ダイアローグ170328

平安末期の武士団を起源とする日本の組織原理


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文明としてのイエ社会
村上泰亮 公文俊平 佐藤誠三郎 著
中央公論社(1979年)


文明としてのイエ社会
1960年代の高度成長、70年代の石油危機への柔軟な対応を通じ、日本は経済大国としての地位を確立、それとともに、その強さの源泉とみなされた「日本的経営」に対し、世界中から熱い視線が注がれた。1979年――それは、エズラ・ヴォーゲルが『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を著した年であり、また、本書『文明としてのイエ社会』が出版された年でもある。

本書は、前回の本欄で述べたような背景のもと(ダイアローグ170326)、東大教養学部を共通の職場とする3人の教授(村上泰亮、公文俊平、佐藤誠三郎)が、5年以上にわたる共同研究を通じて、「日本社会の組織原理」をさまざまな角度から総合的に分析し明らかにしようとしたもの。3人がそれぞれ専門とする経済学、政治学、システム理論はもとより社会学、人類学、歴史学など関連する諸領域にも深く分け入りながら、壮大なスケールで日本社会の特性分析が試みられている。

それは、ひと言でいえば、日本社会の特性を「イエ社会」という組織原理によって解き明かそうとしたものだが、なにせ600ページを超える大著。簡潔に要約するのは筆者の手に余るので、平山朝治氏が『イエ社会と個人主義』という本に書いておられるものを拝借して紹介すると――。
  • 日本型資本主義の組織原理である「イエ」の起源は、律令国家の解体的土着化とともに、その辺境であった東国で平安末期に成立した、開発領主の所領経営体である。
  • イエは、辺境において耕地を開発し、守ることを目的として機能的階統制を発達させた合理的組織であり、主に武士によって継承・発展させられ、現代日本の企業組織につながるようなイエ社会の伝統が形成されてきた。
  • 欧米型資本主義の「精神」が個人主義的なプロテスタンティズムと結びついて発展したとされるのに対して、日本型資本主義の「精神」は、開発・軍事という世俗的目的の集団的達成を第一義にするというイエの起源に示されるように、集団主義的・非宗教的な性格を当初より持ち続けてきた。
『文明としてのイエ社会』において著者たちは、イエ型集団の基本特性を「超血縁性」「系譜性」「機能的階統制」「自立性」という4つの概念によって規定する。そしてその独特の運営慣行として「階統制の滲出化」「根回し型満場一致」の2つを挙げる――が、こうした説明では何のことかさっぱり分からないと思うので、卑近な事例に引き寄せて、解説を試みてみると;

石原慎太郎元東京都知事は、豊洲移転問題に関わる責任の所在につき3月3日の記者会見で、「行政の最高責任者として、移転を裁可した責任は認める」と述べる一方、「都庁全体の責任。議会も含めてみんなで決めたことだ」と主張した。果たして、石原氏のこの言い分は妥当と言えるのか否か――この判断の分かれ目にこそ、欧米型と日本の組織原理の違いがあると言えるのではなかろうか。

日本の組織原理を象徴する「稟議制度」には、<報告>と<命令>が区別されないという特徴がある、と著者たちは言う。同じ「機能的階統制」とはいっても、欧米型のそれと日本のそれとの間では、運用面で大きな隔たりがあるのだ。

欧米型の階統制は、A図のような構造のもと、上位者は下位者に対して絶対的な優位を示すものであり、これが標準的な近代的理解となっている。ところがイエ社会における階統制は、B図に示すように、上位者と下位者によって作られる小集団が重なった階層構造になっており、それぞれの小集団の内部では成員はほぼ等資格で決定に参加する。その中で「上位者」であることの意味は、彼が一つ上の階層の小集団にも参加資格を持っているということに他ならない。かくて、イエ社会における階統制は、互いに重複し滲出し合う小集団のヒエラルキー、というのがその実態となる。


