[この本に学ぶ]
『ティール組織』
フレデリック・ラルー 著
英治出版(2018年)
進化型組織のリーダーたちは、…自分の組織を「生命体」や「生物」ととらえている。生命は、進化に向けてあらゆる知恵を働かせながら、底知れぬ美しい生態系を維持している。生態系は、全体性、複雑性、そして高い意識に向けて常に進化し続けている。自然は、自己組織化にむかうあらゆる細胞とあらゆる有機体の欲求に突き動かされて、常にどこかで変化している。そこには、命令を出したりレバーを引いたりする中央からの指揮も統制もない。
組織を「生命体」や「生物」と捉えることは、即ち、それを自然界に存在する命の一種だとみなすこと。だからそこでは、自然界における「命」の普遍的原理である「自己組織化」が同じように働くわけだが、それがつまり、ティール組織における「自主経営」の特徴を成す。
自主経営は、生命が何十億年にもわたってこの世界で営み、生物やエコシステムを生み出してきた方法。…長い間、私たちは生命が持つ自己組織化への衝動をよく知らず、その衝動を抑え、お互いを支配し合おうとすることが必要だと考えていた。しかし今や、堅くこわばった組織構造を乗り越え、本当の意味で組織を生き返らせる準備ができているのかもしれない。
そう、ティール組織の核をなす「自主経営」の原理は、ずっとずっと昔から、生命の「自然の姿」として存在した。が、実際の社会にあっては、それを意識できる人は、ごく一部の天才を除いてほとんど存在せず、組織経営の方法としてもリアライズされることはほとんどなかったわけだが、社内SNSをはじめとするネットワーク・コンピュータ等の発達により、組織があたかも人体のようなネットワーク機能を持てる時代がやってきた。そこで、組織を「生命体」と捉える考え方が、格段に現実味を帯びてきた、と理解することができる。
「ごく一部の天才を除いて」と上記したが、それらの天才は、いつの世にあってもそれぞれの時代の中で、新しい組織経営のスタイルを切り開いてきた。つまり、本書でいう①衝動型組織、②順応型組織、③達成型組織、④多元型組織、⑤進化型パラダイムといった組織形態は、時代とともに順次変遷したきたわけでなく、高い意識を備えた「見える人」には昔から見えていた。それぞれの時代にあって主流をなす組織形態よりも、1つも2つも進化した、新しい時代の組織のあり方が見えていたということができる。
固有名詞をあげれば、例えば、松下幸之助、井深大、本田宗一郎、稲盛和夫といった優れた経営者は、昭和初期にあって、既に組織を「生命体」と捉えていたに違いない。ティール組織と同じような概念の下に組織を営んでいたと思われる。また本書でも、組織の上位にいる人々の意識が、進化を遂げれば遂げるほど、現に業績が向上したという研究結果が報告されている。
「進化型」に至る以前の組織にあっては、①衝動型組織、②順応型組織、③達成型組織、④多元型組織のどれにおいても、「恐れ」に基づく自分勝手な行動がさまざまな「病気」を生み出してきたと著者はいう。官僚的なルールやプロセス、際限もなく続く会議、分析麻痺情報隠し、秘密主義、希望的観測、見て見ぬふり、信ぴょう性の欠如、縄張り主義、内輪もめ、トップへの権限集中などなど、どれもがみな組織に属する人々の「恐れ」から生み出されるものだと言うのである。
こうした、あらゆる病気の根本原因となってきた「恐れ」を、「人生の豊かさを信頼する能力」に置き換えていこうというのが「ティール組織」の考え方だが、かつては一部の天才経営者以外イメージするのが困難だった組織のあり様が、誰にでもイメージし、さらに実現しうる環境が整ってきたことは、明るい未来の可能性を予期させてくれる。本書が起爆剤となり、そんな社会が実現に向けて歩を進めていくことを期待したい。

はじめに
- わずか200年にも満たない、人類の全歴史から見れば瞬きするほどの時間もたたないうちに、現代の「組織のあり方」が人類に見事な進歩をもたらした。人々が協働する媒体としての「組織」が機能しなければ、人類はこれだけの進歩を遂げられなかっただろう。
