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『反哲学入門』
木田 元 著
新潮文庫(2010年) 初刊:新潮社(2007年)
本書に「解説」を寄せる文芸評論家の三浦雅士氏は、本書のことを次のように語る。「『反哲学入門』の特色を一言でいえば、西洋の思想の歴史、とりわけその根幹であるいわゆる哲学の歴史が、鷲づかみにされていることです。まとまったひとつのものとして鷲づかみにされている」。
読後感はまさにそのとおり。「哲学」が生まれ、そして辿ってきた道が、ものの見事に鷲づかみにされている。それは一言でいえば、「哲学」から「反哲学」へという構図だが、それを“鷲づかみ”にすることを可能にしているのが、<つくられてある>か<なりいでてある>かという、<存在>の理解の仕方に関する巧みな概念設定だといえる。
哲学から反哲学へ――。本書で描かれる構図における「哲学」とは、「第1章 哲学は欧米人だけの思考法である」の表題にも示されるように、西洋という文化圏に生まれた<存在>に関するある特定な考え方。具体的には、プラトン、アリストテレスを起源にカント、ヘーゲルに至るまで脈々と承け継がれてきた「プラトニズム」のことをいう。
プラトンが登場する以前の古代ギリシアの人々は、万物は生きて生成してきたもの、自然に<なりいでてある>ものと考えていた。ところが、プラトン/アリストテレスによって<ある>ということ<存在する>ということが、<つくられてある>ことと受けとられることになり、この存在概念が以降「西洋」という文化圏の文化形成を規定してきたのだと著者はいう。
わたしは「哲学」を勉強し、大学でも「哲学」を教えてきたわけですが、以前から自分のやっている思考作業は、「西洋」という文化圏で伝統的に「哲学(フィロソフィ)」と呼ばれてきたものの考え方とは、決定的に違うところがあると思っていました。よく日本には哲学はなかったと言われますが、わたしもそう思いますし、哲学がなかったことを別に恥ずかしいことだとは思いません。「哲学」というのは、やはり西洋という文化圏に特有の不自然なものの考え方だと思うからです。ですから、自分のやっていることは、強いて言えば、そうした「哲学」を批判し、そうしたものの考え方を乗り越えようとする作業ではないかと思い、それを「反哲学」などと呼ぶようになりました。
上記が、著者が「まえがき」で語る「反哲学」の意味だが、こうした「反哲学」の狼煙は、ご当地西洋でもさまざまな思想家によって上げられてきた。それを代表するのがニーチェとハイデガーだ。
ニーチェは、プラトン以降のいわゆる西洋哲学・道徳・宗教はすべてプラトニズムであり、これを克服する「プラトニズムの逆転」を最大の課題と考えた。プラトニズムは「イデア」(プラトン)、「純粋形相」(アリストテレス)、「神」(キリスト教神学)、「理性」(デカルト、カント)、「精神」(ヘーゲル)といった超自然的原理をその根幹に持つことを共通の特徴とするが、そうした構造の下に<つくられてある>超越的な最高価値が力を失ったことが、人々をして、この世界を無価値無意味なものとしか思えない状況(=ニヒリズム)を招来した根源的な原因と考えたからだ。
ニーチェは、プラトニズムにおける超自然的原理に代わる新たな価値定立の原理を、この生きた自然ともいうべき感性的世界の根本性格、つまり「生(レーベン)」に求めるしかないと考え、それを「力への意志」と呼んだ。超自然的原理がことごとく否定されたいま、自然はふたたび自分自身のうちに生成力をとりもどし、おのずから生きいきと生成していくものになっている、と考えたからだ。
「おのずから生きいきと生成していくもの」。それは、筆者(馬渕)が本欄で、いきいきとした組織経営を行うための原理として追い続けてきたものに他ならない。そしてまた、それは<存在する>ということを元来<なりいでてある>ものと捉えてきた私たち日本人の肌感覚にしっくり馴染む原理だともいえる。