そこでは、<報告>と<命令>の区別は難しく、両者の性格を共にもつ情報が相互交流しているというのが実際の姿であって、「稟議」は、そうした実態に即しながら自生的に確立されてきた日本の独特な制度だと理解できる。言葉を換えれば、イエ社会の階統制の下における<報告>と<命令>との関係は、いわゆるトップダウンでもなければ、ボトムアップでもない、両者の「混合方式」だといえる。

石原慎太郎元東京都知事の答弁にも見られる日本的な「あいまいさ」。そこにはもちろん、改善が望まれる、少なからぬ問題がある。が、こうした特性こそが、日本社会における各集団の一体感やさまざまな力、あるいは強さの源泉になっているのも、コインのもう片面の事実だといえる。

11世紀に生まれた東国型の開発領主を起源とするイエ社会は、江戸時代末期に発展の頂点に達し、明治維新以降は、外国先進文明との強烈な接触経験に直面し、欧米先進国をモデルとした「近代化」によってこれに応えてきた。そしてこの「近代化」のプロセスは、欧米文明と固有の文化とのあいだの激しい闘争と習合の歴史だったと著者たちは見る。確かに、欧米の制度はつぎつぎに輸入され、科学技術の輸入も急速だった。が、それを運営するというレベルでは、イエ的原則の影響はつねに著しかった。明示的な側面では欧米化が進行したが、陰伏的な側面ではイエ的原則がつねにそれに拮抗した、というのだ。

著者らは、最終章「イエ社会の二つの途」で、これからの日本社会が進んでいく方向につき、2つの選択肢を提示する。<シナリオⅠ>は「溶融的国際化」と名付けられたもので、イエ的原理が衰退し、日本社会が他の国々と等質化して、何らかの国際社会の一部分としていわば溶融していくという見方に立つもの。一方、<シナリオⅡ>は「適応的棲み分け」と名付けられたもので、<シナリオⅠ>とは逆に、欧米文明から移植された社会システム部分が徐々に解体し、日本社会に独特の状況に合わせた再編成(習合)が行われる。すなわちイエ的原理の復活が進むという見方に立っている。

これら2つのシナリオは、未来予測の姿を示すものではなく、可能な選択の方向を示そうとしたものであって、「各シナリオに対する著者たち自身の価値判断は、本書では示さない」ということになっている。が、確かに、良し悪しの価値判断に関する明示的表現こそないものの、この日本社会とりわけ企業組織にあっては、イエ的原理は、過去はもとより将来にわたっても大きな影響を及ぼすものであるに間違いない、と著者たちが訴えかけようとしているのは、以下のような記述からも明らかだ。
  • 企業などの中間集団レベルでは、イエ型原則は最も良く産業化の論理と習合した。…日本型経営の中に潜在するイエ型の発想は生き残る可能性が高い。少なくとも欧米の企業と比較するとき、経済的制約の許すかぎりにおいて、日本の企業はイエ型集団主義の性格を保つだろうと思われる。
  • 現代の日本社会において、基礎的な主体として最大の重要性をもつのは、個人や家族という最小単位のレベルと国という最大単位のレベルとのあいだに位置する中間(規模)の主体としての、「家業」および「企業」である。…中間的主体のうち最も重要なものは企業である。
本書は、1979年の出版後、日本研究のさまざまな分野に大きな影響を及ぼしてきた。また、本書で示されたイエ社会の原理に対しては、さまざまな批判や異説も登場した。そのひとつが山崎正和『日本文化と個人主義』(1990年)であり、また本欄冒頭で引用した平山朝治『イエ社会と個人主義』である。

