会社を伸ばし、社員を幸せにする「経営理念」 会社を伸ばし、社員を幸せにする経営理念は、どのような理解のもと、どのように構築すればよいか――日本経営協会『OMNI-MANAGEMENT』誌(2016年10月号)に掲載された首記の寄稿を再録します。 「経営理念」を単なる“お飾り”のように思っている経営者は意外に多い。だとすれば、それはあまりにもモッタイナイ。宝の持ち腐れとしか思えない。経営理念は、企業を確実な成長へと導く最も頼りになる牽引装置であるばかりか、そこで働く人たちのやり甲斐を生み出し、社員を幸福へと導く、この上なく有用な経営ツールとなるものだからだ。 会社を伸ばし、社員を幸せにする経営理念は、どのような理解のもと、どのように作ればよいのか――筆者の考えと、構築手法の一端を紹介する。 偉大な事業に理念あり まずは、経営理念を“お飾り”としか考えていない人のために、その反証を示したいと思う。偉大な事業の背後には、必ず理念が存在する。理念なきところに偉大な事業はあり得ないのであり、いわゆる“偉大な経営者”と呼ばれる先達は、そのレベルが偉大であればあるほど、例外なく経営理念を軸に据えた経営を行ってきた。 例として、小倉昌男氏(ヤマト運輸)と松下幸之助氏(松下電器)の場合を見てみよう。 行政の厚いカベと闘いながら、“個人宅配”という新たな巨大市場の開拓に成功を収めた小倉は、宅急便事業を始めるにあたり、まずは「需要者にとってのサービスレベルの向上を何よりも優先する」との基本方針を定めたうえ、“サービスが先、利益は後”との標語を掲げて皆に示した。 そしてそれを実現するために“全員経営”の理念の導入と定着を図った。全員経営とは、全社員が同じ経営目的に向かい、同じ目標を持つが、目標を達成するための方策は社員一人ひとりが考えて実行する。つまり会社は、社員に目標は与えるが、やり方については命令したり指示したりはせず、社員自身がその成果に責任をもって行動する、というもの。 最前線の現場にあって、荷物の集配から営業、集金などさまざまな業務を担いながら顧客と直接対面するSD(セールスドライバー)は、宅急便事業を担う中心的存在であり、現場で発生した問題に対し、とっさに判断し行動しなければならない。センターに電話して所長の指示を仰ぐようでは、お客様の要望に迅速に応えることはできない。 SDは、いわば“寿司屋の職人”のようにお客さんに接する存在であり、またサッカーでいえば優秀な“フォワード”のように最前線に立って得点を稼ぐ存在であらねばならない――そうした小倉の揺るぎない信念を具現化したのが“全員経営”であり、宅急便の事業推進とともに並行して進められたこの経営理念の浸透が、前人未到の新市場開拓を成功へと導いていったのである。 ご存知“経営の神様”と呼ばれた松下幸之助氏も、「経営理念」を経営にとって何よりも大切なものと位置づけてきた。『実践経営哲学』は、氏が83歳のとき、創業以来の60年間を振り返り、その事業体験を通じて培い、実践してきた経営についての基本的な考え方を20章にまとめたものだが、その冒頭、第1章として「まず経営理念を確立すること」を謳っている。 「私は60年にわたって事業経営にたずさわってきた。そして、その体験を通じて感じるのは経営理念というものの大切さである。いいかえれば“この会社は何のために存在しているのか。この経営をどういう目的で、またどのようなやり方で行っていくのか”という点について、しっかりした基本の考え方を持つということである」 企業の「存在意義と目的」を胎落ちするまで探求する松下の姿勢は徹底したもので、やっとの末“真の使命”を感得し、それを従業員に向けて告示した1932(昭和7)年5月5日を「創業命知元年」と定めている。“命知”とは「使命を知る」という意味である。 いわく「産業人の真の使命は、生産に次ぐ生産により、水道の水のように低廉な物資を無尽蔵に供給し、それによって貧を除き、楽土を建設することである」。これが世に“水道哲学”と呼ばれる、松下の経営哲学の原点を成すものだが、この“命知”以降の変化の模様を、松下は次のように記している。 「…そのように一つの経営理念というものを明確に持った結果、私自身、それ以前にくらべて非常に信念的に強固なものができてきた。そして従業員に対しても、また得意先に対しても、言うべきことを言い、なすべきことをなすという力強い経営ができるようになった。…一言にしていえば、経営に魂が入ったといってもいいような状態になったわけである。そして、それからは、われながら事業は急速に発展した」。松下電器は、経営理念を明確に定めたのを契機に、その後、未曾有の急成長を遂げたのである。 ドラッカーに学ぶ理念の効用 事業の発展、企業の成長にとって「経営理念」がいかに重要かについては、小倉・松下両氏のエピソードを通じて、“お飾り”派のあなたにもある程度納得いただけたのでは思うが、今度は、経営の課題別に見たその“効用”を、ドラッカーの言説に沿いながら考えてみたい。 個別の課題に入る前に、まずは“マネジメントの父”と称されるP.F.ドラッカーのマネジメント論における「経営理念」の位置づけを確認しておこう。 