社会、とりわけ現代社会はもちろん、<なりいでてある>原理だけで回るものではないが、<存在する>ことの本質はここにこそあるということを、私たちは決して忘れることのないよう、「反哲学」の心構えを持ち続けることが大切だと思う。それが、ニヒリズムを克服するための唯一の途だと思うから。

第1章 哲学は欧米人だけの思考法である
- 哲学とは: 「ありとしあらゆるもの(あるとされるあらゆるもの、存在するものの全体)がなんであり、どういうあり方をしているのか」ということについてのある特定の考え方。「ある」ということがどういうことかについての特定の考え方。
- 哲学からみた「自然」: 自然は超自然的原理――その呼び名は「イデア」「純粋形相」「神」「理性」「精神」とさまざまに変わる――によって形を与えられ制作される単なる材料。もやは自然は生きたものではなく、制作のための無機的な材料・質料にすぎない物、つまり物質になってしまう。
- 自然的思考: 古い時代のギリシア人は、万物を「成り出でたもの」「生成してきたもの」として受け取っていた。
- 日本人は、哲学の発想の分かりにくさを、道徳的実践や、宗教的悟道、誌的直観のむずかしさと一緒にしてしまったので、哲学はむずかしいのが当たり前と思いこんでしまった。
- デカルトの「理性」: たしかにわれわれ人間のうちにはあるけれど、人間のものではなく、神によって与えられたもの、つまり神の理性の出張所ないし派出所のようなもの。ゆえに普遍的で客観的に妥当する認識ができるということになる。
- 「存在とはなにか」という問いは、「ある」ということはたとえば「つくられてある」という意味なのか、「なりいでてある」という意味かを問おうとするもの。
- 丸山真男は、近世日本の思想のなかに、<なる>論理から<つくる>論理への展開を見て、その発展のなかから近代が生まれてきたと考えた。江戸幕府が創設された時期に支配のためのイデオロギーとして採用された朱子学の発想でいうと、社会を動かしているものは「天地自然」の理だから、人間の価値は著しく低い位置にあり、世界は「自然」のなすがままにしておくのが理想となる。一方、五代綱吉の側用人・柳沢吉保のブレーンだった荻生徂徠は、人間の手で作られた「法」秩序を守ることを第一とし、朱子学の理念を否定した。徂徠にとって社会の秩序は、主体的人間(聖人)によって<つくり出される>べきもの、作為されるべきものだった。
- 丸山は、この朱子学から徂徠学への展開が、ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの展開に似ているとみる。徳川時代に起こった社会思想の変化は、西欧における中世のキリスト教社会から近代への移行に符合する。
- 丸山は、その後期においては、人間が物事を発想してゆく基本的なパターンは「つくる」「うむ」「なる」の3つの動詞に集約され、これは歴史の発展段階に関わりないことと考えた。
- 「自然」の2つの用法: ①人間が関わりあっている存在者の領域に対置される特定の存在領域としての「自然」、②「おのずからそうある」といったような状態をあらわす意味として使われ、特定の存在領域を指さない「自然」
- ハイデガーはプラトン/アリストテレスのもとで超自然的思考様式と物質的自然観が連動しながら成立し、<ある>ということ、<存在する>ということが<つくられてある>ことと受け取られることになり、この存在概念が以降<西洋>という文化圏の文化形成を既定してきたということを明らかにしようとした。
- ニーチェが最晩年に構想していた<力への意志>という概念は、草木が花開き動物が成長していくように、つねに元にあるよりより強くより大きくなろうとする生の本性を名指そうとするものだった。
