ダイアローグ170827

「経営理念が浸透している状態」とは


[この本に学ぶ]
実践の場における経営理念の浸透
柴田仁夫 著
創成社(2017年)


筆者(馬渕)は「経営理念」というものの本質を理解したいと思い、さまざまな本を読み、本欄で紹介してきたが、それらは、皆さんからするとおそらく「経営理念とどこが関係あるの?」と思われるものが大半を占めたのではなかろうか。

だがしかし、それには相応のワケがある。「経営理念」というのは、企業(組織)にとってはまさにその存在の根幹をなすものであり、人間(個人)に例えて言えば「人は何のために生きるのか?」といった質問に答えるようなもの。それほど易々と答えの出せる問題ではない。

そこで、これまではあえて遠回りをしながら外堀を一つひとつ埋めてきたつもりだが、前々々回~前回で紹介した清水博氏や野中郁次郎氏の唱える「場」の概念を学ぶことを通じて、「人と組織との関係(とりわけ日本におけるその関係)」の本質が、それなりの確信をもってイメージできるようになってきたーーというわけで、やっとの末に攻め入った本丸の最初の一冊が、本書『実践の場における経営理念の浸透』である。

経営理念の浸透を促進するプロセスとして、本書では「実践コミュニティ」の重要性が説かれている。これは野中らが提唱する「場(Ba)」に類似した概念だが、野中は、両者の違いを次のように説明する。

場の概念は実践共同体の考えに類似するところもあるが、場は動的であるという点において大きく異なっている。実践共同体は学習の場所である一方、場は動的な知識創造の場所である。実践共同体の境界は仕事や文化、コミュニティの歴史などによって堅固に設定されているが、場の境界は流動的ですぐに変化が可能である。…実践共同体の参加者はコミュニティに所属するが、場の参加者は場と関係するのである。(『流れを経営する』P.66)

というわけで、両者は確かにミクロのレベルで比較すると違いはあるものの、学習(あるいは知識創造)を、従来の学習のように技能の熟達や知識の蓄積という個人の内面的な変化、言い換えれば「頭の中に知識を蓄積すること」と捉えるのではなく、実践に参加することによって生じる他者との関係の変化によって生じるーーと捉える点では同じ立場を取る考え方だといえる。

上記の「実践コミュニティ」は、暗黙知の理解促進プロセスに関する分析概念として採られているものがだが、一方、形式知に関しては、言語学の語用論の一分野である「関連性理論」がその分析概念として用いられている。これは、従来のコード・モデルを使ったコミュニケーション・プロセスでは説明のつかない部分を上手く補完するもので、形式知としての経営理念が浸透するプロセスを分かりやすく説明してくれている。

著者は、経営理念が浸透している組織とは、「経営理念を自身のコンテクストとの関連性で捉えられる従業員が多く、経営理念を意思決定の指針とした実践が自律的に行われている状態」にある組織だという。とても的確な捉え方であり、こうした状態をつくるためには、どのような経営理念の設計ならびに浸透のためのインターナル・コミュニケーションのあり方が求められるのかを、引き続き考えていきたいと思う。




序章

第1章 経営理念の浸透が注目される背景

第2章 経営理念とは何か

第3章 経営理念の浸透に関する先行研究の考察
  • 経営理念の浸透に関するこれまでの研究を、以下の8つの理論に分類する。
    1. 「強い文化」論
    2. 観察学習モデル
    3. 意味生成モデル
    4. 読者の視点論
    5. 組織シンボリズム論
    6. 正統的周辺参加(状況的学習論)
    7. 組織ルーティン論
    8. 組織コンテクストのアイデンティティ論
第4章 「実践の場における経営理念の浸透」の理論構築のための先行研究
  • 本書ではコード・モデルの表現を使い、形式知は「コード化された言葉、知識」をいい、暗黙知は「形式知以外のもの」と定義する。
  • 経営理念には、その策定者の想いが「形式知化できた部分」と、形式知化できなかった「暗黙知部分」が必ず混在する。
  • インターナル・マーケティング: 組織内の全員が自社のマーケティング・コンセプトとマーケティング目標を信じ、顧客価値の選択、提供、伝達へ積極的に関与するよう仕向けること。企業が有する競争優位の最大の源泉となる自らの従業員をターゲットとしたマーケティング。「満足している従業員が顧客満足を導く」
  • 言語コミュニケーションと非言語コミュニケーション: 人は非言語コミュニケーションを優先する。成文化された経営理念は、知識経営学の視点からは経営理念の形式知の一部であり、コード化されているため言語コミュニケーションが可能だが、言語化されていない経営理念は暗黙知部分であるため、非言語コミュニケーションによって意図を伝達する必要がある。

