ダイアローグ170823

「知識創造理論」の集大成


[この本に学ぶ]
流れを経営する 持続的イノベーション企業の動態理論
野中郁次郎 遠山亮子 平田透 著
東洋経済新報社(2010年)


経営学の世界的名著として知られる『知識創造企業』(1996)の著者、野中郁次郎氏が、その後の思索を綜合しながら企業はどのように組織的に知識を創造し活用していくのかを独自の動的理論によって書き著した、「知識創造理論」の集大成といえる一冊。「経営」というものの本質が、「知識」という概念を通じて実に見事に、しかも全体像として捉えられており多くの学びと発見を提供してくれる。

書名にある「流れ」とは、企業が知識を創造し、活用していくことを「継続する流れ」として動態的に捉える、本書の基本的視点を示すもの。その論旨を本書の序文から抜粋すると――。
  • 本書の目的は、企業がどのように環境との相互作用の中で組織的に知識を創造し、活用していくのかという複雑でダイナミックなプロセスそのものを取り扱い、そうしたプロセスを説明する知識ベース企業の動態理論を確立すること。
  • 経営とは企業の卓越性を追求する「生き方」であり、存在理由を決めるのは人々の価値観であり、その価値観に基づく意思決定であり、企業が創出する社会的価値であるということ。知識ベースの企業経営とは、存在論的な「なぜ存在するのか」という問いと、認識論的な「何が真・善・美か」ということについて、日々の連続した業務において繰り返し自問自答し、卓越性の追求の中から社会的な価値を創造する革新活動なのである。
知識は「関係性」の中で創られる。対話と実践という人間の相互作用によって知識を継続的に創造していくためには、相互作用が起きるための心理的・物理的・仮想空間が必要となる。知識創造理論では、そうした空間を「場」と呼び、組織創造プロセスにおける中核的概念として位置づけているが、この「場」は、本欄の前回ならびに前々回で紹介した、清水博氏が提唱する「場所」の概念に基づくもの。知識創造活動の基盤であり、「知識が共有され創造され、活用される共有された動的文脈」と定義される。

経済学起源のこれまでの経営学においては、組織はつまるところ、契約や資源の集合体であると見られてきたが、知識創造理論においては、組織は互いに重なり合う多種多様の「場」の有機的配置と捉えられる。そこでは人と人、人と環境はそれぞれが持つ知識とそれぞれが生成する意味に基づいて相互作用を行い、新たな関係性を築いて「場」を動かし、互いに連結している。企業を組織的構造ではなく「場」の有機的配置と捉えることにより、組織を組織図ではなく「知の流れ」によって把握する――というのが、知識創造理論における「場」の位置づけとなる。

清水博氏の「場所」は、もともと「生きている状態」とはどういう状態のことを言うのかを明らかにする、つまりは「生命とは何か」を捉えなおすために提唱された概念だが、本書における「場」の概念もそれをまったく継ぐものであり、明示的表現はわずかにしか見られないものの、本書の底流には「生命とは何か」という根源的な問いが脈々と流れている。それは本書巻末の「総括的考察」に見られる次の引用にも示されている。

「万物流転」の間断なき流れの只中で、組織が環境の変化に能動的に絶妙のバランスを保って応答していくためには、絶え間なく壊し、そして作り直していかなければならない。壊しながら作ることで全体としての秩序を保つ「動的平衡」の維持こそが生命の本質である(福岡伸一『動的平衡――生命はなぜそこに宿るのか』)。

組織はどうすれば「生き生きとした」状態を保ち続けることができるのか。この問いに対する最も的確な答えは、「生命とは何か」という探求の中に見出されるに違いない――筆者(馬渕)も同様、そう信じている。なぜならば組織もまた、大自然の法則の下に形づくられた「生命」という秩序の一形態に他ならない、と思うからだ。




