ダイアローグ170904

日本発の珠玉の経営論


[この本に学ぶ]
場の論理とマネジメント
伊丹敬之 著
東洋経済新報社(2005年)


アメリカのビジネススクールで大学院教育を受け、博士号をとり、教えもした筆者が、日本に帰り、日本企業の現実をいいところも悪いところも詳細に知るにつれ、日米のマネジメント・スタイルには大きな「違い」があることを感じるようになっていた。その「違い」とは――。

スポーツに例えるなら、アメリカ型の経営はアメリカンフットボールのゲームマネジメントに似ている。分業が徹底され、各プレーヤーはそれぞれのポジションのスペシャリストで、そのスペシャリストたちがクォーターバックの指令のもとに、詳しく作られたプランに従って行動する。一方、日本の経営はラグビーやサッカーに似て、明確な司令塔が存在しないまま、選手が互いのプレーを見ながら、全体の流れを作っていく。

アメリカのビジネススクールの教えとは大きくかけ離れた、ラグビーやサッカーに似た日本の経営はなぜ機能するのか? 著者が抱き続けたこの疑問を氷解してくれたのが、本欄でもこれまで3回にわたって紹介してきた「場」の概念だった(#170529  #170727  #170823)。

清水博氏が提唱したバイオホロニック(生命関係学)の概念をベースに、本書の著者である伊丹敬之氏がこれを経営論として展開、さらに同学(一橋大学)の野中郁次郎・西口敏弘教授らもそれぞれ独自の観点から論じるようになった、というのが経営学における「場の理論」の流れとなる。

「場の理論」に基づく伊丹氏の経営論は、経営学の教科書などでこれまで常識的に受け入れられてきた「ヒエラルキーパラダイム」から、「場のパラダイム」へのパラダイム転換を提唱するもの。組織を階層(ヒエラルキー)と考え、そのヒエラルキーの中でのタテの命令系統を中心に中央集権的なマネジメントを行おうとする「ヒエラルキーパラダイム」一辺倒から、組織を情報的相互作用の束と見る「場のパラダイム」へとマネジメントのあり方の重心を移動しようという主張であり、それは別の言葉でいえば「日本的経営」の普遍化への挑戦だといえよう。

「場の理論」の、伊丹氏によるマネジメント論への展開、さらには野中氏らによる知識創造理論への展開は、ともに理論として精緻であるばかりでなく、実践性にもきわめて富むもの。筆者(馬渕)としては、両氏によって紡ぎ出された日本発のこの珠玉の理論が、日本のビジネスの現場に広く普及・浸透し、それにより、少しでも多くのビジネスパーソンが毎日をいきいきとした職場で働くことができるようになることを願ってやまない。「場の理論」はそれを十分可能にする、潜在力に満ちた概念だと確信する。

そのためにも、まずは私自身が、清水、伊丹、野中氏らによる「場の理論」への理解をさらに深めることに努めたいと思う。日本発の珠玉の理論の明るい未来を祈念して、乾杯!



序 章 空間は情報に満ちている

第Ⅰ部 場の論理とメカニズム

第1章 場の論理
  • 「場」とは: 人々がそこに参加し、意識・無意識のうちに相互に観察し、コミュニケーションを行い、相互に理解し、相互に働きかけ合い、相互に心理的刺激をする、その状況の枠組みのこと。「情報的相互作用」と「心理的相互作用」の容れもの。
  • 「場」という容れものによって境界が区切られて初めて、継続的で密度の濃い相互作用が起きる。
  • 「場」という容れものの中で情報的相互作用が濃密に起きると、3つのことが自己組織的に起きる。①人々の間の共通理解が増す、②人々がそれぞれに個人としての情報蓄積を深める、③人々の間の心理的共振が起きる。