この両書にも目を通し、日本的集団主義、日本的経営、企業共同体に関する考察をさらに深めていきたいと思う。



第一部 多系的発展の一般図式

第1章 欧米的近代化の相対性

第2章 多型的発展論の試み

第3章 思想の発展枝

第4章 近代化と産業化

第二部 日本社会の組織原理

第5章 日本史の二つのサイクル

第6章 ウジ社会の進化

第7章 イエ集団の特性
  • 「間柄主義」の基本的特徴: ①さまざまな間柄はそれぞれがある境界をもっている。②一個の個体は、同時にさまざまの異なる間柄に属しうる。③間柄は、それ自体として固有の心、つまり意志や情感のごときもの――「気」あるいは「空気」――をもつ。④間柄はさまざまな「分」をもつ。
  • 1)超血縁性: イエは、事実のレベルでは脱血縁化傾向を含むが、観念のレベルでは血縁的論理への親近性をむしろ深める。イエへの新規加入は擬制的な「父子」関係の形をとる。中国で「義兄弟」という形が尊重されるのとは対蹠的。郎従(家人)の一族に対する関係も家族の一員として擬制された。辺境の厳しい環境の中で拡大する過程で、多くの非血縁成員を取り込み、彼らを組織していかなければならなかったことが背景にある。

  • 2)系譜性: イエ型集団は「永遠の持続性」をめざす点で、欧米型の結社体(アソシエーション)と異なる。永遠の持続性は血統の持続以外の根拠によって明示的に定義され確保されなければならない。「系譜性」とは、擬制としてであれ血縁を構成原則とする集団において、首長→嫡子の直系がそれ以外の傍系成員よりも圧倒的に高く位置付けられ、直系の永遠の存続が集団の目標として共有されていることをさす。系譜性の原則には、嫡子が有能であるとは限らないという問題を含む。かくて日本のイエ型集団には、統合の象徴としての不可侵の直系継承線と、具体的な軍事・経営活動の実行にあたる機能的階統制との分離の傾向が潜在している。
    3)機能的階統制: 定着型農耕作業の基本部分は自然のリズムへの受動的対応であり、農耕社会の集団は経営体とはなりがたい。しかし、開墾や灌漑などの土木作業、あるいは農園のような交易を主目的とした農業は機能的性格をもつ。また軍事的な問題がかかわる場合も。東国武士の原イエの場合、惣領(家督)→庶子→一族・家子→郎党→所従・下人といった階統構造がみられた。原イエは、機能的成果を追求し、「手段的合理性」を尊重する傾向をもっていた。そうした特徴は、武芸的技能の尊重、集団内階統制の正統化(のちのいわゆる主従道徳)、行動ルールの明確化など、武家道徳や武士の思考方法にも反映されている。

  • 4)自立性: ①弱い意味の自立性=集団成員の生活を集団内で支え得ることであって、集団成員の生活資料が自給自足されることをさす。②強い意味の自立性=生活資料の自給自足に加え、自己防衛のための戦闘力をもつこと。 近代化以前のイエ社会の歴史の各段階では、原イエ→大イエという自立的な中間集団が常に存続し、その上位システムも下位システムも自立的な統一体ではない、というのがイエ社会の常態だった。近代化以降においても、イエ型原則は統一よりも分権(タテ割り型)の契機として働いた(→現代に至る「タテ社会」につながる)。
  • 支配と親和: イエ社会日本と中世ヨーロッパの農村共同体はともに、超血縁性または地縁性と機能性、同質性と異質性、集団思考と個別思考などの対立的特性を併存させつつ存続した(=浸透型システム)。親和関係と支配関係との逆説的併存。外的脅威の欠如と内戦の危険という2つの条件の組み合わせによって、イエ型集団は機能的進歩と統合の強化との二重の課題をバランスさせることが可能だった。

  • 階統制の滲出化: 浸透型システムとしてのイエ型集団では、機能的階統制を超血縁的同質性が蔽っている。階統制とはいっても、上位者と下位者とは断絶状態にはなく、互いに重複し滲出しあう小集団のヒエラルキーを成しており、意志決定もこの小集団の連鎖のなかで行われる。かくて稟議制度では、「報告」と「命令」とは区別されない。
  • 根回し型満場一致: 各成員の判断が十分可塑的であって、各成員が本来同質であることへの強い期待の上に立ち、集団思考の強いような文化的基盤を、前提にしている。「長期多角決済」を活用するための非公式的会合(いわゆる「根回し」)、潜在的な上下関係への訴えかけが、これを支えている。
第8章 社会動学の方法

