ダイアローグ180705

我とは「場所」である


[この本に学ぶ]
西田幾多郎――生きることと哲学
 藤田正勝 著
岩波新書(2007年) 


西田幾多郎(1870~1945)は、「真に生きる」ことはいかにして可能になるかを生涯を通じて探求し続けた哲学者。本書は、その難解な西田の思索の足どりを、ひとつひとつ丁寧に解きほぐしながら教えてくれる。

西田は「最も根本的な立場から物を見、物を考える」姿勢を生涯にわたって貫いた。「生命の基盤から思索する哲学者」の名に相応しい、その根源的な思索は、100年近くを経た今でも「古さ」を微塵も感じさせない。否、それどころか、今日的な課題の解決に最も本質的な答えを授けてくれる。

現代社会はさまざまな問題に直面し喘ぎ続けているが、その原因を根源にまで遡っていくと、そこには西田が解き明かそうとしたのと同じ問題が横たわっていることに気づく。そしてそこから生じた問題は今日、ますます複雑さの度合を増して私たちの日常を蝕んでいる。その原因とは何か。本書は次のように解説する。
  • カントに典型的に見られるように、近代の哲学は人間を、その認識を通して世界(存在するもの全体)を基礎づける「主観」として、そして行為・実践という局面では、存在するもの(客観ないし客体)に自らの意思に基づいて自由に関わっていく存在、つまり「主体」として捉えてきた。自己を基点としてすべての事柄が考えられていったと言ってよいであろう。
  • そのような人間の把握が、近代の科学技術文明を支え、多くの成果を生み出していったのであるが、しかしそれは他方で、自然を――同時にまた人間をも――操作の、そして利用の対象と見なすものの見方に結びついていった。そのようなものの見方がもたらす多くの問題にわれわれは現在直面している。
  • 自己を「場所」として捉える西田の思想は、近代の人間観とは根本的に異なった仕方で人間を理解するものであると言ってよいであろう。われわれがものを認識し、行為することは、事柄の基点ではなく、むしろ「場所」のなかで生起する一つの出来事であるという理解がそこにはある。そのような意味で西田の場所論は、近代的な人間観を根底から直すものであったと言うことができる。
幕末の開国以降、西洋の政治制度や社会制度、学問や技術が導入され、人々の生活は大きな変化を遂げていったが、そうした急速な「近代化」のもと、それに見合った「個」が確立されていないことに多くの知識人はあせり、その裏返しとしての凝り固まった独我論へと傾いていった。過剰適応ともいうべき西洋思想崇拝である。

そうしたなか、西洋近代の人間観に根本的な疑問を投げかけ、「東洋の論理」の構築を目指したのが西田だった。西田は、人間を単なる認知主観として捉え、世界をそれに対立して立つ対象界として捉えてきた「主知主義」を批判する。そして、デカルトの「私が考える故に私がある」という原理は、真実には「私が行為するが故に私がある」と言いかえなければならないと主張する。「頭で考える」のではなく、「行為によって物を見る」。そこにこそ東洋文化の本質があるというのだ。

西田は、自己とは「場所」だという。「我とは…一つの点ではなくして一つの円でなければならぬ、物でなく場所でなくてはならぬ」という。難解な概念だが、ごくごく平たくいえば、我はただ独立した個体として存在するものではなく、我を取り巻く環境のただ中にあって、我が環境に働きかけ、また逆に環境が我に働きかけ、といった円環的関係の下に存在している。つまり我々の行為は、単に自分自身からではなく、むしろ客観的世界から発現する。だから我は、点ではなく、円であり、すなわち「場所」だということになる。

表現は確かに難解だが、西田は決して空疎な思索を展開した哲学者ではなく、われわれが生きている世界そのものを思索の対象とした。「日常の経験、あるいは日常の世界を離れて哲学は存在しない」ことを信条とし、日常のなかに「真の現実の世界」を見い出そうとしてきた。だからこそ西田の哲学は、私たちの社会が直面する今日的課題に対しても、本質的な答えを用意してくれるのだ。

