに目を覚まし、少年たちは罪悪感や羞恥心やいっぱいの躁病的な恐怖や不安とともに目覚める。罪悪感は恐怖や不安を生み、不安は恐怖を生む。そしてそれが循環する。それは一つのものが他のものを増強する古くからの悪循環であり、それは日夜、即席の満足に向かわせる。

レニーが音楽を担当したミュージカル(のちに映画)『ウエストサイドストーリー』は、そんな若者たちの刹那的世界を描き出している。

子供たちに語る話題で難しすぎるというものはない。ただ、どこに痛みがあって、彼らが何に苦しんでいるのかを知らなければならない。

バーンスタインは、愛することと学ぶことは密接にリンクしていると、本当の知識は知ることへの欲求に伴うと、そして、音楽そのもの(生きている創作者と創造的な聞き手との出会い)が教えることのために最も有効な手段の一つであると、理解していた。だから生涯、来る日も来る日も音楽を奏でた。指揮棒を振る自分とオーケストラとを一体化することによって、そこに新たな<いのち>を生み出そうとした。

音楽のない人生は考えられない。生命のない音楽はアカデミックだ。だから私の音楽への接し方は完全に抱擁なのです。





プレリュード
  • 「音楽のない人生は考えられない。生命のない音楽はアカデミックだ。だから私の音楽への接し方は完全に抱擁なのです」[16]
  • レニーは、enthusiasmという言葉が、ギリシア語のentheos(内側に神がいる)という形容詞から来ていて、「年老いることなく、生きる」という意味が付くことを私に教えてくれた。[17]
  • バーンスタインの活動のすべては、おそらく「教師」という言葉に集約されるだろう。educationという言葉はラテン語のeducere(内にあるものを表出させる)と関係がある。「僕は、すべての人が学ぶことへの愛をもって生まれてきたと知っている」。[22]
  • バーンスタインは、愛することと学ぶことは密接にリンクしていると、本当の知識は知ることへの欲求に伴うと、そして、音楽そのもの(生きている創作者と創造的な聞き手との出会い)が教えることのために最も有効な手段の一つであると、理解していた。[24]
  • 「指揮者はオーケストラにただ演奏させるだけではいけません。指揮者はオーケストラを弾きたい気持ちにさせなければなりません。独裁者のように指揮者の意志をオーケストラに強制するよりも、自分の感情を第二ヴァイオリン群の最後列の奏者にまで伝わるように、周囲にいきわたらせるのです。これが起きると、つまり百人の奏者が指揮者の感情を正確にそして同時にシェアするとき、それぞれの音楽の起伏に、到着と出発のそれぞれのポイントに、それぞれの小さな内側の脈拍に、オーケストラは一体となって反応します。つまりそのとき、同じものはどこにもいないという、人間の感情のアイデンティティがわき起こります。私が知るかぎりでは、それは愛し合う行為に最も近いことです」[24]
レニーとのディナー
  • 「作曲家というのは自分が聴いた経験の総計だからね」。(ピカソはかつて、良い芸術家はコピーし、偉大な芸術家は盗むと述べました)「芸術の手管の大部分はいかに上等に盗むかを知ることにある」「もちろん、みんな無意識さ」「きみが良い作曲家なら、良い盗みを盗む」[39]
  • 「僕は熱烈に音楽を愛している。音楽を聴くことなく、演奏することなく、勉強することなく、考えることなく、一日だって生きられない」[51]
  • 「社会は、特に敵対する人々に囲まれている場合、書かれた伝統にとても高い価値を置くね」[60]

  • 「証明はできないけど、すべての人が学ぶことへの愛をもって生まれてきたことを、僕は、心奥深く知っているよ。例外なくね」[61]
  • 「マーラーは聖母のイメージに恋していて、「母親対娼婦」というラテン系の恋人のジレンマに苦しんでいたとフロイトは考えていた。母親は崇拝の対象だが、娼婦はセックスの対象だからね」[67]
  • 「そのトラウマの一つひとつは、子どもが持って生まれた学ぶことへの愛を損なうんだよ。…子供は、兄弟や親をあやつる新しいいたずらを思いつくたびに、よりシニカルになり、ふてくされてしまう。…それは貧しいからであり、恵まれていないから。人が相続することこれらすべての打撃を受け継いでいるからだ。…君はもう完全に学ぶことに反抗的になっている」[70]