- しかしながら、現代の組織のあり方が限界に近づいていると感じている人々は多く、組織での生活に幻滅するようになっている。…人々の可能性をもっと引き出す組織とは、どんな組織だろう? どうすればそんな組織を実現できるのだろう? 本書の核心をなすのはこうした問いである。
第Ⅰ部 歴史と進化
第1章 変化するパラダイム――過去と現在の組織モデル
- 歴史の流れの中で、人類は人々が集まって仕事を成し遂げるやり方を何度も根底から革新し、そのたびに以前よりはるかに優れた組織モデルをつくり出してきた。人類の意識が新しい段階に入ると、人々の協力体制にも大変革が起こり、新たな組織モデルが生まれていたのである。私たちが今日知っている組織は、私たちの現在の世界観、あるいは今の発達段階を表現したものにすぎない。
第2章 発達段階について
- 人間の意識は段階的に進化する。しかし、ある段階がその前の段階よりも「良い」「優れている」と考えると面倒なことになる。①世界に対処するうえでの「より複雑な」方法と理解する、②それぞれの段階が特定の文脈に「よく順応している」と理解するのが望ましい。
- 認知面、倫理面、心理面、社会面、精神面など、人の発達にはいくもの次元があって、必ずしもそのすべてが同じペースで成長するわけではない。人はある特定の瞬間に、ある一つのパラダイムに「基づいて活動している」。
- 人々をその気にさせて実力以上の能力を引き出し、自分だけではできなかったはずの結果を成し遂げさせてしまう――それこそが組織の神髄だ。
第3章 進化型
- 第一段の意識/第二段の意識: 第一段の段階(衝動型、順応型、達成型、多元型)にいる人々は、自分たちの世界観だけに価値があり、ほかの人々はとりかえしがつかないほど間違っていると考える。進化型パラダイムに移行して初めて、意識は進化すること、そして世界に対処するための複雑で洗練された方法に向かおうとする気運が高まっていることを認識するようになる(=「進化型」の意味するところ)。
- 第一段階における「恐れ」に換わるものは、「人生の豊かさを信頼する能力」。「恐れと欠乏感にまみれた人生か、信頼と潤沢に満ちた人生か」
- 私たちがエゴに埋没していると、外的な要因によって判断が左右されがち。<衝動型>の観点では、自分の欲しいものを獲得できる判断こそが正しい。<順応型>では、判断を社会規範への順応度に照らして考える。家族、宗教、あるいは社会階層が正しいとみなす範囲を超える判断は、罪や恥となる。<達成型>では、効果と成功が判断の基準となる。<多元型>の場合、物事は(組織への)帰属意識と調和を基準に判断される。<進化型>では、意志決定の基準が外的なものから内的なものへと移行する。
- 進化型パラダイムでは、人生とは自分たちの本当の姿を明らかにしていく個人的、集団的な行程と見られている。自分は人として、他人や周囲から解決してもらうことを待っている「問題」なのではなく、本質が明らかになることを待っている「可能性」だと捉える。
- この世の中に「失敗」などは存在しない。ただ自分自身や世界の奥底にある本当の姿に近づくための経験にすぎない。
- 理性の先の知恵: 進化型パラダイムは、①「知ること」についてのあらゆる領域を積極的に活用する、②矛盾しているもの同士を合理的につなげる能力を活用する
- 進化型パラダイムでは、判断と寛容という対立を超越し、「決めつけない」ことでより高次の真実にたどりつける。
- 自分は自然から分離しているのではなく、自然と一体なのだ。
- 進化型組織とは、全体性とコミュニティを目指して努力し、職場では自分らしさを失うことなく、しかし人と人との関係を大事に育てることに深くかかわっていくような人々を支える組織。
第Ⅱ部 進化型組織の構造、慣行、文化
第1章 3つの突破口と比喩
