[この本に学ぶ]
『
保守主義とは何か 反フランス革命から現代日本まで』
宇野重規 著
中公新書(2016年)
「必ずしも自らを保守主義者だとは考えていない」。本書の著者である宇野重規氏(東京大学社会科学研究所教授/政治思想史)は、自分の立場をそう語るが、そんな著者が本書を著したのは、以下のような問題意識による。
- 保守主義の思想は、楽天的な進歩主義を批判するものとして生まれ、発展した。近代とはいわば、このような進歩主義と保守主義との対抗関係を軸に展開したといえる。ところが今日、「進歩」の理念は急速に失われつつある。結果として、「進歩」の理念に基づく進歩主義の旗色は悪く、逆説的に保守主義もまた、その位置づけが揺らいでいる。
- 歴史的に振り返るならば、保守主義の思想には今日なお傾聴すべき英知が多く含まれ、そこで示された諸課題はいまだ十分に解決されていない。
- 過去に進歩主義の迷走を批判してきた保守主義であるが、いまはむしろ保守主義におごりや迷走が見られるのではないか。近代も折り返しを過ぎた現在、かつて保守主義が進歩主義を厳しく吟味したように、今度は保守主義を批判的に再検討しなければならない。もし「保守主義」という言葉を、今日なお意味あるものとして使うなら、この言葉の来歴を踏まえ、現代的な再定義をすることが不可欠であろう。
以上のように、本書は、「保守主義」を一歩離れたところから見た保守主義論だといえる。そして、それがゆえに、保守主義の本質ならびに21世紀におけるその望ましい姿を、分かりやすく浮彫りにしてくれる。
保守主義とは何か――を論じるにあたり、著者はその基準となる定義を、定石どおりエドマンド・バークに拠っている。即ち、保守主義とは、①保守すべきは具体的な制度や習慣であり、②そのような制度や習慣は歴史のなかで培われたものであることを忘れてはならず、③大切なのは自由を維持することであり、④民主化を前提にしつつ、秩序ある漸進的改革が目指される、という4つのポイントに整理される。
こうしたバークの考えを“本来の保守主義”とするならば、戦後日本の保守主義は、そこから大きくかけ離れたものだったと言わざるを得ない。つまりそれは、自らの政治体制を価値的なコミットメントなしにとりあえず保守するという「状況主義的保守」か、さもなければ「押しつけ憲法」として現行秩序の正統性を否認する「保守ならざる保守」という、不毛な両極に分解されたものだった、と著者は言う。
だとすると、私たち戦後生まれの日本人は“本来の保守主義”を、日常体験としては知らないことになる。そしてさらに、進歩主義と保守主義との区分も融解しつつあるなか、「保守主義」は次のようなものとして再定義のうえ、理解の促進が図られるべきではないかと著者は提言する。
- 過去を直視し、そこに何らかの連続性を見出す努力をしなければ、議論は迷走を続けるばかりである。重要なのは、過去を否定することではなく、過去からの伝統のうち、どの伝統を自らが継承すべきかを自覚的に選択することにある。リベラルと保守のいずれもが原理主義的となり、相互を全否定するのはもっとも避けるべき事態。両者の間には、生産的な対抗関係を維持することが求められる。
- いまこそ私たちは、抽象的な原理ではなく、自分たちが歴史的に築き上げてきた社会の仕組みや、それを支える価値観を大切にする保守主義の精神から学ぶべきではないか。自己抑制と同時に変革への意欲を備える保守主義のダイナミズムは、羅針盤なき時代において、社会を考えていく上でのひとつの英知であり続けるだろう。
- 閉じられた、運命的な保守主義ではなく、より開かれた、柔軟な保守主義が、個人の主体的なエネルギーと結びつくところに、未来を切り開く保守主義の可能性はある。多様性に開かれた、自由で創造的な保守主義。人々をつなぎ、暮らしを支える保守主義が望まれる。