第1部 理論編

第1章 知識について
  • 知識とは何か: 知識とは「個人の信念が真実へと正当化されるダイナミックな社会的プロセス」と定義する。
  • 主観性: 知識ベースの企業理論では主観を重視するが、それは客観を無視するということではない。客観は主観から生み出され、主観は客観によって変化していくという、主観と客観との弁証法的綜合により知識は創造されるという考え方である。
  • 関係性: 世界は出来事や経験によって構成されており、その中に存在する「モノ」ではなく、それらの間の「関係性」によって構成される。人は常に未来の自分へと「成る」状態にあり、現在の自分として「ある」状態は「成る」状態の一側面にしかすぎない。過去が未来を決定するのではなく、どのような未来を描くかによって過去と現在がどのような意味を持つのかが決定される。
  • 審美性・美学: 企業は「良い」製品やサービスという価値を提供することにより存続するが、何が「良い」かを判断するのはその企業の人間や顧客がどのようなことを真・善・美として見るかによる。
  • 実践: 経営学は普遍の規則に基づく分析から形成されるのではなく、企業が直面する個別具体の問題に対処する「実践」の中から創発される。
第2章 知識創造の理論
  • 暗黙知と形式知: 知識を伝えて共有化するには、動いている流れである「動詞」の状態(=暗黙知)をいったん「名詞」(=形式知)として捉えることにより、伝達や取扱いを容易にし、そして名詞となった知識を受け取った側がそれを解釈することにより、再び動詞に戻すという過程がある。
  • 暗黙知にはノウハウのような「行動スキル」ばかりでなく、思いや視点、メンタルモデルといった「思考スキル」も含まれている。
  • SECIモデル: 暗黙知と形式知の継続的な相互変換は、「共同化」「表出化」「連結化」「内面化」という4つの変換モードからなる知識創造モデルによって表される。
第3章 プロセスモデルの構成要素
  • 知識創造動態モデル: このモデルの主要な構成概念は、SECIに方向性を与え、SECIを回す力の源泉となる「知識ビジョン」と「駆動目標」、「対話」と「実践」で表されたSECIプロセス、現実にSECIプロセスが行われる実存空間としての「場」、SECIプロセスのインプットでありアウトプットである「知識資産」、そして場の重層的な集積であり、場の境界を既定する制度を含む知の生態系としての「環境」の7つである。
  • 知識ビジョン: その企業の知識の本質を定め、絶対的な価値追求に焦点を当てることにより、企業が描く独自の未来を規定し、理想とするミッションやドメインを決定する。それは現在企業が「ある」姿の延長としての未来ではなく、まず「かく成りたい」という未来を描き、そこから現在「何をなすべきか」を既定するものである。
  • 主観に基づく個人の知が他者の知と綜合されて新たな知が創出されるためには「知の正当化」という社会的な浸透過程が必要であるが、こうした正当化が起きるためには、企業は何を「真・善・美」とするかについての一貫した価値基準を持たねばならない。

  • 知識ビジョンは、組織の構成員の知的情熱を触発する。
  • 企業の知識ビジョンの策定においては、企業の主体的存在意義を示す「絶対的な価値」を追求することが求められる。「われわれは何のために存在するのか」という存在論から始まる知識ビジョンは、決して完全には達成されないかもしれない理想へと組織を向かわせるという意味で無限である。
  • 知識経営に必要なのは「理想主義的プラグマティズム」である。知識ビジョンが真に機能するためには、そこに込められた理想の本質を組織成員一人ひとりが理解し、それを内面化して自分の価値基準とし、それに基づいて行動できるようになるというプロセスが不可欠である。

  • 駆動目標: ビジョンと対話・実践の知識創造プロセスを連動させ、組織がどのような価値を提供するか、あるいはどのように提供するかについての具体的かつ挑戦的な概念、数値目標、行動規範など。知識創造プロセスのエンジン。その実現のためには絶えざる知識創造を必要とする。
  • 対話と実践: 知識ビジョンに導かれ、駆動目標によってエネルギーを与えたれた組織成員は、主観と客観の相互作用の中で矛盾を綜合し、知識を創造する。この矛盾解消プロセスは、具体的には「対話」と「実践」を通しての弁証法的方法によってなされる。弁証法的な「対話」は表出化や連結化において、「実践」は共同化、内面化において有効な方法。
  • 弁証法: 知識は、流動する関係性の中から生み出される矛盾を二者択一によって解決するのではなく、矛盾を内包したより高次のレベルへ綜合する弁証法により創造される。