- 生命体としての組織: 進化型組織のリーダーたちは、自分の組織を「生命体」や「生物」ととらえている。生命は、進化に向けてあらゆる知恵を働かせながら、底知れぬ美しい生態系を維持している。生態系は、全体性、複雑性、そして高い意識に向けて常に進化し続けている。自然は、自己組織化にむかうあらゆる細胞とあらゆる有機体の欲求に突き動かされて、常にどこかで変化している。そこには、命令を出したりレバーを引いたりする中央からの指揮も統制もない。
- 進化型組織が開く3つの突破口:
- 自主経営――進化型組織は、階層やコンセンサスに頼ることなく、仲間との関係性のなかで動くシステムである。
- 全体性――進化型組織は、私たちの精神的な全体性があらためて呼び起こされ、自分をさらけ出して職場に来ようという気にさせるような、一貫した慣行を実践している。
- 存在目的――進化型組織は、それ自身の生命と方向感をもっている。組織のメンバーは、組織が将来どうなりたいのか、どのような目的を達成したいのかに耳を傾け、理解する場に招かれる。
第2章 自主経営/組織構造
- ビュートゾルフ>集団での意思決定: 全員が賛成する完璧な解決策など存在しない。信念に基づく反対がなければ、将来新たな情報が入ったときにはいつでも見直すという理解の下で解決策は採用される。集団的知性こそが優れた意思決定を生むことを全員が理解。
- どのチームも、自分たちはそうした問題を解決するだけのすべての権限と裁量があることを知っている。それだけの自由を得て、また責任を負う。本当のプロフェッショナルはこうした過程の下に育つ。
- 部下を支配する上司という上下関係が存在しない代わりに、「自然発生的な階層」、つまり評判や影響力、スキルに基づく「流動的な階層」が発生する余地が生まれる。
- FAVI>相互信頼による統制: すべての社員は道理をわきまえた人々――これを大前提とすれば、ルールも統制メカニズムもほとんど必要ない。信頼の対象が広がると、その見返りとして責任も広がっていく。他人を見習う習慣と仲間からの圧力が、階層性よりもはるかにうまくシステムを統制する。チームが目標を設定し、誇りをもってそれを達成する。
- 結局のところ、大きな阻害要因となるのは「恐れ」。組織が暗黙の恐れに立脚しているのではなく、信頼と責任を育てる構造と慣行の上に成り立っていると、驚くほど素晴らしい、予想もしないことが起こり始める。
- 人々はシステムの「集団的知性」に信頼を置いており、「優先順位」は自然に決まる。このことの正しさは、ソビエト連邦スタイルの経済運営の破たんに明らか。「自主経営」とはつまり、組織内に「自由市場経済」を成功させる諸原則を持ち込むということ。
- AES>タスクフォース: タスクフォースは強力な「学習機関」。とてつもない規模に拡大した現代版の「徒弟制度」。
- 全員が管理職: 自主経営組織にはトップがいない? まったく逆。人々が引き受けるどんな役割も、仲間に対してそれをやり遂げると公約しているのだから、仲間全員が管理職になる。
- ESBZの設立理念: ドイツの進化型学校。「子どもは一人一人が個性的な存在で、だれもが他の人に貢献できる才能を持ち、全員が人として価値があり、評価され、必要とされている」
第3章 自主経営/プロセス
- 意思決定>助言プロセス: 意思決定の3つの方法、①階層的組織に基づく上位者の判断、②コンセンサス方式、③助言プロセス。
- 助言システムの利点: ①助言を求められた人々の関心を引き付け、人々は「同じコミュニティにいる」感覚を強める、②助言を求めることは謙虚さを示す。「私はあなたを必要としている」との意思表示は、意思決定者と助言者を親密にする、③意思決定をすることはOJTになる、④従来型のトップダウン・アプローチよりも最適な判断に到達する確率が高い、⑤このプロセスは意思決定者にとって単純に楽しい。
