ダイアローグ161202

本当の“人間中心主義”


[この本に学ぶ]
第3の組織論 変革のドキュメント
小林 茂 
株式会社シンポジオン(2015年) 初刊:マネジメントセンター出版部(1968年)


第3の組織論
日経新聞の連載「リーダーの本棚」欄(2016年11月20日)で、JR貨物の石田忠正会長が「私の読書遍歴」として12冊の本を紹介されていた。それらの紹介コメントはどれも含蓄に富み、石田氏の確たる世界観には深く感銘を受けたが、なかでも本書(※)は、特に「座右の書」として挙げておられるもの。興味を持ってさっそく手にとってみた。

※「リーダーの本棚」では『第三の道』として紹介されているが、同書は現在、『第3の組織論』の書名で復刻再刊されている。

期待どおり。いや、期待をさらに上回る良書だった。いまから約50年も前の1967年に書かれたものでありながら、その内容はまったく色あせることなく、私たちが今日直面する課題に対して的確な指針を授けてくれる。まさに「座右の書」に相応しい、至言の宝庫といえる一冊だ。

著者は元、ソニーの厚木工場長(後にソニー常務取締役)。ソニーのトランジスタ生産拠点としていくつもの難題を抱えていた同工場を再生するために、井深社長(当時)によって他業界からスカウトされ、取締役工場長として着任したのが著者である小林氏。難題の核心は人々の「その気」と「意識」にあると睨んだ著者は、以来8年間、「人と組織」を変革するマネジメントの追求を続け、見事に再生を成し遂げた――その、厚木工場大変革のドキュメントが本書である。

小林氏の経営哲学は、いわゆる“人間中心主義”。だが、この言葉ほど、受け取る人によって異なるイメージを抱くものはない。賛美から拒絶まで、まさに百人百様の捉え方がされる。私自身のことを告白すれば、この言葉は、甘い語感にどうしても偽善の香りが漂い、抵抗感を覚えずにはいられなかったのだが、本書を読んで、自らの浅はかさに気づかされた。

つまり、“人間中心主義”という言葉の意味を、私は非常に表層的にしか理解していなかったことを知った。そして、おそらく賛美派の多くの人たちの理解も同様に表層的なものであり、それゆえに百人百様の解釈がなされ、意見の大きな食い違いを生んできたのではないか――。

そうした誤解多き“人間中心主義”。その真の意味をとことん追求し、貫き続けることを信条として実践されたこの経営改革は、それぞれが抱く浅薄な認識は、なぜなぜなぜ?と深く深く掘り下げていけば、最後は1本の同じ根に行き着くことを教えてくれる。

根本となる鍵概念は「レーバーからワークへ」。小林氏は、従来型マネジメントの下に効率ばかりが追求され続けてきた「レーバー」を「ワーク」へと変換することが何より必要だとして、以下のように説いている。
  • いまの労使関係は、労働契約によって人間から労働力を切り離し、これを売買する関係、つまり「レーバー」となっている。
  • 「レーバー」に対して「ワーク」は、自ら目標や旗を掲げ、やむにやまれぬ生命の欲求として、自らそれに向かっていくための行動を計画し、実行し調整するという、責任ある挑戦的な働き方。これが人間のほんとうの労働であり、人間の労働はこれ以外にありえない。
  • 人間が生きるということは「ワーク」することである。人間中心とは仕事中心ということである。鍵となるのは、レーバーを征伐して、労働のなかにワークを再発見して、取り戻すことである。
  • 労働がワークになると、人間の力は考えられる限度を超えて伸びていく。それは無限である。人間への「信頼」こそが、レーバーをワークへと変える。
そして、その実現のための具体的方策の理念と位置づけられるのが、「バーチカル・フル・ジョブ」の考え方だ。
  • バーチカル・フル・ジョブとは、planと doと controlという人間の総合的活動を担うこと。このフィロソフィーのうえに立って、自然なかたちで自ら創造していこうとすれば、すべてについてバーチカル・フル・ジョブは可能である。そしてそこに、エキサイティングでファンタスティックな結果が生まれるというのが私たちの確信である。
  • バーチカル・フル・ジョブのもとにある一人ひとりの従業員は、自分の仕事の主人になり、社長と同じ気持ちになる。バーチカル・フル・ジョブは、個人単位ばかりでなく、グループ単位で行うこともできる。
以上のような枠組みの下、小林氏の“人間中心主義”経営は、一寸の妥協も許すことなく貫き通され、急速に成果を上げていく。