- 存在了解: 「ある」ということを「つくられてある」と見るか「なりいでてある」と見るかは、人間の見方にかかっている。だからハイデガーは、「存在」は「存在しているもの」 に属するのではなく、人間の「存在了解」――存在者を見る見方――に属しているのであり、この「存在了解」は人間のその時どきの生き方と連動していると主張する。
- 超自然的思考と一神教: プラトン/アリストテレス流の超自然思考が一神教と結びつくとは限らない。しかし、プラトンの考えるイデアのイデア、つまり<善のイデア>や、アリストテレスにとっての最高の形相、<純粋形相>などには、唯一神への信仰を準備するところがあるように思える。
第2章 古代ギリシアで起こったこと
- ソクラテスとは: ポリス時代が終わり、世界帝国が展開されるヘレニズム時代に移行するその時代に生き、いわば時代を切断する役割を果たした。地中海の中の狭い地域で、自然にうまく包み込まれて生きてきた人たちの古い世界観を完全に断ち切る役目をした。「自然」な思考法を徹底的に否定し、結果的に、プラトンやアリストテレスが超自然的な原理を設定するための、思考の舞台を大掃除し、その舞台を準備したことになる。
- プラトンとは: 先生のソクラテスを断罪したアテナイの現実政治に絶望し、これまでのアテナイを支配してきた「なりゆきまかせ」、「なる」にまかせる政治哲学、さらにはそれを支えている「なる」論理を否定し、ポリスというものは一つの理想、つまり正義の理念を目指して「つくられる」べきものだという新しい政治哲学を構想しようとした。
- 自然と制作: プラトンは、「制作」を「自然」に従属させるのではなく、「制作」に独自の権利を認めようとする、いや、それどころかそれを軸にして「自然」を規定しようとした。そうすると、「自然」は、「超自然的原理」を形どって行われる「制作」のための単なる「材料・質料」としかみなされなくなる。つまり「自然」はもはや生きておのずから生成するものではなく「制作」のための死せる質料、つまり無機的な物質になってしまう。
- アリストテレスとは: アリストテレスの課題は、プラトンの行き過ぎた異国風のイデア論を批判し、これを巻き戻すこと、あるいはイオニア的伝統である自然的存在論と折衷するところにあった。だが結局は、それを修正しながら承け継いだことになる。
- 目的論的運動: アリストテレスは、プラトンの「形相―質料」という原理を制作物にも自然的事物にもうまく適用できるよう、これを「可能態―現実態」という図式に組み替えた。自然的存在者と制作物とを統一的にとらえ、これらすべての存在者は可能態から現実態へ向かう運動のうちにあると考えた。すべての存在者はそのうちに潜在している可能性を次々に現実化していくいわば「目的論的運動」のうちにあると考えた。プラトンの世界像は数学的、アリストテレスのそれは生物主義的と呼ばれることになった。
第3章 哲学とキリスト教の深い関係
- 新プラトン主義: プラトン哲学は紀元3世紀、プロティノスによって、オリエントやエジプトの神秘主義の強い影響下に、神秘主義的な色彩の強い「新プラトン主義」に改造された。
- アウグスティヌス(354-430): 新プラトン主義を経由したプラトン哲学を下敷きにして、キリスト教最初の壮大な教義体系を組織した。『神の国』で展開された教義がやがてローマ・カトリックの正統教義と認められることになる。プラトンの二世界説(イデアの世界とその模像である現実の世界)を「神の国」と「地の国」の厳然たる区別という形で受け継ぎ、あの制作的存在論によって世界創造論を基礎づけ、イデアに代えてキリスト教的な人格神を超自然的原理として立てた。
- 神の恩寵の秩序である「神の国」と世俗の秩序である「地の国」、ローマ教会と皇帝の支配する世俗国家、信仰と知識、精神と肉体とを区別するプラトン―アウグスティヌス主義的教義体系。「キリスト教は民衆のためのプラトン主義にほかならない」(ニーチェ)。