  • ヘーゲルの正・反・合という否定を含む「ハードな弁証法」に加えて、矛盾や対立する立場を容認し、相互に関連するプロセスとして取り込む「ソフトな弁証法」の両方が有効。
  • 対話(思考の弁証法): ホンダにおける3つのレベルの質問。レベルA=製品スペックについての質問。レベル0A=コンセプトについての質問。レベル00A=存在理由についての質問。
  • 実践(行為の弁証法): 行動する中でその行動と結果の本質的な意味を深く考え、そこからの反省を踏まえて行動を修正していくことが必要=「行為の只中の熟慮」。

  • 場: 対話と実践という人間の相互作用により、知識を継続的に創造していくためには、そうした相互作用が起こるための心理的・物理的・仮想的空間である「場」が必要。「場」は「知識が共有され創造され、活用される共有された動的文脈」と定義される。
  • 「場」とは、参加者の間で自他の感性、感覚、感情が共有される「相互主観」が生成している状態。
  • 「場」は、過去・現在が未来と出会う場所でもある。「あのとき、あそこで」が、場において「いま・ここ」に成るのである。

  • 場の促進要素: ①場は独自の意図、目的、方向性、使命などを持った自己組織化された場所でなければならない。②参加するメンバーの間に目的や文脈、感情や価値観を共有しているという感覚が生成されている必要がある。③場には異質な知を持つ参加者が必要である。④場には浸透性のある境界が必要である。⑤場には参加者のコミットメントが必要である。
  • 「場」は、環境と構造と行為主体が「いま・ここ」の関係性の中で交差し、相互浸透することによって生まれ発展する。場は動詞的であるのに対して構造は名詞的であり、構造とは場という動態を固定化したものと見なすことができる。
  • 知識資産: 知識資産は、知識創造プロセスのアウトプットであると同時にインプットでもあり、生み出された知識はまた、新たなプロセスに投入されて、新たな知を生み出す。

  • 型: 状況の文脈を読み、統合し、判断し、行為に繋げるために個人や組織がもっている思考・行動様式のエッセンス。「守・破・離」の三段階を経て学び取られ、発展する。
  • 環境(知の生態学): 企業は、組織や団体、個人などの企業や企業の顧客や供給業者のコミュニティからなる動的関係性の中で、それらの外部の知と自らの知を綜合し新しい知を創出していく。
第4章 知識ベース企業のリーダーシップ
  • リーダーシップ: 対話と実践を一貫性をもって方向づけ、組織内外の知の綜合を促進する機能を果たすのがリーダーシップ。知識ベース企業のリーダーシップは、リーダーとフォロワーの役割と関係が固定化した管理統制型リーダーシップではなく、文脈ごとに臨機応変にリーダーが決まる、より柔軟な「自律分散型リーダーシップ」が基本となる。
  • リーダーシップの役割: リーダーは知識ビジョンを設定し、場を創設・結合・活性化し、SECIプロセスを促進し、方向づけ、知識資産の開発と再定義を行う。
  • 知識ベース企業におけるリーダーシップとは、普遍的な共通善を志向しつつ、現在における行為の只中で判断を行い、そしてその判断を実行するという、「実践」を含んだ概念。「理想主義的プラグマティズム」。

  • フロネシス: アリストテレスは知識を「エピステーメ」「テクネ」「フロネシス」の3つに分類した。「エピステーメ」は普遍の真理。時間・空間に左右されない文脈独立的な客観的な知識。「テクネ」は実用的な知識やスキルを応用することで何らかのものを生み出したり、作り出したりするノウハウ。手段的合理性を基礎とし、文脈依存的で暗黙知的な技術知。「フロネシス」は実践の中から得られる高質の暗黙知であり、価値や倫理についての思慮分別を持つことにより、時々刻々と変化するそのつどの文脈や状況において、全体の善という目的を達成するために最善の判断と行為ができる能力。
  • フロネシスの能力: ①善悪の判断基準を持つ能力、②場をタイムリーに創発させる能力、③個別の本質を洞察する能力、④本質を表現する能力、⑤本質を共通善に向かって実現する政治力、⑥賢慮を育成する能力

