[この本に学ぶ]
『
日本仏教史 思想史としてのアプローチ』
末木文美士 著
新潮文庫(1996年)
日本仏教の歴史は、私たちが昔習った鎌倉新仏教を中心とした理解のしかたから、今日ではすっかり様変わりしている。その大転換をもたらしたきっかけが、黒田俊雄が示した「顕密体制論」。従来の新仏教中心の史観を否定し、中世においてもやはり再編成された旧仏教が社会的な主流を占めたとし、それを顕密(顕教と密教)融合に立つ顕密体制として把握する考え方だが、その思想的基盤となったのが、前回もご紹介した「(天台)本覚思想」だ。
本覚思想は、梅原猛氏をして究極の“日本文化の原理”と言わしめたものだけあって、平安・鎌倉時代の仏教のみならず、その後の日本のさまざまな文化(神道・修験道、華道、・茶道、文学・芸能、近世思想などなど)に多大な影響を及ぼしてきた。本書『日本仏教史』は、その顕密体制論、本覚思想の視点を踏まえた新しい見方の日本仏教史であり、とりわけ本覚思想については、編年式記述による本文とは別に独立した章を設け、詳しく述べられている。
日本人にとって「働くこと」の究極的な意味、そしてその背後にある「日本文化の基層」を見出すこと――それが私にとって当面の研究課題だが、本書はその謎解きに多大の光明をもたらしてくれた。
本覚思想は、前述のように平安以降の日本文化の展開に多大な影響を及ぼしてきた。が、それほど決定的な影響力をもった思想にもかかわらず、その知名度はきわめて低い。それには理由がある。本覚思想は、あるがままの具体的な現象世界をそのまま悟りの世界として肯定するものだが、だとすれば、わざわざ修行をして悟りを開く必要もないことになり、宗教としての堕落に陥りやすい危険性を大いにはらむ。そして事実、そうした理由から本覚思想は多くの批判を浴び、近世に至って壊滅的に衰退するという歴史をたどったからだ。
だとすると、本覚思想は中世で立ち消え、私たち現代日本人には影響の及ばない思想だったのか? いや、そうではない。本覚思想は近年、現在もなお私たち日本人の心の基層をなす思想だとの見方が広まり、そして冒頭に記したような、日本仏教史の見直しにもつながっている。私もそう確信する。詳細はおいおい書いていきたいと思うが、ここでは、本書に記された有力な証拠を1つだけ紹介しよう。
それは、江戸時代初期の禅僧・鈴木正三の思想にみられる本覚思想の影響に関する次のような理解だ。鈴木正三は、山本七平が『日本資本主義の精神』(≫160904)の中で、この国の経済を育てた根源的な「精神」を生み出した思想家と位置づけた人物。その「職人仏行説」が、実は、本覚思想にきわめて近いものだと著者はいう。
職分分業説というのは、士農工商のそれぞれがその職分を果たすことは仏行にほかならないという主張で、例えば農民に対しては「農業すなわち仏行なり。それ、農人と生を受くることは、天より授け給わる世界養育の役人なり。さらばこの身を一筋に天道に任せ奉り…正しく天道の奉公に農業をなし、五穀を作り出し…」と、天から授かった職業である農業に専心することこそが仏道を果たすことであるとする。
ここには、本覚思想の「現象即仏法」「世俗即仏法」にきわめて近い立場がうかがわれるが、本覚思想のこの立場が倫理の歯止めを失って堕落に向かったのに対し、鈴木正三においては、それを逆に世俗倫理と結びつけることによって、新しい時代に対応させようとしていると理解される。本覚思想の精神が、いわば世俗倫理に姿を変えてそのまま受け継がれている、といえよう。
その精神はまた、正三の「さらばこの身を一筋に天道に任せ奉り」という言葉にみられる、いわゆる「天道思想」(お天道様/太陽信仰)としても現れているが、この「天道思想」については、回を改めて考察したい。
本書は、<「沼地」日本>という印象的な一文で最終章を結んでいる。それは遠藤周作の小説『沈黙』で、20年間日本で布教を続けた末に棄教したキリスト教宣教師が語る次の言葉からとったもの。「この国は沼地だ。…どんな苗もその沼地に植えられれば、根が腐り始める。葉が黄ばみ枯れていく。我々はこの沼地に基督教という苗を植えてしまった」。
そして著者は、キリスト教の前に立ちはだかったこの困難に仏教を重ね合わせ、「日本人として外来の思想・宗教を受け入れることはどういうことなのか。慎重に問い直さなければならない」という言葉で本文を締めくくっている。
日本という国は、外来文化をたくさん受け入れてきた。が、それらの文化は、ことごとく日本風にデフォルメされ、全面的にではなく部分的に取り入れられる形を採ってきた。日本という「沼地」は、相当手ごわい異形化機能を備えたもののようだが、そうした異形化における法則性のなかにこそ、日本文化の基層を解くカギはある。「本覚思想」が、その答えの有力な一つであることは間違いない。

第Ⅰ章 聖徳太子と南都の教学
第Ⅱ章 密教と円教
- 円仁・円珍のあと、安然が台密を完成させた。安然では、密教の優位性は自明のこととされ、自ら真言宗と称している。四一教判=すべてが大日に統摂される。この後、天台において本覚思想が発展した。