- 中世は、ローマ・カトリック教会の教区網だけがヨーロッパを統一する唯一の組織だった。そしてローマ・カトリック教会が世俗政治に介入するようになると、プラトン―アウグスティヌス主義的教義体系では具合の悪いことが生じてきた。そうした必要に応じて構築されたのが、13世紀のアリストテレス―トマス主義的な教義体系だった。
- 教義体系再編成の仕事は、12世紀に教会や修道院附属の学校(スコラ)の教師たちによって始められたので「スコラ哲学」と呼ばれた。スコラ哲学の大成者であるトマス・アクィナスが、アリストテレス哲学を下敷きにして新しい教義体系を組織した。
- アリストテレス哲学を下敷きにして考えれば、神の国と地の国とが、連続的なものとして捉えられ、当時ますます形をととのえ力を増しつつあった国民国家との関係に苦慮していたローマ教会にとって、実に有利な解決を手渡してくれるものだった。しかし当然のこととして腐敗堕落が深まった。
- そこで14世紀あたりから再びプラトン―アウグスティヌス主義が各方面で起こってきた。15世紀のルネサンス、16世紀の宗教改革、17世紀の近代哲学(デカルト、パスカルなど)などはみなこの流れ。
- デカルト: デカルトは「私は考える、それゆえに私は存在する」というテーゼによって近代的自我の自覚を達成し、そういう意味で近代哲学の創健者だといわれてきた。が、彼のいう近代的自我、理性としての私というのは、神的理性の出張所のような私にほかならない。プラトンが「イデア」と呼び、アリストテレスが「純粋形相」と呼び、キリスト教神学が「神」と呼んだ超自然的原理の出張所のようなものが、人間のうちに設定されたといってもよい。つまり何が存在し何が存在しないかを決定する役割を「人間理性」が果たすことになった。
- 肉体的感覚器官に与えられる感覚的諸性質は「物体」の、つまり「自然」の実在的構成要素ではなく、単に私たち人間にとって偶有的なものである身体への現れにすぎないのであり、「物体」つまり「自然」を真に構成しているのは、私たちの「精神」が洞察する「量的諸関係」だけなのだ、とデカルトは主張した。
- デカルトのもとで人間理性が、自然のうちに何が存在し、何が存在しないかを決定する原理の役割、したがってそれ自身は他のもののように自然のうちに存在するとはみなされない超自然的な存在、つまりsubiectum(基体)になり、しかもその基体の役割を認識の働きによって果たすことから、このsubiectumにやがて「主観」という意味が生じてくる準備が整えられた。そしてこのsubiectum(主観)の明確な認識の対象のつまりobiectum(客観)になりうるものだけが「真に存在する」と認められることになり、いわば「主観/客観」体制が成立することになる。
第4章 近代哲学の展開
- 古典的理性主義: 17世紀前半の理性主義。①神的理性を論じる「神学」、②世界の理性法則を論ずる「科学」、③人間理性を論ずる「哲学」、が互いに調和しつつある統一を保っていたので調和の時代とも呼ばれた。
- 啓蒙的理性主義: 18世紀の理性主義。神的理性の後見を排して、自立した人間理性が、これまで自分を支えてくれると思っていた宗教や、さらには形而上学さえ迷蒙と断じて、その蒙(くらがり・無知)を啓き、それを批判する理性になるということ。
- イギリス経験主義の哲学: 我々の認識はすべて感覚的経験にもとづく経験的認識だと主張。数学や物理学の認識の確実性をも否定した。
- カント: 『純粋理性批判』。純粋な理性的認識が有効に働く範囲と、その働きがまったく無効になってしまう範囲とを批判的に区別しようとした。カントのもとで人間理性は、限られた範囲においてであれば、もはや神的理性の後見などなくても、自然界に何が存在しえ、なにが存在しえないかを決定する、したがってそれ自身は自然には属さないいわゆる超自然的原理たりうることになった。