「政治」という大きな枠組みのもとに行われる社会の構想。それは本書で縷々述べられるとおり、多様な志向の共存を可能とすることであろう。一方、「企業経営」は、こうした自由な社会のもと、それぞれの組織体が掲げる固有の理念に基づき、「この指とまれ」の精神で行われるのが望ましいと私は考える。
- 保守は仲間との関係を優先する立場と、リベラルは普遍的な連帯を主張する立場と親和性をもつ。このことは、政治において、共同体の内部における「コモン・センス(共通感覚)」を重視するか、あるいは、自由で平等な個人の間の相互性を重視するかという違いとも連動し、今後の社会を論じていく上での有力な対立軸となるであろう。
本書の著者は、保守とリベラルの特徴を上のように論じるが、政治に比べ、より小さく原初的な枠組みのもとに行われる「企業経営(組織経営)」は基本、本来の保守主義が培ってきた知見や知識に基づいて行われるのが望ましい姿だと私は考える。組織経営は、「経営理念」という基本的な方針のもと、そこに絶え間ない改善を漸進的に施していくべきものであり、それはまさに“本来の保守主義”が目指してきた姿勢に他ならないからだ。

序章 変質する保守主義
- エドマンド・バークの保守主義:①保守すべきは具体的な制度や習慣であり、②そのような制度や習慣は歴史のなかで培われたものであることを忘れてはならず、③大切なのは自由を維持することであり、④民主化を前提にしつつ、秩序ある漸進的改革が目指される。
- 保守主義とは、その時々ごとに対抗すべき相手との関係で、自らの議論を組み立ててきた相対的な立場である。が、その相手である進歩主義自体の存在が怪しくなってきた。今日の保守主義は、そのような近代が終焉した後の時代のものであり、その限りでは「ポストモダン」の保守主義、「再帰的近代」の保守主義である。
第1章 フランス革命と闘う
- バークの保守主義: すべてをゼロから合理的に構築しようとする理性のおごりを批判するものであり、一人の人間の有する理性の限界を偏見や宗教、そして経験や歴史的な蓄積によって支えていこうとするもの。人間社会はけっして単線的に設計されたものではなく、歴史のなかでたえず微修正されることで適応・変化してきた。そうである以上、社会が世代から世代へと受け継がれてきたものであり、また将来世代へと引き継がれることを忘れてはならない。
第2章 社会主義と闘う
- 伝統とは、過去から未来への継承であり、たえず自らを革新する運動である(エリオット)。伝統とは、民主主義を時間の軸にそって昔に広げたものにほかならない(チェスタートン)。
- 文化は個人によって担われるものではなく、階級や家族といった集団によって支えられる。そのような集団の文化はさらに、社会全体の文化に依拠している(エリオット)。
- コモンセンス(共通感覚)の政治的表現が議会政治だとすれば、議場のつかみ合いの矛盾を笑い得る能力がヒューモアの感覚である。
- ハイエクが拠って立つのはヨーロッパ個人主義の伝統。各個人の自発的で管理されない努力は結果として、複雑な秩序を生み出す。その場合の秩序とは、個人の行動の所産であるが、意図の結果ではない。こうした「自生的秩序」を形成するのは、歴史的に形成された制度や習慣といったルールである。
- ハイエクの考える「進化」とは、制度や習慣といった「ルール」の進化であり、その中心的な役割を果たすものを「法」と呼んだ。そして「法の支配」を強調した。
- オークショットが批判するのは「合理主義者」である。合理主義者とは、理性のみを強調し、権威や伝統、習慣といったものからの精神の独立を主張する人々である。「自由」とは、政教分離や法の支配、私有財産や議会主義、あるいは司法の独立といった原理から生まれたのではにない。むしろ自由とは歴史のなかで発展してきた。政府の力を減ずることなく権力を分散させる具体的な努力から発展してきた。個別の原理は、そこから抽象化されたものであり、いわば自由の帰結である。
- 人間の結合様式には、特定の共通目的による結合である「統一体」と、実体的目的から独立した、形式的な行為規範による結合である「社交体」があり、近代国家はこの2つのモデルの間を揺れ動いてきた。