西田の答えを正しく受け止めるためのいちばんの要諦は、プロ野球に喩えていえば、試合の行方につき、野球評論家の立場から予想するのではなく、選手としてグランドに立ち、勝つ意志をもって自らプレーに参加すること。それにより、明治以降の近代化がもたらした「一億総評論家」社会の歪みを正していくこと――西田がもし生きていれば、私たちにそう激を飛ばしたに違いない。

西田の思想から、私たちがいま改めて学ぶべきもう一つの大切な視点は、その「創造性」にある。西田は、すべての経験、すべての実在を、それ自身のなかに発展の動力を持ち自己展開していくもの、つまり「創造的体系」として捉えようとする。すべての感覚、たとえば見るとか聞くとかいった知覚作用、そしてあらゆる種類の経験を、単なる「受動的作用」としてではなく、「無限の発展」と捉えている。その典型が例えば芸術であり、芸術とは生命が発する光を光のままで凝固させたものであり、そこには「生命の躍動」が具体的な形として表現されている、と西田は言う。

「生命」としての私たちが持つこの無限の創造性を、現代社会の課題解決にどう活かしていくか――西田の言葉に耳を傾けたいと思う。




序 章 生きることと哲学
  • 独我論: 「個人あって経験あるにあらず、経験あって個人あるのである。個人的区別よりも経験が根本的であるという考えから独我論を脱することが出来た」(西田)。独我論とは、実在するは自己自身のみであり、それ以外のものはすべて、自我の意識内容にすぎないとする考えのこと。開国後の急速な「近代化」のもと、「個」が確立されない焦燥への裏返しとしての凝り固まった意識として生じた時代の煩悶。これに対し、清沢満之の「精神主義」や、蓮沼門三、新渡戸稲造の「修養」などの言葉に見られるように、明治の中頃から後期にかけて、人々の意識は強く個人の内面に向けられていったが、それは、この空洞を満たすためであった。
  • 哲学とは: 「哲学は単なる理論的要求から起こるのではなく、行為的自己が自己自身を見る所から始まるのである」(西田)。そこから始まり、いかにして「真に生きる」ことが可能になるか、そのことを問い続けることが、西田の哲学。西田は、生命の基盤から思索する哲学者。

第1章 西田幾多郎という人――悲哀を貫く意思

第2章 根源に向かって――純粋経験
  • 『善の研究』: 原題は『純粋経験と実在』。「純粋経験を唯一の実在としてすべてを説明してみたい」という意図で書かれている。
  • 主客二元論: 原像と模像(写像)、対象と心像、実在と現象
  • 西田は、われわれが「主観―客観」の枠のなかで事柄を捉えることの意味を否定するのではない。西田が批判しようとしたのは、意識に対置される対象、あるいは「純物質」といったものが第一次的存在であり、われわれが意識するものは二次的なものにすぎないという考え方。西田によれば「意識現象」のうちにこそ実在のリアリティがあるのである。実在を定義するにあたり、西田は「知情意の一」を強調する。

  • ベルクソンの言う「直観」とは、事柄を外から捉えるのではなく、事柄の中に入り込んで、内側からそれを捉えようとする態度ないし方法。外から捉えようとするのは「分析」であり、それは対象を既知の要素、言い換えれば他の対象と共通する要素に還元することに他ならない。西田はこれを「物となって見、物となって考える」と表現した。
第3章 生命の表現――芸術
  • 真の善: 真の善とは「真の自己を知る」ことにつきる。そしてそれは「主客合一の境」に立つことによって可能となる。
  • 内的生命の発露としての芸術: 真の芸術は、行為そのものに没入した境地において成立する。芸術とは「内的生命の発露」、つまり心底に動くものを表面化し、それに具体的な形を与えていくもの。「我々の生命と考えられるものは、深い噴火口の底から吹き出される大なる生命の焔という如きものでなければならない。詩とか歌とかいうものはかかる生命の表現ということが出来る、かかる焔の光ということができる」(西田)
  • 個々の人間の生命は「大なる生命」の現れ。哲学が内的生命の知的な自覚であるとすれば、芸術は生命が発する光を、光のままで凝固させたもの。