- カントの考えでは、われわれが認識するのは「物自体の世界」ではなく、人間の認識能力に特有の制限を通り抜けて現れる「現象界」。つまり、もの自体に由来する材料を、われわれはある形式(直観の形式)を通して受け入れ、そうして受け入れた材料を次に一定の形式(思考の枠組み)に従って互いに結びつけ整理する、そうすることによって初めて人間の間尺にあった世界(現象界)が現れ出でてくる。
- ヘーゲルの考えでは、精神が世界にその枠組みをうまく押し付けていくことができるためには、精神もまた世界に自分を合わせ、それに従わなければならない。精神と世界との関わりは相互的なもの(弁証法的なもの)と考えられた。
- 精神は、労働を通じて弁証法的に(=対話を通じて)成長していくのだが、その際、異質な力として自分に立ち向かってくる世界に働きかけ、それを自分の分身に変えていき、自由を獲得していく。ヘーゲルは世界史を、人間にとっての自由の拡大の道程として捉えた。
- カント哲学によって、自然の科学的認識と技術的支配の可能性を約束された人間理性は、今度はヘーゲル哲学によって、社会の合理的形成の可能性を保証され、自然的および社会的世界に対する超越論的主観としての位置を手に入れた。
- ハイデガーは、こうして超自然的思考様式はヘーゲルのもとで理論として完成され、以降は技術として猛威をふるうことになる、と言っている。
第5章 「反哲学」入門
- ニーチェ: プラトン以降のいわゆる西洋哲学・道徳・宗教はすべてプラトニズムであり、それをいかに克服するかがニーチェの課題だった=「プラトニズムの逆転」。
- ライプニッツ―カント―ショーペンフアー―ニーチェとつらなる思想の系譜(=ドイツ形而上学)では、「意欲・意志」のほうが、「表象・認識」の能力よりも根源的なものだと見られている。ドイツ語の「意志・意欲」はむしろ「生命衝動」とでも言ったほうがいいようなもの。つまり、弱肉強食の世界でただ生きようとする、どこにいくのかまったく分からない無方向な生命衝動のようなものが考えられている。
- 「アポロン的なもの」、つまり知性をも自分自身の一つの契機として含み込んだ「ディオニソス的なもの」という新しい「生(レーベン)」の概念は、古い時代のギリシア人のいう「自然」の概念とも齟齬しないものであり、これをニーチェは「力への意志」と呼んだ。
- ニヒリズムの克服: 超越的な最高価値が力を失ってこの世界が無価値無意味になったことを消極的に嘆き悲しむだけでなく、そんな超感性的価値などもともとなかったのだということを積極的に認め、そうした最高価値を積極的に否定する以外に、つまりニヒリズムを徹底していく以外に途はない。=神は死んだ
- 超自然的原理がことごとく否定されたいま、自然はふたたび自分自身のうちに生成力をとりもどし、おのずから生きいきと生成していくものになっている。ニーチェは、新たな価値定立の原理を、この生きた自然ともいうべき感性的世界の根本性格、つまり「生」に求めるしかないと考え、それを「力への意志」と呼んだ。
- 価値とは: 「<価値>という目安は、生成の内部での生の相対的持続という複雑な機構にかかわる確保と高揚の条件となる目安である」。ここで「目安」と訳したGesichtspunkt(ゲジヒツプンクト)は、視線が向けられる点、つまり目のつけどころ、着眼点、目安という意味がある。つまり価値となる何かをみつもるために付けられた目安。生はつねに現にあるよりもより大きく、より強くなろうと生成している。したがって生は、①自分が到達した現段階をみつもり確保するための目安と、②これから高揚していく次の段階の目安という二重の目安、つまり二重の価値を設定しなければならない。「価値」とは、これまで考えられてきたような、それ自体で「妥当する」なにかではなく、あくまで生の機能でしかない、とニーチェは主張する。
- 認識と真理: 二重の目安のうち、到達した現段階を確保するためにつけられる目安、そのために設定される価値が「真理」であり、それを設定する働きが「認識」である。「高揚するためには、われわれはおのれの信念において安定していなければならないということから、われわれは<真の>世界は転変し生成する世界ではなく、存在する世界であるということを捏造してしまったのである」。