第3章 「大きな政府」と闘う
- リバタリアニズム: 20世紀後半に「リベラリズム」という言葉の意味に転換(政府の権力を抑制して個人の自由を守る→大きな政府のもとで個人の自由を実現する)が生じた。こうした背景のもと、「リバタリアニズム」は、政府の権限拡大に激しく対立し、むしろ個人の選択と小さな政府を強調する立場を意味するようになった。
- フリードマン: 経済的リバタリアニズム。「世界の多くの人々が、どんな中央集権的な命令も必要としなければ、お互いに話し合ったりお互いに好きになったりすることさえも必要とせず、しかも互いに協力しながら、それぞれなりの利益を促進できるようにするという仕事を、われわれのためにやってくれるのが価格メカニズムだ」(『選択の自由』)。政府の役割が拡大すると特殊利益が跋扈して、一般利益が損なわれていく。
- ノージック: フリードマンの経済的リバタリアニズムに対し、むしろ個人の人権や自然権を重視する、いわば倫理的リバタリアニズムを展開。福祉国家が経済的再配分を行うことは、個人の自由権の侵害である。
- ティーパーティ運動: 多様な保守主義の要素が混在する社会運動であり、リバタリアニズム以外の思想も多く流れ込んでいる。
第4章 日本の保守主義
- 丸山真男と福田恒存はともに、日本の歴史を貫く思想的連続性の欠如に着目し、結局のところ、明確な伝統が形成されなかったとする点で一致している。丸山が日本における連続性の欠如を前提に、あえて「虚妄」の戦後民主主義に賭けたとれすれば、福田はこれを否認し、むしろ江戸時代以来の民衆の生き方を評価した。
- あまりにも慌ただしい日本の近代化は、成熟した保守主義の成立を許さず、またそのことが、逆に急速な近代化を可能にした(橋川文三)。
- 伊藤博文から陸奥宗光、原敬へと継承される路線は、明治憲法を前提としつつ、そこに内包された自由の論理を漸進的に発展させ、事実上、その後の立憲政治や政党政治を準備することとなった。
- 大平正芳と香山健一による「日本型多元主義」:戦後社会の基本的価値を肯定しつつ、その基盤となるコミュニティの役割に着目した。
- 戦後の保守主義は、明確な共通のミッションを欠いたまま、冷戦体制を所与とし、経済発展のみを国家目標に掲げてきた。いわば、状況への適応としての側面が強く、保守すべきものの理念は曖昧なままであった。
- 戦後日本の保守主義は、自らの政治体制を価値的なコミットメントなしにとりあえず保守するという「状況主義的保守」か、さもなければ「押しつけ憲法」として現行秩序の正統性を否認する「保守ならざる保守」という、不毛な両極に分解することになった。そこに欠けたのが、現行の政治秩序の正統性を深く信じるがゆえに、その漸進的改革を試みるという本来の保守主義である。
終章 21世紀の保守主義
- ジョナサン・ハイトによる道徳基盤の6分類: リベラルがもっぱら<ケア>と<公正>と<自由>を重視して、<忠誠><権威><神聖>を無視しがちなのに対し、保守の側は6つをほぼ等しく扱っている。
- リベラルが政治を政策や計画の問題として理解しているのに対し、保守は政治を「勘」と「価値観」の問題として捉えている。選挙戦は人々の頭ではなく、心に訴えることで決まると心得ている。
- 保守: 仲間との関係を優先する立場。共同体の内部における「コモン・センス(共通感覚)」を重視する。
リベラル: 普遍的な連帯を主張する立場。自由で平等な個人の間の相互性を重視する。 - いまこそ私たちは、抽象的な原理ではなく、自分たちが歴史的に築き上げてきた社会の仕組みや、それを支える価値観を大切にする保守主義の精神から学ぶべきではないか。
- 閉じられた、運命的な保守主義ではなく、より開かれた、柔軟な保守主義が、個人の主体的なエネルギーと結びつくところに、未来を切り開く保守主義の可能性はある。多様性に開かれた、自由で創造的な保守主義。人々をつなぎ、暮らしを支える保守主義が望まれる。