第Ⅲ章 末法と浄土
- 最澄は、すべての衆生に悟りの可能性があるという考え方(=如来像思想、仏生思想)を主張。南都・法相宗の五性各別思想に対抗した。その後院政期になり、「仏性」にかわって「本覚」という語が多用されるようになると、単なる内在的な可能性ではなく、現実に悟りを開いている、という意味に転嫁した。
- 衆生のありのままの現実がそのまま悟りの現れであり、それとは別に求めるべき悟りはない。さらに、それは衆生の次元だけでなく、草木国土すべてが悟りを開いているとされた(草木国土悉皆成仏)。本覚思想は、仏教の枠を超えて、中世の文学・美術・芸能から神道の思想にまでおよぶ広範囲の影響を及ぼすことになった。
- 本覚思想と関連した浄土教思想: 本覚思想によれば、この世界はそのまま悟りの世界であるから、それと別に浄土があるわけではない。阿弥陀仏の絶対性が強調され、称名念仏に理論的根拠を与えることにもなった。
第Ⅳ章 鎌倉仏教の諸相
- 曹洞宗は鎌倉末に、従来の純粋禅の立場を捨て、加持祈祷や儀礼的要素を大胆に取り入れ大衆化することによって一挙に勢力を拡大した。
- 日蓮宗は、京都に盛んに布教し、新興の商工業者を中心とした京都の町衆の信仰を獲得し、町衆文化を生み出す基盤となった。
第Ⅴ章 近世仏教の思想
- 鈴木正三「職分仏行説」: 士農工商のそれぞれがその職分を果たすことは仏行にほかならない。「…農人と生を受事は、天より授給わる世界養育の役人なり。さらばこの身を一筋に天道に任せ奉り…」。本覚思想が倫理の歯止めを失って堕落に向かったのに対し、ここでは逆にそれを世俗倫理と結びつけることによって、新しい時代に対応させようとしている。
- 「世俗倫理」への対応は、ほかにも臨西禅の白隠慧鶴、真言宗の慈雲飲光などが有名。民衆側からも「妙好人」と呼ばれる真宗の篤信者が多く現れた。
第Ⅵ章 神と仏
終章 日本仏教への一視覚
- 仏教は日本において現世主義的に変容していく(=その代表が「本覚思想」)一方、日本人に現世否定の精神をはじめて教えた。
- 中世における本覚思想のもつ役割: 本地垂迹説が発展し、神が仏の現れだとされるようになると、神の方が価値ある存在だと考えられるようになった。鎌倉末期のナショナリズムとともに、神道思想が仏教を摂取しながら自立した思想を形成し、仏教の崩壊を招いた。
- 日本は外来宗教にとっては「恐ろしい沼地」のようなもの。どんな苗も、その沼地に植えられると根が腐る。遠藤周作『沈黙』より。
FEATURE 1 大乗仏典とその受容
FEATURE 2 本覚思想
- 『徒然草』にみられる「無常肯定」観は、無常は本来克服すべき対象と考える仏教思想を一転するもの。自然が大陸ほど厳しくなく、四季折々に美しいたたずまいを見せる日本では、自然の変化はむしろ望ましいものとみられ、人間の生死の無常もその自然の変化の一部分として受容され、肯定されたのではないか。「あわれ」を感じ取る自然観と関係が深いと考えられる。このような自然観を仏教的に表現したものが「草木成仏の思想」である。
- 仏教では、あるがままの現象世界が否定されることは全くない。しかし、生死即涅槃・煩悩即菩提などの考えは、あくまでも仏の悟りの立場で言われるこれであり、凡夫の立場でただちに生死や煩悩が肯定されるわけではない。この凡夫と仏の距離が圧縮されて零となり、凡夫の状態のままで現象世界が全的に肯定されるようになったのが「本覚思想」である。
- 如来像・仏性思想=凡夫と仏の距離を圧縮する思想。仏性思想は中国、とりわけ日本で広く展開された。密教の即身成仏/禅の頓悟=現世において仏の悟りに達することができるとする考え。
- 『大乗起信論』: インドの1~2世紀頃の仏教詩人馬鳴の作(?)。衆生の心を心真如(仏の絶対の立場から見たもの)と心生滅(日常的な煩悩にまみれた迷いの心として見たもの)の2面から分析。「本覚」は、迷いの心の中にある内在的な悟りであると同時に、目標としての悟りである。ところが中国から日本における展開の中で、絶対的な心理そのもの、すなわち心真如としての性格をも獲得していく。「本覚」という概念を媒介にして、仏の絶対の立場と凡夫の迷いの立場がひとつに結ばれた。
- 本覚思想は近世に至って批判を受け衰退するまで、長い期間にわたり、さまざまな分野に大きな影響を残してきた。
- 鎌倉仏教: 旧仏教の理論として注目された。また新仏教にも大きな影響を及ぼした。
- 神道: インドの仏より現実の日本において衆生を救済する神の方に価値を置く思想を育て、神道の独立を促した。
- 修験道: ありのままの自然を究極の仏の世界とする本覚思想の影響を強く受けて広がった。
- 華道・茶道
- 文学・芸能
- 近世思想: 近世の思想は中世の仏教などの宗教的世界観を否定して、人間中心的・現世主義的な世界観を確立したが、このスムーズな移行を可能にした背景には、現象世界を重視し、凡夫の日常性を重視する本覚思想の影響があったと思われる。
FEATURE3 仏教土着