第三部 イエ社会の進化

第9章 イエ社会の形成
  • 原イエの形成: 新しい核主体の組織原則は、定着農業が要請する「土地」との結びつきの重視を基本として、同時に、旧来のさまざまな主体からの圧迫・攻撃を跳ね返せるだけの「防衛力」を備え得るものでなければならなかった。この東国型の開発領主を中心とする自己永続的な集団を「原イエ」と名付ける。
  • 原イエは、土着の農耕民の一部を自己の隷属民(所従・下人)化して農業生産や軍事行動の安定的基盤を作るとともに、その指揮権者(惣領)を頂点とした軍事的(及び経営的)階統構造を機能的に構築する必要があった。また、そのような集団の一体感を基礎付け統合する信念体系を準備せねばならなかった。
  • 武士の道徳は、一方では、軍事経営体としてのイエの統合につながるものとして、武芸精神の高揚、勇敢さ、主従道徳などを含んでいた。が、それと同時に、不言実行、勇猛一途でなく思量あることなどの経営的才能も重視されていた。特に注目すべきは「脱呪術化」。祈祷、物忌、方違などの呪術的慣習に支配されていた宮廷貴族と対蹠的に、世俗的合理主義・能動主義を推進する新しい文化を担った。

  • 鎌倉仏教: 平安時代の受動主義や戒律主義とは対蹠的に、世俗的な能動主義を示唆する力強い姿勢をもっていた。鎌倉時代は、日本人が魂の問題に自力で最も真剣に取り組んだ時期だった。
  • 惣領性(同族団組織): 鎌倉期の原イエは分割相続を原則とした。「庶子」を家長とする分家は、本家と並ぶ独立の主体となったのではなく、祭祀や軍事については「惣領」(本家)の指揮下にあって一体となって行動した。
  • 鎌倉国家: 一軍の原イエが、ウジ社会の貴種であり軍事貴族(武士の棟梁)としての輝かしい伝統を誇っていた準ウジ(源氏)の嫡男であった源頼朝を首長として作り上げた「倣い拡大型の原イエ連合国家」であった。鎌倉殿とその御家人たちとの間を結びつけていたものは、擬血縁関係というよりはむしろ一種の双務的な契約関係(「御恩」と「奉公」)だった。
第10章 初期大イエ化過程
  • 後期原イエ: 嫡子相続および一円領支配の形式を備える段階での原イエ。
  • 初期大イエ: 大イエを構成する個々の原イエは、依然として一個の主体としての自覚と、事実上の自立・自律力とを強く残しており、大イエが個々の原イエの経営に干渉を加えるのは難しかった。
  • 後期大イエ: 下位主体の一部は、城下に集住して扶持を受け、大イエの行政官・武官としての役割に特化した。また他の一部は、現場での生産活動を専門に担当し、「ムラ」として、半自治的な主体としての存続を許された。

  • 社縁: イエ型主体の各構成員を結びつける組織原則の一つは「社縁」とでも呼ぶことが適切な超血縁的な結合原則で、すぐれて人為的な能動性を特徴とするもの。個人主義に基づく限定的な契約関係とは異なり、無限定的・全面的な結びつき。集団主義的、あるいはむしろ間柄主義的な組織原則。
  • 大イエの形成・維持にあたっては、広く有用な人材を経営体のメンバーとして糾合しなければならなかった。集権化の推進と機能的分業を伴う階統的役割構造を発達させることが不可避的に要請された。また、メンバーの相互理解と信頼関係を支えるような、首尾一貫した思考・行為様式、信念や趣味の体系、各種のルールや制度の確立が求められた。
第11章 大イエ連合国家
  • 信長の大イエは、初期大イエと比較して、経営体としての機能と自立性を飛躍的に向上させた=後期大イエ。信長は、自己の組織原理の優越性(武篇道・侍の冥加)を確信し、それと対抗する原理を仮借なく否定し去った。
  • 信長によって先駆的に開始された大イエの組織改革は、秀吉と家康によって継承・整備され、全国に普及した。他の戦国大名も彼らに対抗するために大イエ組織の改革を迫られた。それらはいずれも原イエの倣い拡大としては最も自立性の高い形態であり、発達した階統的役割構造と独自の生活様式ないし文化(家風)とルールの体系(家法)とを持っていた。その成員は開祖以来の伝統への追憶に結ばれ、一個のイエに属しているという連帯感(「家中」意識)とイエの存続発展への使命感とを強く抱いていた。つまり、自立性、階統制、超血縁性、系譜性という原イエの構造的特性を、より強化ないし洗練された形ですべて受け継いでいた。