「人間は、自分が立てた意義ある目標に向かって自ら全力投球し、これを達成することによって生あるものの喜びを感ずる。それを味わえるようにするのが人間愛だ。ただ甘く大事にするのが人間愛ではない」

小林氏の“人間中心主義”を貫くのは、人間はお互いに不完全であることを認め、人が完全でありたいと望んでいることを信頼し、その望みを満たすための努力を賞賛する、という姿勢。人間に対する徹頭徹尾の「信頼」を、単なる綺麗ごととしてではなく、人間存在の本質に迫って捉えようとした、不朽の経営哲学だといえよう。




新マネジメントの創造

機械的マネジメントからの脱出
  • 機械化を、人間を支配する方向にではなく、人間を機械から解放する方向に、根本的にかえていかなればならない。
  • 近代産業はますます大集団化してくるから、組織は絶対に必要である。組織は否定できない。とすれば、どうしても生み出さなければならないのは、人を生かす組織である。組織の前に人があり、組織を構成する人びとが常にその組織を更新し、更改していけるようなマネジメントを作り出すことである。そうでなければ、組織のもつ固定性を除去することはできない。
分業至上主義の崩壊
  • ZD計画: 人間も機械と同様に誤動作する。しかし、人間らしい人間が機械と違う点は、誤動作をするのが嫌いで、自らそうしまいと努力し、誤動作に気が付けば、自発的にそれを改める点である。だから、人間のみが品質保証の唯一の根拠なのである。分業は、この人間を破壊しているわけである。
バーチカル・フル・ジョブの展開
  • バーチカル・フル・ジョブとは、planと doと controlという人間の総合的活動を担うこと。このフィロソフィーのうえに立って、自然なかたちで自ら創造していこうとすれば、すべてについてバーチカル・フル・ジョブは可能である。そしてそこに、エキサイティングでファンタスティックな結果が生まれるというのが私たちの確信である。
  • バーチカル・フル・ジョブのもとにある一人ひとりの従業員は、自分の仕事の主人になり、社長と同じ気持ちになる。バーチカル・フル・ジョブは、個人単位ばかりでなく、グループ単位で行うこともできる。
労働は賃金では買えない
  • 今日われわれが当面する最大の問題は、人間と仕事との関係の正しい理解と、その人間が意欲的になるマネジメントをいかにして作り上げるかということである。その根本は、人間をモチベートするのは仕事そのものだという事実である。人間は仕事(創造的活動)のなかに生きがいを求めずにはいられぬものだ、という事実認識である。
  • 仕事をすることの最高の報酬は、仕事そのものである。マネジメントは賃金以上に、仕事における生きがいと喜びを支払わなければならない。マネジメントが苦労しなければならないのは、仕事をする喜びをつくることである。
  • 賃金は「人間に対する謝礼」であって「労働力の代金」ではない。ZD計画においては、努力の報酬は、金銭でも報酬でもない。それはリコグニション(=認めること)だという。
  • マネジャーにとって根本的に大切なことは、自分を信ずるならば、同じく人を信ずることができるようになること。そして、自分自身がもっとも欲しているもの、つまり「仕事の生きがい」と「生活の安定」を人々に与えるよう全力を尽くすことである。
信頼関係の樹立
  • 仕事にチャレンジし、達成したことを喜び、成長することを求め、そこに生きがいを感ずるのが人間の本質である。
  • 「人間はみな、われもひとも不完全である。だから部下が不完全であるからといって、これを軽蔑したりとがめたりすることはできないはずだ。その不完全な人間が完全に向かってトライする。そのいじらしい努力をアプレシエートし、激励することができるだけだ。これがZD計画の根本であって、このことを真に身につけている人がマネジメントにあたらなければ、ZD計画は成功しない」(マーチン社ハルピン氏)
  • 賃金や福利厚生施設は、どういじくっても必ず不満が残る。問題は、その不平、不満が破壊的、自滅的な結果を生むか、それとも建設的な行動の源泉になるかである。この分かれ道を決定するのは、不信感があるかそれとも信頼感があるかという、人間関係の差なのである。信頼感のなかで不満が生ずれば、よりよくしようと建設的になる。
レーバーからワークへ
  • いまの労使関係は、労働契約によって人間から労働力を切り離し、これを売買する関係になっている。日本の労働三法では、企業における人間の労働をこの意味の「レーバー」であると規定し、それ以外のありかたを否定している。しかし人間と労働力を切り離すことは、実際にはできない。
  • 「レーバー」に対して「ワーク」は、自ら目標や旗を掲げ、やむにやまれぬ生命の欲求として、自らそれに向かっていくための行動を計画し、実行し調整するという、責任ある挑戦的な働き方である。これが人間のほんとうの労働であり、人間の労働はこれ以外にありえない。
  • 人間が生きるということは「ワーク」することである。人間中心とは仕事中心ということである。鍵となるのは、レーバーを征伐して、労働のなかにワークを再発見して、取り戻すことである。
  • 労働がワークになると、人間の力は考えられる限度を超えて伸びていく。それは無限である。人間への「信頼」こそが、レーバーをワークへと変える。
新しい労使関係