  • ③個別の本質を洞察する能力: 個別具体的な場で共感により得たものは、その本質を追求することで、その経験から一定の普遍的な真実を得ることができる。これが「正当化」の過程にあたる。一回性の出来事に普遍性を読む。そのためには、ミクロとマクロの双方を同時に見ることが必要。「神は細部に宿る」。個別の細部に真理を直観する気づきは創造の原点。
  • ④本質を表現する能力: 個別具体と普遍を往還する能力とは、ミクロの直感を、対話を通じて図像化し、概念化してマクロの構想力(歴史的想像力、ビジョン、物語)と関連づけて説明し、説得する能力である。
  • ⑤本質を共通善に向かって実現する政治力: 政治力とは、人間の相反し矛盾する性質――善と悪、楽観と悲観、蛮性と知性、勤勉と怠惰などーーを理解し、場の文脈に応じてタイミングよくそれらを直観・調整していく力。このような政治力によって、知識の共有や創造を促進し、知識創造のコストを削減することができる。

  • ⑥賢慮を育成する能力: 「一人ひとりが自分たちの目で見られるようになる」というのが「賢慮が分散された状態」。知識リーダーシップが機能するためには、ミドルマネジャーたちが、ビジョンや駆動目標を具体的なコンセプトや計画に落とし込み、場を醸成しスモールワールド・ネットワークの中で結びつけ、対話と実践をリードする「ミドル・アップ・ダウン」が鍵となる。賢慮はフロネティックなリーダーを「手本」として、またその行動様式を「型」として、次の世代に継承されていく。
  • フロネシスとは、その場その場で個別の行為の最適性を、より大きなマクロの最高善に向かって良き実践を行うことをめざす。それは普遍的価値と個別具体の現実を両立させる理想主義的プラグマティズムを体現する知であり、突き詰めれば個人や組織の「生き方」である。生き方としての「卓越性」を追求する中で、知識は実践的な知恵として変化し続ける。そのような知恵のダイナミックな実践、あるいはフロネシスが、知識ベース経営の本質である。
第5章 知識創造理論の物語的展開

第2部 企業事例編

第6章 理念・ビジョン

第7章 場と組織

第8章 対話と実践による事業展開

第9章 リーダーシップ

終 章 マネジメントの卓越性を求めて
  • 実践知経営: 実践知経営の本質は、固有の経験の集積としての個人が未来を心に思い描き、その未来の実現のために、そのときその場で最善の決断を行い、行動するプロセス。固定的な法則性に基づく経営を行う従来の企業観とは異なり、マネジメントに関する唯一普遍の法則はそこには存在しない。
  • 企業の究極的な目的は利益ではなく、コミュニティや従業員を含む「企業のステークホルダーの幸福」である。こうした目的の追求が、独自の絶対的価値の追求へとつながり、それが企業の社会的存在意義をもたらす。企業は、それぞれの信念に基づいて行動する人々の共同体を形成し能力を補完しあい、共同体において夢や理想を共有し、幸福に向けて独自の価値の構築を追求する存在であり、その絶え間ない実践の結果として、イノベーションを起こし、利益を得て存続していくのである。

  • 知識ベース企業における戦略的マネジメントの本質: ①共通善、すなわち社会にとって「何が良いか」を知ること、②「卓越性」への絶えざる追求
  • 実践的推論を磨く: 企業経営においては、厳密な客観的事実から結論を導く「論理的推論」だけでは対応できない。不完全な情報の下で「いま・ここ」の意思決定をするためには、状況に対する基準と、どうありたいという目的をもって、「~すべし」「~が望ましい」といった実践的判断・行動を導く「実践的推論」が求められる。
  • より大きな関係性で世界を捉える: ドラッカー「マネジメントはリベラルアーツである」。知識ベースの経営においては、どれだけ大きな関係性で世界を把握できるかという構想力が問われる。

  • 生き生きとした場を構築する: それは実践知経営を行う企業が今日直面している最も重要な課題。その実現のために最も重要なのは「相互主観性の成立」。自己を超えて他者に全人的に接し共感・同調・共振するとき、言語のみに頼らない相互主観性が成り立つ。「自己を超える」とは、自己を失うのではなく、自己を全体の中で生かすことであり、そうすることで、飛躍をする勇気が生まれ、決断と実行が促進される。
  • 知を価値に変換する仕組み: 知識創造型ビジネスモデルにおいては、「顧客価値命題」(=その企業が顧客に対してどのような価値を提供するか)を見つけることがその構築の核となる。