[この本に学ぶ]
『
儒教とは何か (増補版)』
加知伸行 著
中公新書(2015年)
例えば「ルール」。組織経営にあたっては、行動規範といった理念的なものから、実務レベルの規則まで、さまざまルールが必要となるが、そんなルールづくりに際しての望ましい考え方の枠組みを、私たちは「徳治」対「法治」という、儒教における代表的論争から学ぶことができる。
「徳治」とは道徳による政治。孔子、孟子に代表される儒家がこれを理想とした。一方「法治」は法律による政治であり、韓非子ら、儒家に対抗した法家がこれを推進した。
つまりは政治を「道徳」によって行うか、それとも「法律」によって行うか、という問題になるわけだが、儒教における論争は、法と道徳とを対立した概念として捉える欧米流のそれではなく、あくまでも両者をどのような「割合」にするのが望ましいか、というもの。
儒家は、道徳を第一義に考えた。人々が皆、共同体の道徳(習慣・習俗)に従って暮らすことによって秩序ある社会を築こうとした。が、中には必ずこうした習俗・習慣に従わない者がおり、そうした者に対しては、法的処罰を科す。つまり、法治が不要というのでなく、まずは道徳があり、その中の一部として法(罰)があるというもの。そしてこの法治部分の割合をできるかぎり小さくしていく――その先に理想的な社会があると考えた。
一方、法家は、法を中心に据えた。成文法を示し、守るべきものをはっきりさせようとした。が、法家も道徳の大切さを否定した訳ではない。道徳→法の優先順位を、法→道徳に入れ替え、前者の割合を大きくしたということだ。
徳治から法治へという流れには、秦の始皇帝による中央集権国家の樹立という背景があり、その巨大な機構の下では、法治主義に移行せざるをえないという事情があったわけだが、法治、すなわち罪刑法定主義に基づく政治は、「その法網にひっかかりしなければ悪事を働いても構わない」という発想を生み出す温床となった。
と見てくると、「法治」はいわば必要悪。理想は「徳治」にあり、と考えられる。ところで、儒家がめざした徳治は、共同体における≪共同体の道徳≫を前提としたものだといえる。だから、例えば中央集権国家における国家経営のための手段としては無理がある、という点については納得がいく。が、その対象が≪共同体≫の場合には、徳治を理想と位置づけた経営を行っていくのが望ましい、と筆者(馬渕)は考える。
この点、日本の組織は「機能集団が共同体に変身する」という大きな特性を備えている。ドラッカーが匙を投げた「企業を共同体化する」という理想が、日本では江戸の昔から実現していた。いや、その≪日本資本主義の精神≫は、良くも悪くも「組織は、それが機能をすると、自ずと共同体に変身してしまう」という、不変の法則を生み出した。≫160904
「良くも悪くも」の、問題点への言及はここでは省くが、それはさておき、日本における企業経営は、世界に比類なきこの≪共同体化≫の特性を活かした、徳治=性善説(※)に基づくマネジメントを採るべきではないか。それが日本の強みを最大限に活かしたマネジメント手法ではないか、と思料する。
※性善説:この言葉についても誤った理解が一般化しているため、稿を改めて言及したい。
紹介が後先になったが、本書『儒教とは何か』は、現代日本における儒教研究の泰斗、加地伸行氏が、書名にある「儒教とは何か」について初学者向けに解説したもの。その前提として、まず「儒教は果たして宗教か? それとも宗教ではないのか?」という問題を投げかけ、氏は「儒教は宗教である」との立場(=この立場をとる専門家は極めて少ない)で自説を展開する。
その説明は、「宗教性」と「礼教性」、さらには「哲学性」という概念分類に基づくもので(下掲「NOTE」の図参照)、儒教の構造が、歴史的に次のように変遷してきたことを理解することができる――。儒教は本来「宗教性/礼教性」が一体となったものだったが、政治での利用が進むにつれ「宗教性」を担う部分と「礼教性」を担う部分とが分離。後者への注目が集まる一方、前者はそれぞれの家族内における祖先祭祀として習俗化していったため、その「宗教性」が次第に無意識化されていった。が、この儒教の「宗教性」に基づく意識は、日本を含む東北アジア儒教文化圏において、いまもなお、さまざまな形で息づいている。底流として、絶えることなく流れ続けている。