そもそもドラッカーが言うところの“マネジメント”とは何か。それは「現代社会の信念の具現である。資源を組織化することによって、人類の生活を向上させることができるという信念である。経済発展が、人類福祉の向上と社会正義の実現の強力な原動力となるとの信念である」と、ドラッカーは“信念”の重みを強調する。 そして、こうした信念を具現化するために、マネジメントは次のような責務を負っているという。「あらゆる組織がその成員に対し、仕事について共通の価値観と目標を持つことを要求する。それなくしてそもそも組織は成立しない。単に人の群れがあるだけである。したがってあらゆる組織が、人を結集できる単純明快な目的を持たなければならない。…マネジメントの責務は、これらの目的、価値観、目標について検討し、決定し、組織の成員に示すことである」。つまりドラッカーは、まずは組織の目的と価値観、すなわち経営理念を確立せよ、それなくしてマネジメントはありえない、と教えている。 個別の“効用”に話を進めよう。ここでは「生産性」「意思決定」「リーダーシップ」というマネジメント課題に対する経営理念の効用を取り上げる。 まずは「生産性」。ドラッカーは以下のような論旨により、生産性を高めるためにはまず何よりも「何が目的か」を明らかにことから始めなければならないと強調する。 「私たちは今日、“知識社会”と呼ばれる、知識が社会の中心を占める社会を生きている。かつて肉体労働が中心を占める社会にあっては、生産性を上げるためには、仕事のやり方、つまり“いかに行うか”を工夫すれば良かった。だが知識労働においては、“より賢く働く”ことが生産性を向上させるための唯一の鍵であり、まずは“何が目的か。何を実現しようとしているのか。なぜそれを行うのか”を問わなければならない」 「そして次に、その“目的への集中”を図らなければならない。今日、知識労働者の生産性はまったく向上していない。分野によっては低下さえしている。仕事や給与にはほとんど関係がなく、かつ、ほとんど意味のない余分の仕事を課せられて、忙しさを増大させているからだ。当然、生産性は破壊される。動機づけも士気も損なわれる」 生産性を高めるためには、まず“何が目的か”を明らかにした上で“目的への集中”を図る。つまりは、経営理念の徹底を図ることが大切だとドラッカーは考える。 次に「意思決定」。ドラッカーは言う。「成果をあげるためには、意思決定の数を多くしてはならない。重要な意思決定に集中する必要がある。個々の問題ではなく、根本的なことについて考えなければならない。不変のものを見なければならない」 ドラッカーがここで言う“不変のもの”とは、経営理念に他ならない。経営は、不変の経営理念の下、一貫性を保って行われなければならない。そうした揺るぎない理念があってこそ、状況に即して、個別の戦略・戦術を柔軟に組み替えることが可能となる。ヤマト運輸の全員経営の例で言えば、“サービスが先、利益は後”という原理原則があればこそ、SDは現場で、独りで判断することが可能となる。迷ったときには、原理原則に照らして考えれば、答えは自ずと明らかになるからだ。経営理念は、意思決定を飛躍的にスムーズにしてくれるスグレモノなのである。 3つ目は「リーダーシップ」。ドラッカーは言う。「もちろん、リーダーシップは重要である。しかしそれは、いわゆるリーダー的資質とは関係ない。カリスマ性とはさらに関係ない。…効果的なリーダーシップの基礎とは、組織の使命を考え抜き、それを目に見える形で明確に定義し、確立することである。リーダーとは、目標を定め、優先順位を決め、基準を定め、それを維持する者である。…リーダーシップは賢さに支えられるものではない。一貫性に支えられるものである」 「社員を幸せにする」理念の効用 本稿は、『会社を伸ばし、社員を幸せにする「経営理念」』についての考察を進めるものだが、「会社を伸ばし」に関する説明は以上とし、次に「社員を幸せにする」効用について考えてみたい。 さて、本論に入る前にそもそも“経営理念”とは何なのか? 筆者は一つの定義として、それは「それぞれの企業が社会の中で果たすべき“役割”を明らかにしたもの」だと考える。「お客様からお客様へ小荷物を迅速に運ぶ便利なサービスを提供する会社」「安くて良い電化製品を製造し人々の豊かな暮らしを支える会社」といった具合に、社会の一員として、自分たちが担う役割を定義し、宣言するものである。 経営理念によって、こうして社会の中における“会社の役割”を明確にする。ポジションを定める。そしたら次はその下で、会社の中におけるそれぞれの“組織の役割”、さらには個々の“社員の役割”をクリアにする――成果の上がるいきいきとした組織づくり、社員を幸せにする組織づくりを行うためには、このように、組織として、個人としての“役割”を明確にすることが何より大切だ。 なぜならば人は、組織は、ともに社会の中にあって、自らの“役割”を演じ切るときに最も大きな力を発揮する。自らの存在意義を感じ取り、やり甲斐、そして生き甲斐を見いだす生き物だからだ。 