  • 小イエ: 後期大イエの家臣となった武士たちのうち、上中層は知行地を与えられ、中下層は俸禄を与えたれていた。両者とも城下町への常駐を義務づけられていた。自立性は完全に否定され、内部の階統的役割構造も大幅に失われたが、系譜性と擬血縁的一体感とは依然として保持されていた。
  • ムラとマチ: 武官と文官の役割が武士身分によって担われたのに対し、直接生産者の役割は刀狩によって武装解除された農工商身分が担当した。大イエは彼らを一種の半自治的な下位主体に組織し、家臣団による管理の対象とした。貢租・夫役の負担の第一次的責任はムラにあり、個々の農民の家にはなかった。大イエは、ムラ内部の秩序や利害対立には介入せず、ムラの自治に委ねていた。
  • 平和の代償: 徳川による平和の持続は、まず軍事技術と軍事組織との停滞(さらには退歩・解体)をもたらした。この危機を克服する役割を担って大規模に導入されたのが儒教(とりわけ朱子学)の教義だった。儒教の政治理念によれば、為政者の任務は「仁政」を施し「民を安んずる」ことだった。この「仁政安民」の理念は、戦闘の機会を奪われた大イエとその連合国家に、新しい目標を提供した。

  • 仁政安民は、天命を受けた有徳な君主およびそれを補佐する有徳な官僚の道徳的影響力を通じて実現されるべきものであり(=徳治主義)、治者と被治者の上下関係は道徳的能力の差に基礎づけられている。儒教的教養を基準として人材を選抜し官僚に登用する「科挙」は、儒教政治理念を実現するための不可欠な制度であり、これを欠いた人生安民の理念は、為政者に対する教訓以上のものとはなりえなかった。
  • 準イエの発展: 江戸時代中期以降、イエ型組織原則の適用が最も目覚ましく行われたのは幕府や藩においてではなく、豪農商層のイエ(=準イエ)においてだった。江戸や大阪の大商人のイエにおいては、機能分業原則と能力主義をより徹底して導入した組織改革が進んだ。親族集団(奥)と経営体(店)との分離も明確化していった。
第12章 イエ社会の近代化
  • 徳川国家の分権的かつ専制的な従来のシステムの機能不全は時とともに明白となった。新たに建設されるべき国家システムが集権型、一致型で、しかも正統性をめぐる徳川国家の難点を克服したものでなければならないという点については、一致した意見がみられた。
  • 新しい国際環境の中で生存と安全を長期的に確保するためには、西洋列強に匹敵しうる経済力と軍事力を具備すること(=富国強兵)が必要であり、それは「追いつき型近代化」を推進することに他ならなかった。

  • 大イエの解体は、小イエの解体をもたらした。が一方、四民平等化は、すべての国民が自らのイエ型組織を形成できる、いわば「国民の総武士化」と呼びうる側面をもっていた。こうした小規模かつ衰弱したイエ型組織を「疑似小イエ」と呼ぶ。
  • 開国と四民平等化およびそれ以降の近代化の進展は、準イエに広大なフロンティアを提供することになり、準イエは著しく活性化した。
  • 日本的経営: 日本的経営は、経営体の系譜性や強固な統合力・分裂増殖力を保持しつつも、メンバー間の結びつきの機構としての血縁性を大幅に払拭し、イエ原則を機能的に純化したものであり、徳川期の(準)大イエ型経営体を産業化に適合的な方向に組織革新したものとみなすことができる。