  • 島木赤彦の「写生」: 「私どもの心は、多く、具体的事象との接触によって感動を起こします。感動の対象となって心に触れる事象は、その相触るる状態が、事象の姿であると共に、感動の姿でもあるのであります。左様な接触の状態を、そのまま歌に現すことは、同時に感動の状態をそのままに歌に現すことにもなるのでありまして、この表現の道を写生と呼んで居ります」
  • 感情: 西田は「感情」を意識成立の「根本的条件」とみなしている。それはさまざまな意識作用の「結合点」であり、それに依拠してさまざまな意識作用が意識作用として機能する。知もまた例外でないはない。

  • 先験的感情: 「情緒に於いては、過去の記憶も、現在の感覚も、表出運動も直ちに一でなければならぬ」、そこにおいてわれわれは「現在の意識の奥底に、現在を超越した深き意識の流れに接する」のである。われわれの自覚的な意識の根底には、過去の出来事が生き生きと生命を保った「意識の流れ」、現在の感覚と過去の思い出とが直接結合するような「生命の流れ」が存在する。それはまた「我と彼と未分以前の自我」の場でもある。そのような「意識の流れ」を西田は「先験的感情」と称した。
  • フィードラーの芸術論: 「絶え間のない遊戯」ともいうべき現実を所有する方法には2つある。一つは「言葉」、もう一つは「視覚」。芸術家の、ものを描いたり、造形したりする活動は、眼の働きを超えた、しかしどこまでも視覚のプロセスの発展である。

  • 創造的体系: 西田はフィードラーを手がかりにすべての経験、すべての実在を、その自身のなかに発展の動力を持ち自己展開していくもの、つまり「創造的体系」として捉えようとしている。すべての感覚、あらゆる種類の経験を、単なる「受動的作用」としてではなく「無限の発展」として捉えている。
  • 芸術の価値: 書や音楽は「自由なる生命のリズムの発言」。芸術の独自の価値は、「生命の躍動」を直接に、そして具体的な形で表現する点にある。
第4章 論理化をめざして――場所
  • 場所とは: 「純粋経験」の思想と「場所」をめぐる思想との間には大きな転換がある。が、その転換は両者の断絶を意味するものではない。我とは…一つの点ではなくして一つの円でなければならぬ、物でなく場所でなくてはならぬ。
  • 論理化という課題: 「論理化」ということで西田が意識していたのは、われわれに与えられている「現実」が、ただ単に「実在」であるといだけでなく、同時にわれわれの「知」を成り立たせるものであることを明らかにする課題だった。
  • 超越的述語面: 「判断」は根本において、主語と述語、あるいは特殊と一般との包摂関係と考えられる。この包摂関係を述語の方向にどこまでも押し進めていけば、最後に無限大の述語(=「超越的述語面」)へと至る。この「超越的述語面」こそが「限りなき述語の統一」であり、すべての判断の基礎となる超越的なものであると西田は思い至った。「つねに述語となって主語とはならないもの」

  • 真の我: 「真の我」とは、有や無という論理的な規定によって言い表すことのできないものであり、むしろそのような規定を可能とする「場所」である。
  • 自覚: 「自覚」は、自己への反省であると同時に、それ自体が一つの直観としての性格をもつ。「自己の中に自己を写(映)す」(反省する)ということが、そのまま無限な、そして動的な発展でもあるからである。そしてこの「自覚」を通して投影された形あるものが「判断」であり、「知」なのである。西田の場所論は、「知の基礎づけ」という意味をもつものであった。
  • 近代の哲学: カントに典型的に見られるように、近代の哲学は人間を、その認識を通して世界(存在するもの全体)を基礎づける「主観」として、そして行為・実践という局面では、存在するもの(客観ないし客体)に自らの意思に基づいて自由に関わっていく存在、つまり「主体」として捉えてきた。自己を基点としてすべての事柄が考えられていったと言ってよいであろう。