- 「認識する」というのは、実際には「<認識する>のではなく、図式化するのである――われわれの実践的欲求を満たすに足るだけの規則性や諸形式を混沌に課すのである」。図式化により、あたかもそれが静止した不変のものであるかのように思い込もうとするのが「認識」の働きである。「実践」というのは、もともとは「生の遂行」であり、「実践的欲求」とは、生きていくための欲求。ニーチェは、「認識」も「真理」もそうした生の本質的機能に属するものだということを明らかにすることがニヒリズムの克服に必要だと考えた。
- 芸術と美: 高揚のための価値定立作用こそ「芸術」であり、それによって定立される価値が「美」にほかならない。
- ニーチェは、精神に対する肉体の優位を主張した。プラトンやデカルトが典型的な形でおこなったような、肉体から浄化された「精神」を手引きにした超自然的(=形而上学的)な世界解釈を否定して、肉体を手引きとする新たな世界解釈を提唱しようとした。芸術がなににも増して肉体の所業だからにほかならない。
- ニーチェは、形而上学の完成者ではあっても、その克服者ではなかった、とハイデガーは見ている。
- ハイデガーは、現存在が<存在する>ということをどう了解するか、つまり<存在了解>は勝手気ままに行えることではなく、現存在が自分の存在の時間的構造をどう組み上げるか、つまり未来や過去とどう関わりあうか、たとえば流れるにまかせるように生きるか、それとも積極的に立ち向かっていくような生き方をするかということと密接に関連している、つまり「時間と存在」は密接に結びついていると考えていたらしい。
- ハイデガーは、まずプラトン/アリストテレス以来、西洋の伝統的存在論において一貫して承け継がれてきた存在概念が<存在=被制作的存在>と見るものであったことを明らかにする。当然そこでは、<存在するもの>の全体が<作られたもの>あるいは<作られうるもの>、いわば制作の無機的な材料と見られる。自然を死せる物質(質料・材料としての物)とみる<物質的自然観>と言っていいかもしれない。<西洋>と呼ばれる文化圏での文化形成はそうした存在概念、そうした自然観の上に立って行われてきた。
- ハイデガーは、存在概念を転換することによって文化形成の方向を大きく転換しようと企てた。存在者の全体を生きて生成するものだと見る、いわば生きた自然の概念を復権する、<存在=生成>と見る存在概念によって。
- 存在概念の転換、というよりその基底である存在了解の転換は、単なる頭の中の操作ではなく、現存在の存在の時間的構造の転換と連動している。つまり、自分の未来や過去との関わり方を根本から変える必要がある。おそらくハイデガーは、ナチスの文化革命にそうした夢を懸けたに違いない。
- ソクラテスやプラトンは、<叡知>を意識的に探し求め、存在者の統一を可能にしているものは<なんであるか>と問うた。しかし<それはなんであるか>と問うとき、すでに始原のあの調和は破れてしまい、問う者はもう始原の統一のうちに包み込まれたままでいることはできない。こうして<叡知>との調和が、それへの<欲求>、それへの<愛(エロス)>に変わり、<叡知を愛すること>が<愛知=哲学>に変わってしまう。プラトンによって用意された知のこの欲求・探求がアリストテレスによって「存在者とはなにか」という問い、つまりは「存在とはなにか」という問いに定式化された。
- <それはなんであるか>という問いは、<本質存在への問い>と呼ばれてきたものだが、こう問うとき、存在はすでに<本質存在>に限局されてしまっている。つまり、存在するものの全体を、生きておのずから生成するものと見、自分もその一部としてそこに包み込まれ、それと調和して生きるときと、その存在するものの全体に<それはなんであるか>と問いかけるときでは、存在者の全体へのスタンスの取り方がまるで違う。