  • 明治民法の「家」は、市場メカニズムを利用した産業化の前提として西欧的私有財産制が導入された結果、財産権については個人主義に徹底し、家産の存在を認めなかった。それは小イエを、近代化に適合的な方向に大きく変質させてものであり「疑似小イエ」とも呼ばれるべきものだった。
  • 都市の給与生活者の場合、「家」は家業経営体としての性格をまったく失い、消費と休息の単位としての「家庭」(それも核家族としてのそれ)と化していった。
  • イエ原則の動員と外来原則との習合の試みが、国家、企業、家族の3つのレベルでそれぞれ行われたにもかかわらず、成功したのは「イエ型企業体」のレベルのみだった。「家」は、理念レベルでの習合には成功したといえるかもしれないが、いわばイエ型企業に飲み込まれてしまったといってよい。

  • 戦後のイエ社会>国家や大規模複合主体のレベル: イエ原則の直接的倣い拡大の試みを最終的に放棄し、ムラないし一揆という緩やかな集団原則でそれを置き換えた。「民主主義」の名による一揆原則や、「平和主義」の名によるムラ原則(外交や軍事の自主性の放棄)が定着し、大連合政治が安定して持続することになった。
  • 戦後のイエ社会>家族あるいはそれに近いレベル: 戦後民法は明治民法の「家」を制度的に解体し、両性の合意に基づく核家族の原則を承認した。これにより、戦後型マイホーム主義が一定の基盤を与えられることになった。
  • 戦後のイエ社会>企業体のレベル: 「自由主義」の名のもとに企業の発展が促進されることによって、企業のイエ型組織化はむしろ純化し一段と進化した。
  • こうしてイエ型社会日本は、結果として、敗戦と占領およびそれがもたらした欧米化の衝撃を吸収しつつ利用し、そのエネルギーを自己の組織革新のダイナミズムに転化しうる能力を示した。欧米的制度と土着型の原則の習合は戦後において一段と進化した。
第四部 イエ社会の展望と選択

第13章 「豊かさ」の帰結
  • 1)人類史の視点から: 「能動主義」とは、外なる限界を、つねに存在すると同時につねに克服可能なものとみなす価値観。能動主義にとって、外なる限界は挫折の原因であるよりもむしろ成功の機縁である。社会がその資源基盤(と生産組織)に比べて大きくなりすぎたときに、経済発展が生じるのが常だった。
  • 人類の存続と個体の生命を尊重する人間中心主義(ヒューマニズム)を捨てることなしに、自然との調和を説いているかぎり、能動主義の衝動を抑制するのは不可能。ゆえに「産業化」の勢いは当分の間続くと考えざるをえない。

  • 2)産業社会の視点から: 現在の産業社会を支配しているのは2つの大きな、対立する動因。一つは集合化(または集団化)・手段化の動きであり、もう一つは個別化・即自化の動き。前者は経済面/システム面、後者は価値観面/人々の要請として現れる。
  • 3)近代化日本の視点から: 戦前の国内社会においては、明示的な側面では欧米化が進行したが、陰伏的な側面ではイエ的原理がつねにそれに拮抗した。そのような対立と混乱にかかわらず産業化が急速に進行したのは、「追いつき型近代化」という目標についての合意が強かったから。また、産業化に不可欠な「企業体」と「官僚制」という2つの基礎集団を形成するにあたって、イエ型原則が有効に援用できたから。2つの集団を構成すべき中間集団が用意されており、しかもその集団が既に「手段的能動主義」の集団倫理をもっていたから。しかし、それぞれの基礎集団の形成原理には固有の規模の限界があり、全体社会への倣い拡大は成功しなかった。全体社会としては、むしろきわめて分権的だった。