  • そのような人間の把握が、近代の科学技術文明を支え、多くの成果を生み出していったのであるが、しかしそれは他方で、自然を――同時にまた人間をも――操作の、そして利用の対象と見なすものの見方にむすびついていった。
  • 自己を「場所」として捉える西田の思想は、近代の人間観とは根本的に異なった仕方で人間を理解するもの。われわれがものを認識し、行為することは、事柄の基点ではなく、むしろ「場所」のなかで生起する一つの出来事であるという理解がそこにはある。
第5章 批判を超えて――世界と歴史
  • 歴史: 「一般者の自己限定」(1929年)において、西田は歴史を、行為を通して内を外となすことによって自己を実現し、そこに自己自身を見いだす行為的な自己の「自己限定」を通して成立するものと捉えている。「私と汝」(1932年)においては、それが個物(個人的自己)と環境(社会)との相互限定を通して成立することに注意が向けられている。個物と環境とが相互に限定しあう「弁証法的過程」が、そしてそれが成立する「歴史的世界」が西田の視野に入ってきたといえる。

  • 自己から世界へ: 西田の思想を前期と後期に分けるならば、それは「意識」ないし「自己」から「世界」へという言葉で言い表すことができよう。1933年以降の論文では、「我々の人格的行動を包み、我々がそれに於いて人格的に行動する世界」こそが真の実在であることが言われている。「真の現実の世界」への注目は、単に「見るもの」つまり認識の主体としての自己ではなく、現実の世界のなかで働き、行為する自己への注目と一つとなっていた。
  • 社会的・歴史的世界: われわれの行為は、単に自己自身からではなく、むしろ客観的世界から発現する。そしてわれわれの行為がこの「客観的精神の世界」を作ってゆく。このような意味でわれわれは「社会的・歴史的世界」のなかで生きている。この「社会的・歴史的世界」を西田は「もっとも具体的なる真実在」と考えるのである。

  • 弁証法的一般者: 一方において、個物はどこまでも時間の流れのなかで(「直線的に」)内的統一を保ちつつ自己を限定するとともに、他方、一般者によって包まれ、空間・場所のなかで(「円環的に」)外から限定される。この2つの限定はどこまでも相反する方向をもつ。個物的限定が、そのまま一般的限定になることはない。しかし、個物が個物に(私が汝に)相対し、相互に関わりあうとき、つまり個物の限定が具体的になればなるほど、その限定は空間的(円環的)な性格を帯びてくる。逆に、一般者による個物の限定が具体的なものになればなるほど、それは個物による自己自身の限定に関わってくる。つまり、時間的(直線的)な性格を帯びてくる。このように絶対に対立するもの(個物的限定と一般的限定)が、対立するものでありながら、同時に一つでもあるという構造に注目して、「弁証法的一般者」という表現がなされるようになった。

  • 絶対矛盾的自己同一: 「我々の具体的世界と考えるものは、…即ち一面に於て直線的に自己自身を限定すると共に、一面に於て円環的に自己自身を限定すると云うことができる」。「現在」は、過去や未来から切り離された単なる現在、弁証法的な歴史の一地点ではなく、そのなかには無限の過去と未来が、つまりそれぞれの時代がもつ意味が同時存在的に含まれている。過去や未来が、あるいはそのなかにあるさまざまな意味や課題・傾向が同時存在的であるということは、同時に現在がそれ自身のうちに矛盾を内包しているということでもある。時代は常にそれ自身のうちに「自己矛盾」を含み、その故に「自己自身の中から自己自身を超えて行く」。つまり、矛盾を克服する歴史がそこに成立する。
第6章 具体性の思索――行為と身体
  • 行為的直観: 「我々は行為によって物を見、物が我を限定すると共に我が物を限定する。それが行為的直観である」。行為的直観の概念の根底には、人間を単なる認知主観として捉え、対立して立つ対象物として捉えてきた「主知主義」に対する批判がある。「私が考える故に私がある」(デカルト)という原理は、真実には「私が行為する故に私がある」と言い換えなければならない。
  • 表現的身体: 「私が此に身体というのは単に生物的身体をいうのでなく、表現作用的身体をいうのである、歴史的身体をいうのである」。われわれが単なる「意識」ではなく、身体的な存在であるということは、われわれが欲求をもつ存在であるということ。そのような存在に対して物は単なる物としてではなく、「表現」として立ち現れてくる。物が「表現」としてわれわれに迫ってくるということである。