  • (反ベトナム戦争の運動のすごい日々)「その時代は何もポジティブなことはなかった」「だが、僕が指摘したいのは、僕らの世代と違って、今の子供たちは、一瞬でこの惑星が破滅する可能性があることを当然のことと思って育っているため、即席の満足にいっそう引っ張られているということ。…少女たちは満たされずに目を覚まし、少年たちは罪悪感や羞恥心やいっぱいの躁病的な恐怖や不安とともに目覚める。罪悪感は恐怖や不安を生み、不安は恐怖を生む。そしてそれが循環する。それは一つのものが他のものを増強する古くからの悪循環であり、それは日夜、即席の満足に向かわせる。[73]
  • 「僕らは子供という世代全体をすでに失ってしまった。子供たちは建設的で美しいものがわからない。愛がわからない。LOVEという叩き潰された、古い、汚れた四文字言葉を理解する子供は、もうほとんどいない」[78]
  • (あなたは愛だけでなく、継続という考えも信じている)「僕らは、信頼、希望、信念について立ち返らないといけない。僕らはみんなそれらとともに生まれてきた。しかし、不運なことに、僕らは自分たちが世界の中心であるとも思って生まれてきた。すべてのトラウマのなかで、それが最も大きく、最も取り除きにくいものなんだ。…宇宙は、僕らが考えもつかない大きな何かのなかの小片にすぎず…そして人はこの惑星の小片にすぎない」[78]

  • 「子供たちに語る話題で難しすぎるというものはない。ただ、どこに痛みがあって、彼らが何に苦しんでいるのか、どうして彼らがプログラムで紙ヒコーキを作って飛ばすのかを知らなければならない」[80]
  • 「本当の人間のなかには遊びたいという子供がいる」とニーチェは言った。[80]
  • 「この音楽はスーパーマンと何の関係もない。本当はドン・キホーテという人の音楽なんだ。…最後に彼らは、音楽は音楽以外の何も意味する必要がないということを知った」[83]

  • 「神が人に与えることのできた最大のプレゼントは、話してコミュニケートする能力だ。音楽はコミュニケーションの大きな部分だね」[85]
  • (バエルは言った。「すべての人は一つの存在の歌から成っている。それによって我々の最も深い部分が作られ規定された歌」)「それは美しい。それにとてもシンプルだ。でもなすべき仕事はとても複雑なんだ。というのも、僕たちが、子供を抑制することによって、あるいは、冷笑的に自分の利益だけを考えるように子供たちに教えることによって、その他何もかもによって、子供たちの存在の歌を破壊しているからだ。…すなわち無配慮と愛の欠如なんだ」[87]
  • 「教師や親は、自分たちが子供たちに対して何をしているかを知らなければならない」「君に言うが、若者といることは僕を生き生きとさせるし、彼らのためには何でもしたい。我々の惑星を蝕んだり、ダメにしたりするのではなく、人類として自分たちの名を汚すのでもなく、すべてのエネルギーと精神をもって僕たちができることを考えよう。僕の死にそうな呼吸と僕の最後の血とエネルギーを使って、このあり得ない状況を正していきたい…」※バーンスタインは、死の直前に、体調ゆえに指揮活動から引退を表明し、残りの人生を教育に捧げる意思を表明した。[88]

  • 「人間は生来、善性をたくさん備えているから、トラウマに妨げられず、機会が半分でも与えられれば、善性は光が漏れるように輝くんだよ」[91]
  • 「彼ら(ヨーロッパの偉大な政治家)はいつも『レニー、どうして君はそんなに悲観的で憂鬱で絶望しているの?』と言う。それは、僕がいつも世界中のレーガンのような奴らの思考停止、無関心、不注意、無思慮について語っているからだよ」[99]
  • 「聴き手は、聴いたものへ影響を与えるからね。それを変えてしまうんだ。能動的な聴き手にとっては、多様性はありがたい。誰もが正確に同じメッセージを受け取るとしたら、何の意味があるのかね?」[112]

  • 「すべてのオーケストラは、それ自身の音ではなく、そのオーケストラが今演奏している作曲家の音を出すことができるし、出すためにあるべきなんだ」「3つのオーケストラは決して同じような音はしない。でもそれらはすべてマーラーの音がする。泣き、噛み付き、愛撫し、祈る」[144]
  • 「僕はしばしば指揮台の上の自己顕示家と言われれてきた。でも僕がすることはすべて、オーケストラのためなんだ。聴衆が彼らの側からどう見るかは、彼らの問題であって、僕に責任はない」[145]
  • 「僕が弟子にアドバイスするのは、スコアを読んで、自分が作曲家であるかのようにその作品に生命を宿すことだけだ」[146]

  • 「真に良い演奏をしたときと僕がわかる唯一の道筋は、僕が曲を進んでいきながらその作品を生み出しているように感じるとき、つまり、あたかも僕がまったく初めてこれを創作しているという気持ちを持つようなときだ」[147]
  • 「もう一つの道筋は、演奏がすべて終わってはじめてわかるとき。僕らはみんな遠くにいる。そして、現実に戻り、振り返ってお辞儀をするまでの時間が長ければ長いほど、僕らは遠くに行ってしまったんだとわかる」[147]
ポストリュード