『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』でも描かれているとおり、程久保高校野球部という組織は、西東京地区にある都立高校野球部として関係者から期待される“役割”を全うできたとき、歓びの頂点に立つ。そして、ピッチャーは、代走は、マネージャーは、監督は、それぞれがそれぞれの果たすべき“役割”を果たせたときに、最大の歓びを得ることができる。それは責務に対する“貢献”の歓びだ。 こうした役割分担はまた、組織内における信頼の醸成へとつながる。“役割”を分担するということは、「投球はピッチャーに任せた」「外野フライはライトに任せた」という他者への信頼を前提に成り立つものだからだ。 そしてまた、人は“自分自身が成長する”ことに大きな歓びを感じる存在でもある。だからそのための苦労であれば厭わない。いや、むしろ進んで挑戦しようとする。炎天下の厳しい練習にも耐えられるわけだが、こうした問題の本質にも「経営理念」は関係する。 俗にいう“法治主義/人治主義”という概念を使えば、理念に基づく経営は法治主義に相当し、一方、そうでない経営は人治主義に相当する。どういうことかというと、経営理念とは、いわば会社における憲法のようなもの。当該組織における善悪良否や優劣の価値基準を定めるものとなるわけだが、大切なのは、それがまさに憲法のように、経営者からは独立した存在として明文化され、組織によって共有されていること。そうした“独立性”が確保されていないと、その価値基準は“属人的”なものとなり、“人治主義”に陥る。 すると部下の社員は、仕事を進めるとき、いつも上司の顔色を伺うことになる。どのような判断が下されるかについての客観的な基準がなく、それはひとえに上司の“ご機嫌次第”となるからだ。 こうした事態は、例えば“自己研鑽”といったことにも大きな影を落とす。企業の目的やビジョンが明確で一貫していれば、社員は、先の先まで見越して自己研鑽に励むことができる。ところが人治主義の下では、「どうせ部長が替わったら、また方針もコロッと変わるし…」との想いがよぎり、自己研鑽に励む意欲などとても湧かない。経営理念を大切にしない経営は、現在ばかりでなく、未来の生産性をも著しく棄損するのである。 経営理念が「社員を幸せにする」効用は、書き出すとキリがないが、最後にもう一つだけ、“企業文化”との関係について。 善悪良否や優劣の価値判断は、時間経過とともに組織内に堆積し、地層のようなものを形成する。そうした、組織を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式の総体が“企業文化”だといえる。そしてその企業文化こそが、当該組織に属する人たちに“幸せ”をもたらす源泉となる。 「経営理念」の構造 本稿では、ここまで「経営理念」という言葉をあいまいな定義のままに使ってきたが、最後にこの点を、構造的に明らかにする。 ミッション、ビジョン、バリュー、基本理念、行動規範、信念・信条、社是・社訓、経営戦略などなど「経営理念」に関連する概念・用語にはさまざまなものがあるが、これらの関係はいったいどのように理解すればよいのか? 単純な“正解”があるわけではないが、筆者は下図のような整理の仕方がもっとも整合的であり、かつ実効性が高い(実践的である)と考えている。 「経営理念」とは、狭い意味では「基本理念」を、広い意味では「基本理念」に「ビジョン」や「行動規範」などを加えたものとして捉えている。 「基本理念」は、いかなる環境下にあろうとも、長期にわたって“一貫性”が保たれる必要がある。これに対して「経営戦略」は、そのときどきの経営環境に応じて、臨機応変に見直しが加えられるべきもの。そしてこの両者は、基本理念を明確にし、揺るぎないものとすることで、基本理念以外のすべてを変化させ発展させるのが容易になる、というクルマの両輪の関係にある。 基本理念やビジョンが、主として組織の内部的な意思として示されるものであるのに対し「ブランド」は、企業の内部的な意思と顧客の価値観とが結びつく、その接点に、両者共通のゴールとして構築されるもの。当該組織の存在目的・存在意義はまさにここに、“理想”としてではなく“結果”として示されるもの、と理解することができる。 * CSR(企業の社会的責任)の重要性が叫ばれて久しいが、日本の商人は江戸の昔から、きわめて高い倫理観のもとに商活動を続けてきた。そしてその背景には、江戸中期~後期に「石門心学」として日本中に広まった石田梅岩の思想があった。「助け合い」「勤勉」「もったいない」などの精神として今日にまで伝わる商道徳の教えである。 “石門心学ブーム”はなぜ起こったのか? それは「士農工商」の身分制度のもと、いかなる生産にも携わっていない賤しい存在とみなされていた商人たちが、自分たちが行っている仕事にはいったいどんな“意味”があるのか、それを知りたい一心で、全国に開設された心学講舎に答えを求めて押し寄せたのである。 “意味”の見いだせない仕事ほど、人間にとって苦痛はない。 |
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