  • 認識とはつまり、実在を行為的な連関のなかで、言い換えれば「制作」という場においてリアルにつかみとることを意味する。その把握を通して実在が「生命」としてリアルな仕方で顕現することを意味する。知識の「客観性」はまさにそこに依拠するのである。物を概念的に把握するということも、それを「具体的」に把握すること、すなわち「ポイエシスによって物を知る」ということを通じてはじめて可能になる。
第7章 真の自己へ――宗教
  • 哲学と宗教: 哲学も宗教も「全自己の立場」に立つことが求められる。世界を外から眺めるのではなく、世界の中で生き、行為する(制作する)自己であることが求められる。生命の根本的事実にまなざしを向ける自己でなければならない。ただ、哲学がそこから「世界」を問題にするのに対し、宗教はどこまでも「自己」に徹することを追求する。
  • 親鸞の悪の自覚: 煩悩具足の凡夫。仏教でいう「悟り」とは、決して闇から光へという単純なプロセスではない。そのなかに徹底した悪の自覚と絶望を含んでいる。深い闇がその中にはある。
  • 自己を超えたもの: 一般的には、宗教における絶対的存在は自己の「外」にあると言われる。しかし西田は、絶対的なものをそのように単に超越的な存在として捉えることに反対する。自己と絶対的存在(自己を超えたものでありつつ、自己の根底である存在)との矛盾的な関係こそ宗教が成り立つ場所である。

  • 逆対応: われわれはわれわれの自己が徹底して無であること、つまり自己の死を自覚するとき、自己を生かしているものに、あるいはわれわれの存在を支えているものに出会う。まさにそのことを通して自己の無を超える。このパラドックスを西田は「逆対応」と呼ぶ。
  • 平常底: 日常の営みを日常の営みとして行うこと、そのようなあり方へと帰っていくことを「平常底」は意味している。一歩歩むごとに血を滴らせることを経て、はじめて「へうへうと」水を飲むことが可能になる。
第8章 東洋と西洋のはざま――新たな創造に向かって
  • 東洋文化の根底には「形なきものの形を見、声なきものの声を聞く」といったものが潜んでいる。西洋文化が「有を実在の根底と考える」のに対し、東洋文化は「無を実在の根底と考える」ものである。
  • インドの無の思想が「知的」な性格を強くもつのに対し、中国の無の思想は「行的」な性格を、日本の無の思想は「情的」な特質をもつ。
  • 情的文化: 「情的文化は形なき形、声なき声である。それは時の如く形なき統一である、象徴的である。形なき情の文化は時の如く生成的であり、生命の如く発展的である。それは種々なる形を受容すると共に、之に一種の形を与えて行くのである」

  • 仏教思想の限界: 西田は仏教思想の限界を「意識的自己の問題に止まって制作的自己の問題に至らなかった」という言葉で言い表している。われわれはこの世界に生まれたもの、この世界から生み出されたものとして、単なる「意識」ではありえない。身体をもち、身体を介して物に関わっていく存在である。その行為を通して世界を変じ、新しいものを生み出していく存在である。簡潔に「作られたものから作るものへ」と概念化されるこの自己と事物との相互的な連関は、「意識」としての自己を対象としてきた仏教のなかでは十分に見られてこなかった。仏教の論理が「体験」にとどまり、「事物の論理」には発展しなかったという西田の言葉は、この自己と事物の関わり、さらには客観的存在として事物に仏教が目を向けてこなかったことを批判するものであった。

  • 西田が意図したのは、東洋の伝統を伝統という枠を超えて、より広い問題領域のなかに解き放ち、それを「生きて働く精神」にすること、そこから新たな創造の可能性を考えることだった。
終 章 西田哲学の位置と可能性