- コンセンサス方式の問題点: ①参加者全員がめいめいに勝手なことを主張する、集団的なエゴの嵐に陥ってしまうことが多い。全員の希望を満足させようとする試みは、往々にして出口の見えない苦行になる。②責任の所在が希薄になる。変形された案は、最初の提案者にも不満が残り、多くの決定事項が実施されないか、実施されても「決まったことなので仕方ない」との姿勢を生む。これに対し、助言プロセスでは、意思決定の責任は明確に一人に帰属する。
- コンセンサスが組織から情熱を徐々に奪っていくのに対し、助言プロセスはモチベーションと実践力を大いに刺激する。
- X理論とY理論: X理論(従業員は本来怠け者で、なるべくなら仕事をサボりたいものだ)とY理論(労働者は意欲的で、自発的で、自制心を発揮できる)はどちらも正しい。恐れは恐れを生むし、信頼は信頼を育てるからだ。
- 内部のコミュニケーション: ティール組織で実施されている標準的慣行、①社内に秘密はない。誰もがあらゆる情報に同時に接することができる、②全員参加の会議。すべての情報を共有するという取り組みは、全社員が一般的な企業のCEOと同じ状況に置かれることを意味する。社員自身が成長し、不愉快な現実に向かい合わねばならない。
- 紛争解決プロセス: 自主経営組織では、仲間たちが声を上げて、約束を果たさない同僚に向き合わねばならない。まずは二人で話し合い、信頼できる人に仲介を頼み、最後に仲裁のための委員会が関与する。
- モーニングスター>約束のネットワーク: 個人的なミッション・ステートメントを「コリーグ・レター・オブ・アンダースタンディング」に書き出す。CLOUで宣言された約束によってつながった人々が「約束のネットワーク」を形成する。ほとんどの一般的組織では、その上に「正式な」組織が無理やり乗せられ不協和音を生んでいる。
- ホラクラシーにおける「ガバナンス・ミーティング」は助言プロセスの一バリエーション。ホラクラシーでは、人々の助言を一つの意思決定に統合するのは一人の個人ではなく、チームだ。
- 全責任: ティール組織では、人々は役割を負い、責任範囲も明確。しかし縄張りはない。自分が気づいた問題については、それが自分の役割以外のことであっても、何かをする責任を負う。
- 内発的モチベーション: 自主経営組織において、チームはなぜ甘えないのか。仲間との励まし合いと市場の要求によって、自分の内側から湧いてくる「やってやろう!」という「内発的モチベーション」があるからだ。人々が意味のある目的を追求し、その目的に向かって動くための意志決定力と資源をもっているときには、上司からの喝も、無理な目標も必要ない。
- 話し合いで定める給与: 話し合いには高潔な目的がある。メンバー全員が自分の貢献度を十分に評価されていると感じること、つまり自分の内側からの認識と外側からの認識を一致させること。これは率直に意見を表明し、相手を信頼し、自分の弱さを認め合う練習なのだ。
- 報奨金: 順応型の組織では、給料は社内の地位に応じて決まり、成果に基づく報奨金は存在しない。達成型組織では、人は適切な額の報奨金を与えられると一生懸命知恵を出して働くと信じられている。多元型組織では、個人への報奨金が持つ競争的な性格と高い賃金格差を嫌い、協力に対する報奨としてチーム単位の賞与を好む。進化型組織では、外在的要因によって士気を高める人より、内在的欲求で働く人に価値を置いている。人々は、基本的なニーズを満たすだけのお金を持つと、仕事の意義や、仕事を通じて自分の才能を発揮し使命を果たすことの方が報奨金や賞与より重要になる。
- 自主経営は、生命が何十億年にもわたってこの世界で営み、生物やエコシステムを生み出してきた方法。…長い間、私たちは生命が持つ自己組織化への衝動をよく知らず、その衝動を抑え、お互いを支配し合おうとすることが必要だと考えていた。しかし今や、堅くこわばった組織構造を乗り越え、本当の意味で組織を生き返らせる準備ができているのかもしれない。