  • 戦後の日本社会=ムラ型民主主義: 個人主義的文化の下での分権的政治システム=民主主義/集団(間柄)主義の下での分権的政治システム=一揆。意思決定において、民主主義は公開討論と多数決の方式をとるのに対し、一揆は根回しと満場一致の方式をとる。論壇の主流では近代的個人主義の啓蒙が行われたが、市井の生活人たちは戦後民主主義を自分たちの知恵と利害の言葉で読み替えようとし、欧米型政治制度と日本型間柄主義の「習合」が進行した。
  • 今日の日本の家族の多くは、階統的性格を著しく弱めはしたが、系譜性というイエ的性格を依然として保っている。企業などの中間集団レベルでは、イエ型原則は最も良く産業化の論理と習合した。日本の企業は今後もしばらく、イエ型集団主義の性格を保つだろう。

  • 戦後の日本社会は一揆主義的社会、すなわち間柄主義的な分権的社会であり、個人主義的な意味での分権的社会、すなわち民主主義的社会ではない。ムラの原則と欧米型民主主義の習合による「ムラ型民主主義」に他ならない。ムラは、階統的性格が弱く平等主義的性格の強い変形のイエ派生体であった。日本の政治は、それらのグループや複合主体を代表する「長老」たちの満場一致をめざす合議制を議会制の制度的枠組みに巧みにはめ込む形で行われた。
  • 分権社会の二態: ①イエ型原則の倣い拡大による統合形態がある程度有効だった、比較的集権的性格の強い場合=鎌倉幕府、江戸幕府。②倣い拡大型統合が到底有効でありえなかった場合=戦国時代、戦後

  • 欧米型民主主義は、理念としては「自由」を平等に先行させる傾きがあるが、ムラ型民主主義は「平等」を自由に先行させる傾きをもつ。しかしそれは公的レベルでの話であり、私的レベル(=社会を構成する各々のイエ型集団=職場)では、能力によって選別される階統制があり、そこでの競争は呵責ない。またイエ型集団間にも激しい競争がある。そうした「二重構造」が日本を活性化してきた。
  • 戦後日本の経済システムを「市場システム」とみるのは一面的。また「計画システム」としてみるのも一面的であり、「浸透型システム」とみるのがふさわしい。
第14章 イエ社会の二つの途
  • これからの日本が進んでいく方向: 2つの基本的選択肢 ①溶融的国際化(シナリオⅠ)=新中間層現象を強調し、従来の集団主義から離脱の方向を重視する見方 ②適応的棲み分け(シナリオⅡ)=集団主義のかなりの部分の再建の方向を重視する見方
  • 最下位の主体=家族: 日本社会の最小単位は、個人というより家族であると想定すべきだろう。

  • 日本企業のもつ帰属手段的性格は国際的な比較の上では強いままにとどまるだろう。シナリオⅠはその性格が次第に弱まると考えるのに対し、シナリオⅡはむしろ強まると考えている点に相違があるとはいえ、満場一致型決定に基づくいわゆる「日本的経営」なるものは基本的に変わらないであろう。
  • シナリオⅡにおける政治システム: この場合、国家レベルの政治システムは「一揆の大連合」ないし「一揆の共和国」となる。大連合の中には、国内の有力な利害集団(ないしその一揆)が、もれなく取り込まれている必要がある。①労働組合の全国組織、②企業(を要素とする一揆)、③家業(とその一揆)、④サラリーマンの小イエ、つまり「市民」によって構成される一揆。これらの国家が、イエ型の主体となることは、ほぼ決定的に不可能。つまり国家レベルの集権化の程度は、比較的限定されたものにとどまらざるをえない。その分、中間レベルでの主体の集権制――つまりそこで共有される集合目的の無限定性――は、より大きなものとならざるをえない。

  • 一致型大連合方式の長所は、すべての参加者の意見や利害を反映させながら、しかも誰のそれとも一致しない平均的決定を下すことによって、小さな差異を整理して全員の積極的な意欲を動員するところにある。多数決方式は「大転換」への対応能力が高く、一致方式は「小転換」の処理能力が高い。