第2章 経営組織の中の場
  • 組織の経営は、その目的という観点からいえば、組織の業績を良好な水準に保つために行われるものである。…業績を直接的に決めているのは、しかし、経営そのものではない。経営の結果として導き出される、組織に働く人々の事業行動である。その事業行動の「協働ぶり」である。エンジニアが開発し、工場の人々が生産し、営業が販売し、財務は資金を調達する。そうした事業行動の総体が業績を決める。
  • 組織に働く人々が組織のために現在行っているのは、①現在の業績を直接的に決める「(現在の)事業行動」ばかりでなく、②将来のための「学習活動」もある。
  • 行動、学習、意思決定、心理的エネルギーの4つが、人々が組織の中で行っていること、発生させているもの。その全体が、人々の協働の総体である。

第3章 場のメカニズム
  • 「場」とは: そこに参加するメンバーが次の4つの「場の基本要素」をある程度以上に共有することによって、さまざまな様式による密度の高い情報的相互作用が継続的に生まれるような状況的枠組みのことをいう。
    1. アジェンダ(情報は何に関するものか)
    2. 解釈コード(情報はどう解釈すべきか)
    3. 情報のキャリアー(情報を伝えている媒体)
    4. 連帯欲求
  • ミクロマクロループ: 人々は、自分が全体との関係で存在することを常に意識しながら、その意味で全体を自分の中に取り込んで、他者との関係の中で自分の行動を決めていこうとする。「全体の衣を着た個」なのである。こうして自発的に起きている「個」と「全体」を結ぶループをミクロマクロループと呼ぶ。
  • 人間観: 組織の中の人間は、自分の行動を自分の利益のために選択する自律性をもつ一方で、周囲の人々との関係の中で協力的に全体をも考えた行動をする。性善説でも性悪説でもない、いわば性弱説。自律性、相互励起、協力性、関係形成能力、刺激への反応、優しさと弱さ、そういうもので特徴づけられる個人が集団として情報処理を相互作用の集積として行い、その結果としての意思決定を行い、行動や学習をしていく。
  • 組織観: 組織を「情報的相互作用の束」と考える。情報的相互作用そのものを「経営」の対象と考える。

第Ⅱ部 場のマネジメント

第4章 場のマネジメントとは
  • 経営とは: 人々の協業を促し、率い、そして協業全体のかじ取りをすること。「協業作業の統御」、即ち、制御と放任の間、その中間のどこかに経営の本質がある。
  • 場のマネジメントが可能となるための基礎条件: 個人の側の条件として、連帯欲求をかなり持っていること、組織の側の条件として、自由、信頼、基礎的情報共有の3つの条件が満たされていること。
  • 場の相互作用にメンバーが参加意欲をもつ要因: ①メンバー個人の裁量行動が正当だと組織の中で考えられていること、②メンバー間で共通理解が生まれる可能性がかなり高いとメンバーが考えていること、③場での相互作用のアジェンダへの信認がメンバーにあること。

第5章 場の生成のマネジメント

第6章 場のかじ取りのマネジメント
  • 人々の協働を何らかの意味で統御する「経営」の本質(=プロセスマネジメントの原理)とは、「ヒトを刺激する」「ヒトを方向づける」「ヒトを束ねる」ということ。それをよりかみ砕いて具体的な5つのステップとして表現したのが下表。

第7章 場における情報蓄積

第Ⅲ部 場のパラダイム

第8章 マネジメントのパラダイム変換

第9章 場の中のマネジャー
  • 場のマネジャーは下表の4つの顔を持つ


  • 「空間」の設計者: 設計者としての場のマネジャーは、空間の設計者となる。人々の間を目に見えない形でつないでいる「空間」を何で満たすかを考える設計といえる。その満たされたものによって、情報がキャリーされ、あるいは感情のやりとりが人々の間に起こる。情報の流れと感情の流れの両方を起こし、その結果として「情報的共振」と「心理的共振」を生み出せるような空間のあり方、人々のつながり方を考えるのである。
  • 空間を設計するということは、その空間の中で「起きること自体」は設計しない、操らない。空間を設計するとは、「あいだ」のあり方を設計するということ。その「あいだ」でつながりをもち、「あいだ」で動くのは個々のヒトである。そのヒトの行動そのものを操ろうと設計するのではない。だからこそ、その空間の中でヒトは自由になれる、自律的に動けるのである。
終 章 経営を超えて、ダイコトミーを超えて