- 自主経営組織は、ニュートン科学が前提としている、支配による階層的な枠組みに沿った構造ではない。これは複雑で、参加型で、互いにつながり、相互依存的で、常に進化し続ける、まるで自然界の生態系(エコシステム)のような仕組みなのだ。まずニーズがあり、形式は後からついてくる。組織の役割も柔軟に設置、廃止、交換される。権限は分散されている。意志決定は、そのアイデアが生まれたところでなされる。
- 太古以来、「権力の不平等」という問題は組織内の生活を苦しめてきた。組織内を静かに流れている恐れの多くは、そして恐れを増幅する社内政治や縄張り意識、欲、非難、怒りの根本にあるのは、権力の不平等な分配である。この問題解決のための正しい問いは、進化型の視点から見ると、「どうすれば全員が同等の権力を握れるか?」ではない。「どうすれば全員が強くなれるのか?」なのだ。進化型組織では、権力の獲得を「ゼロサム・ゲーム」とは考えていない。
- モーニングスターは、自然にできあがった「動的な階層の集合体」である。これは役職や地位ではなく「影響力の階層」であり、しかもボトムアップ的に築かれているものだ。モーニングスターの人たちは、専門知識や仲間を支援しようという意欲、付加価値を示すことで権威を積み上げていく。
第4章 全体性を取り戻すための努力/一般的な慣行
- 自主経営は、「迫害者」「救済者」「犠牲者」というドラマ三角形から、「挑戦者」「コーチ」「創造者」という関係へと人々を突き動かす力をもっている。
- 全体性: 私たちは恐れの奥の奥、最も根本的なレベルでは、全体性を心から望んでやまない。バラバラになった自分自身を統合して自分らしさをすべて出し、魂の真実を尊びたいのだ。全体性の実現はなぜ難しいのか? それは、自分自身をさらけ出して人前に出るのを危険に感じるから。私たち自身の最も大切な部分が避難やあざけり、拒絶にあうかもしれないから。
- 魂は強靭で、粘り強く、抜け目なく、うぬぼれが強い。しかし、その強さにもかかわらず引っ込み思案でもある。残念なことに、私たちの文化に存在しているコミュニティとは、森の中を全員で突進し、魂を怖がらせて追い払う人々の集団を意味することが多い。こういう環境では、知性や感情、意志、エゴは出現するが、魂は出てこない。私たちは、尊敬に満ちた人間関係や、善意や希望といった魂のこもったものをすべて怖がらせて追い払ってしまうのだ。
- 物語ること: ボウリング大会のようなイベントには、有史以来私たちがコミュニティを構築し、共通の話題をつくるために使ってきた基本的な要素が欠けている。それは「物語ること」だ。自分の物語を話すことには人々をまとめる力がある。私たちはそのことを忘れ、互いに共有し合うという関係を衰えさせ、損なってしまっている。
- 環境問題と社会問題: 自然には私たちの中に全体性を呼び起こす能力がある。これは逆の方向にも機能する。つまり、私たちは全体性を感じるとき、自分を取り囲むあらゆる物につながっている感覚を抱く。
- 共有価値: 進化型企業の観点からは、すべてが「内心の正しさ」から出発する。AESが価値観を守ろうとするのは、経済的な成功を達成する手段としてではなく、これにこだわること自体が価値ある目標だからだ。
- マルチプル・ボトムラインの発想: 最近は従来の金銭的な損益(ファースト・ボトムライン)以外に、地域社会や環境への貢献(セカンド・ボトムライン)など、複数の要素への関わり方と収益目標(マルチプル・ボトムライン)を設定する会計制度を取り入れる企業がふえてきている。が、進化型組織ではほとんどない。マルチプル・ボトムラインは、依然として達成型組織の発想に基づいているからではないか。
第5章 全体性を取り戻すための努力/人事プロセス
第6章 存在目的に耳を傾ける
- 組織としての目的に意思決定を左右するほどの力がない場合、その役割を果たすのは組織の「自己防衛本能」であり、その根底にあるのは「恐れ」。ゆえに、生き残るための唯一の方法は、あらゆる機会を捉えて利益を増やし、競争相手を犠牲にして市場シェアを拡大することになる。