そして加地氏は、われわれ東北アジア人としては、その原感覚(=祖先祭祀を核とする宗教性)に基づいて、その上部に現代における倫理や家族論などを樹ててゆくことの大切さを全編を通して訴える。

序章 儒教における死
- 中国人は、この世を楽しいところと考えた。五官(五感)の快楽を正しいと認める(⇔仏教は煩悩だとして否定する)。快楽に充ちた現生に少しでも長く留まりたい。
- 表意文字の文化=「はじめにものありき」(⇔「はじめにことば(神)ありき」)。形而上的世界より、まず形而下的世界に関心が向く。
- 死とは、魂(精神の主宰者)と魄(肉体の主宰者)とが分離し、魂は天上に、魄は地下へと行くこと。魂と魄とを呼び戻し、融合一致させると再び<生の状態>に戻る。=招魂復魄儀礼
- 孝=①祖父の祭祀(招魂儀礼)②父母への敬愛 ③子孫を生むことを一つのものとして統合した。孝の行いを通じて、自己の生命が永遠であることの可能性に触れうる。この「生命論」こそが「孝」の本質。
第1章 儒教の宗教性
- 宗教の定義:死ならびに死後の説明者。宗教から死に関する問題の説明を除くと、残るのは倫理道徳だけ。その民族の民族性に適合した死ならびに死後の説明をなしえたとき、それはその民族の国民的宗教となる。
第2章 儒教文化圏
- 近・現代国家は、国家と個人との中間に存在する共同体を叩きつぶし、個人が国家を成り立たせるシステムを作ってきた。しかし日本では、地縁共同体はほぼ崩壊したものの、血縁共同体はまだ生き残っている。東北アジアにおいて、この共同体を成り立たせている理論が儒教である。
- 儒教文化圏:孝とりわけ祖先祭祀を核とする儒教によって歴史的・宗教的に一体化されている文化圏。儒教文化圏を歴史的に継続せしめてきた根本は、儒教の「宗教性」にある。
第3章 儒教の成立
- 儒教は、原儒のシャマニズムを基礎にして、孝という独自の概念を生み出し、この孝を基礎にして家族理論を造り、さらにその上に政治理論を造り出し、一つの体系的理論を構成した。
- 儒教では、祖霊への宗教的行事を筆頭に、家において冠婚葬祭を行うので、いわゆる教団宗教の行為に比べて日常的であり、人々には宗教と気付かれないできた。
- 孝を、生物的本能による愛などとして捉えるのは不十分。孝はあくまでも全体としてみるべきもの。それは唯一つ「生命論」として。過去・現在・未来を貫く生命の連続という考え方の上に立って理解すべきもの。
- 喪礼こそが一般人の礼の中心。親に対する喪礼を最高の弔意を表すものとし、それが他の礼制(冠婚葬祭)の基準となる。
- 孔子は主情的な小人儒を否定し、主知的な君子儒をめざした。
- 孔子は、人愛の最高度は親しい者への愛すなわち孝となると説き、仁を孝に結びつけた。こうして宗教的儀礼(主として招魂儀礼)を倫理的儀礼(社会的儀礼)へと展開した。
- 農業社会では「共同」の意識が必要。血縁共同体の礼(冠婚葬祭)以外、地縁共同体の礼もまたある。
- 周王朝=封建制 →秦王朝=郡県制(中央集権制)
- 大共同体は叩きつぶされ、中共同体もしだいに自治独立が困難となった。倫理の基盤としての共同体が破戒された →法治主義の登場
- 「聖人」になることは可能であるどころか目標となっている(⇔キリスト教の神/仏教の仏)
- 儒家 →道徳第一(共同体的) →慣習法重視 →徳治
法家 →法律第一(中央集権的)→成文法重視 →法治 - 儒教とは、人間の常識を形として表現することでもある。そしてその礼を守ることによって社会の秩序が成り立つと考えた。