  • 関連性理論: Sperber and Wilson[1995]は「ことばによるコミュニケーションは、聞き手が言語的意味に解読を証拠とし、その解読結果と文脈に基づいて「推論」を行うことによって、話者の意味を復元する」ことで成り立つとし、コード・モデルに代わるコミュニケーションの発展的推論モデルを提唱した。
  • 状況的学習論: 従来の学習のように技能の熟達や知識の蓄積という個人の内面的な変化、言い換えれば「頭の中に知識を貯蔵すること」を学習として捉えるのではなく、実践に参加することによって生じる他者との関係の変化によって生じることを学習として捉える。
  • 正統的周辺参加: 学習を個体による知識、技能の獲得過程としてではなく、実践共同体への参加過程として理解、叙述すること。

  • 実践コミュニティ: 「人と活動と世界の間の時間を通しての関係の集合」であり、また「それに接したり重なり合ったりしている他の共同体との関係」をもち、「知識の存在の本質的条件」である。「実践を共有する」コミュニティ。
  • 相互関与は「意味の交渉のプロセス」である。Wengerは意味の交渉を「表象的対象を絶えず生産し、再コンテクスト化すること」とし、「参加」と「物象化」という二面性を持つものとして定式化した。これは実践コミュニティへの参加、すなわち対話や非言語のコミュニケーションを通じて物象化、つまり体験にかたちを与えるプロセスでもある。意味がコード化によって一意的に決まるのではなく、他者とのやりとりのなかで形成されていくもの。
  • 顧客満足「期待不一致モデル」: 顧客の満足は、顧客が事前に抱く「期待」に対しその後の「成果」がそれを上回るか下回るかによって満足が決定する、というモデル。

  • 顧客満足のピラミッド: 顧客が支払う代価に対して当然受けられると期待しているサービスを「本質サービス」、代価に対して必ずしも当然とは思わないが、あればあるにこしたことはない期待サービスを「表層サービス」と定義。顧客の満足を高めるためには本質サービスより表層サービスを充実する必要があるが、本質サービスが安定していないと表層サービスが充実しがたい。
  • 従業員満足: 顧客満足は従業員満足によって高められた従業員の組織に対するロイヤリティの向上の結果、生産性が向上し、サービス品質が高められることにより高まる。従業員満足は、従業員の働きやすさやモチベーションを高めるための内部サービス品質によりもたらされる。
  • SERVQUAL: サービスの品質を「有形性」「信頼性」「反応性」「保証性」「共感性」の5つの構成要素によって測定する、測定モデル。
第5章 「個人の認知」と「状況に埋め込まれた学習」による経営理念浸透のしくみ
  • 経営理念が浸透している組織とは: 社内コミュニケーションを通じた「個人の認知」と「実践コミュニティによる学習」により、経営理念を自身のコンテクストとの関連性で捉えられる従業員が多い企業は、ステークホルダーに対し経営理念を自律的に実践する。
  • 従業員は、自身のコンテクストの書き換えを繰り返し続けている。その結果、時間を経るほど個々の従業員のコンテクストは自社の経営理念との関連性が高くなり、企業が重視するステークホルダーに対して、従業員は経営理念に則った行動を自らの意思で実践するようになる。
第6章 経営理念の浸透に関する実態調査

第7章 仮説の検証

終 章