- 存在目的: 進化型組織には、もはや生き残りへの執着はない。本当に重要なのは自社の存在目的なのだ。自社の存在目的は、人々を勇気づけ、方向性を与えるエネルギーなのだ。
- 組織が本当に自社の目的のために存在しているとき、「競争」は存在しない。ビュートゾルフの場合は「病気の人や高齢者に自主的な、意義ある生活を送ってもらうこと」。秘密も存在しない。「自分たちのことを開放すればするほど有利な状況となって返ってくると私は信じています」
- 達成型組織は組織を「機械」と捉えているが、進化型組織ではそれを「生きたシステム」と捉えている。
- 進化への目的: 重要なことは、自分と他人と自分の属する組織をきちんと分けて、「この組織の使命は何か?」を見極めること。それは、「この組織は何にために生を受けているのか?」ということ。
- ビュートゾルフは、ミッション・ステートメントという形で会社の存在目的を表現したことがない。常に口にだして表現することで存在目的は生き生きとするし、書かないことで目的は進化する。
- 自主経営組織では、変化はそれを必要と感じている人が起点となって起こる。こうした現象は、まさに自然が過去数百万年にわたって機能してきた方法と同じである。イノベーションは、組織の中心から計画に従って起こるのではなく、常に組織の末端で起こる。
- 全員が一つの部屋に集まり、集団としてのビジョンが生まれると、人々は、そこに現れた未来のイメージに強い思い入れを抱くようになる。
- 進化型組織には、戦略立案プロセスは存在しない。自社の存在目的を指針にしているので、個人であれ集団であれ、何がこの世の中から求められているのかを感じ取る能力が誰にも備わっている。人々がさまざまなアイデアを、遊びのように現場で試しているうちに、組織のいたるところで戦略が自然と湧いてくるのだ。組織は、集団的な知識の形成プロセスに対応して、進化、変化、拡大、縮小していく。現実こそが偉大な審判であり、判断を下すのはCEOでも、取締役会でも、経営委員会でもない。うまく作用したものが、組織内で勢いとエネルギーを得る。そうでなかったものは定着せずにしぼんでいく。
- マーケティングに対する進化型組織のアプローチは実に単純。正しい提案だと感じる内からの声に耳を傾けるだけなのだ。顧客調査もフォーカス・グループもない。
- 本当に驚くべきことが起こるのは、まさに組織の存在目的と個人の人生でなすべき使命が互いに共鳴し、補強し合ったとき。組織が何をすべきかについて明確であるほど、それを共鳴できる人々の数は多くなる。自分の使命を知る人の数が増えるほど、組織のなすべき仕事にエネルギーを注いでくれる人が増えていく。
第7章 共通の文化特性
- 組織文化: 組織文化とは、組織に属する人々によって共有されている、前提や規範や関心事のことを意味する場合が多い。もっと簡単にいえば、人々がそれについて意識しないままで物事が進んでいくあり方のこと。「空気」のようなもの。
- ウィルバーの「四象限モデル」: あらゆる現象には4つの面があり、4つの角度からアプローチできる。①人々の信念と心の持ち方[個別/内面]、②人々の行動[個別/外面]、③組織文化[集合/内面]、④組織のシステム(構造、プロセス、慣行)[集合/外面]。4つの象限は互いに深く関わりあっていて、どこか1つの象限が変化すると他の3つにじわじわと広がっていく。
- 組織文化をつくり上げるには、他の3つの象限を追求する努力を並行して行えば達成できる。
- 自主経営の組織構造とプロセスが整い、全体性と存在目的を追求する慣行が定着すると、文化の必要性は低下するのだが、影響力は強くなる。組織文化は組織の文脈と存在目的によって形づくられるべきもので、創業者やリーダーの個人的な前提や規範や関心事によって決まるべきものではない。自主経営の組織構造では、組織文化はだれから強制されることもなく、自然発生的に生まれる。
第Ⅲ部 進化型組織を創造する