- 人間は感性のまま生きるのではなくて、知性をもって生きることが<人間として>の生き方であり、<人間らしい>と言えるとした。自然を切り開き、支配し、その中に人工の世界=礼の世界を造る。礼による文化、教化、知化、徳化、風化を図る。
- 老子はこれらを否定し「無為自然」を良しとした。
第4章 経学の時代(上)
- 経学:聖人と関わり深い古典について解釈を加える学問。経学を前面に出して、前漢代をリードする理論を荷なおうとした儒家は、「孝教」と「春秋」を重視した。
- 儒家の重視する「孝」を、なんとか「忠」と連続する必要があった。そこで「孝教」は、「孝をもって君に事うれば忠」と、孝が忠に移行できるものとした。前漢時代では、忠とは、まだ<公>的な観念ではなく、自分を雇ってくれている主人に対する<私>的な感情としての忠だった。
- 前漢王朝の武帝の時代に、儒教は国教化された。その最も大きな意味は、それまで混在していた礼教性と宗教性の2つが実質的に分裂したこと。礼教性は体制イデオロギーとして発展してゆき、宗教性は一般家庭の家族における私的行為の中に残っていく。
- 教書を読み聖賢を理想像として、そう成るよう同一化を求めて努力実践する知性的な「経学」と、緯書を読み、聖賢を仰慕し、<聖賢のこの世ならぬ世界>に身を沈めてゆく感性的な「緯学」。後漢以降は、この両者が織りなす儒教の時代となり、それが続く。
第5章 経学の時代(下)
- 儒教――子孫の祭祀による現生への<再生>――招魂再生
道教――自己の努力による不老<長生> ――不老長生
仏教――因果や運命に基づく輪廻<転生> ――輪廻転生 - 現生を苦しみの世界ではなく楽しい世界と考える中国人が、「転生」を肉体をもってもう一度生まれることができる良いものと誤解 →仏教が大流行
- 死後<楽の世界>へ往って生きる(=往生)ことのできる浄土思想が大流行
- 仏教は祖霊信仰や祖先祭祀(その中心としての「孝」)を取り込む必要があった。偽経(例:盂蘭盆経)をつくった。日本には、そうして祖霊信仰や祖先祭祀が取り込まれた仏教が広まった。一方、儒教は礼教性の高い<儒学>が広まった。
- 宋学(朱子学):従来の儒学体系に宇宙論・形而上学を重ねた。理気二元論
- 八条目(『大学』): 格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下
- 敬:共同体に基盤を置き他律化されてしまう傾向にあった道徳ではなく、己の心を己が律する自立的な真の道徳を求めようとした。
- 朱子学を批判する心学(後に陽明学として発展)は、朱子学を超える独自の政治論、道徳論を生み出すことができなかった。
第6章 儒教倫理
- 倫理・道徳について考えるときには、<人間は利己的である>ことを大前提とする必要がある。しかし人間は他の動物とは異なり高度な社会を作る。すると利己は通じなくなり、他社との関係の上に立っての配慮=共同体の規範(=倫理・道徳)が必要となる。
- 規範に反すると罰(=法)を与える。中国古代社会では、法(=罰)は道徳の一部であり、道徳と対立する別の存在ではない。西洋思想のような法と道徳との対立はない。
- 道徳は3種に大別できる。
- ① 規範倫理:社会性を第一とする絶対的倫理 →現代社会では、法律が代替
- ② 価値倫理:他社との関わりの中での自己の生き方という相対的倫理 →現代社会では、結論や解答の出ない議論・論争となるであろう
- ③ 有徳倫理:自己の道徳心を高める<修養>としての倫理 →将来的にはこれが中心になっていくであろう
終章 儒教と現代と
- 儒教は人工・人為の世界を第一とし、自然を人工・人為によって屈服させようとした。…儒教流の人口・人為世界の単純な賛美は、環境破壊につながりかねない。それを抑えうるのは、子孫のためにという、同じく儒教の一方にある孝であろう。
- 「家」を、中国人は徹底的に<血族の集団>とするのに対して、日本人は<一つの組織>と考える。この感覚からすれば、会社という共同体に対して、組織として捉える感覚に移行することはたやすい。