創造する組織

反組織主義による組織化
  • 会社の本質は、人間と同じでバイタリティにある。新しい時代の組織は、時々刻々と流動的に変化して、人間の動きを縛らない組織でなければならない。いやむしろ、そのなかの人間が自らつくりだし、変化させていく組織であるべきだ。
  • チームワークは小集団でなければ成立しない。したがって大集団は、これら小集団の結合体として組み立てられなければならない。
  • 「権限」は役職に付随するものではなく、判断すべきことがらに対する知識と経験に付随すべきもの。目的はあくまでも、妥当な判断を下すことにあるのだから。行動の決定権は、ファクツとシチュエーションにある。
  • 状況の説明、行動方針の提示、方法の教育を十分に終わったら、後の実行は完全に部下に任せるべきだ。監視、干渉はぜったいにしてはならない。上長の方からすることは、できるだけ多くの接触的激励だけである。求められれば、部下の目標設定および方法の修正にほどよい助言をする。そして、部下の仕事が一段落したら、部下とともにその結果を味わう。これが「リコグニション」である。
  • 規定は守るためにあるのではなく、改められるためにある。
チームワークの魔力

ペア・システムによるチームワーク

組織を支えるコミュニケーション
  • ミーティングは諮問機関でも決定機関でもない。いわば創造機関である。ミーティングのためにコスト上のロスがあると考えるのは、労働力を機械と同じような能力と考えているからである。
  • 現実が先生であって、既存の知識は生徒なのに、それが逆になっているところに創造力のでない根本理由がある。わからないところに真実があるのである。創造というのは、新しいことを発見するのである。
適時適材適所の人事

学歴主義からの脱出

リーダー論
  • チーム組織では、かたちではなく、リーダーの人間としての魅力や人間的資質が中心とならざるをえない。その資質とは「チャーミング」な人であること。つまり、強くてやさしい人。「強い」とは、なみはずれて意志的で、責任感が強いということ。「やさしい」とは、人間に理解があるということ。つまり、人間はおたがいに不完全であることを認め、人が完全でありたいと望んでいることを信頼し、その望みを満たすための努力を賞賛することである。
実力の評価と活用

能力開発
  • 企業内における本当の能力開発は、「ワーク」のなかのみで可能である。優れた指導者のもとに、自分のエンジンを自分で回し、自らが責任を負い、plan, controlしながら実行していく。そういう、苦しいが喜びに満ちた労働のなかでのみ人間の能力は育つ。
コモン・ゴール
  • 人間は、自分が立てた意義ある目標に向かって自ら全力投球し、これを達成することによって生あるものの喜びを感ずる。それを味わえるようにするのが人間愛だ。ただ甘く大事にするのが人間愛ではない。
  • 目標中心のマネジメント。その第一段階は、部門の全体目標とそれを達成するための戦略、それらの背景となっている諸状況を、部門の全員に対して十分に伝えること。この伝達は「情報」としての伝達であり、「命令」ではない。第二段階は、部門内の各小部門と各人が、全体目標に貢献するために、各人の目標とその達成計画を、その属するチームの討議をへて設定すること。
  • 計画しつつ、実行しつつ、評価しつつ、調整しつつ、すべてが流動する情況のなかで、それに即応しつつ、同時的、流動的に行われる。それぞれの段階を固定化し、時間を追っていたのでは間に合わない。そして、こうした運営を可能にするのは、自由な人間の、開かれた心にほかならない。
  • こうした「私企業のように、各人が企業家として活動する」うえで役に立つのが「管理会計制度」。管理会計制度は、工場長が工場を管理するための道具ではなく、自営する従業員企業家が、自己管理をするための道具である。
チームワークによるR&D

技術開発と問題提起

R&Dの組織問題