ダイアローグ160904

日本社会の根源を解き明かす「機能集団=共同体」論


[この本に学ぶ]
『山本七平の日本資本主義の精神
山本七平著
ビジネス社(2015年) 初刊:光文社(1979年)


本書が著されたのは1979年。それは日本が第一次石油ショックから立ち直り、日本人が、日本の経済とそれを支える日本的経営に自信を深め始めた時代だった。ベストセラーとなったエズラ・ボーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が出版されたのもこの年だった。

そんな時代にあって、「日本人とは何か」を終生問いづけた著者が、この国の経済を育てた根源的な「精神」を明らかにしようとしたのが本書である。山本はそれを、江戸時代の思想家、鈴木正三と石田梅岩にまで遡り、二人を起点に精緻なロジックで解き明かしていくのだが、そのお手並みは、「うーむ」と思わず唸ってしまう見事なもの。著者自身による要約が、本書の最終章に書かれているので、少し長いがそのまま引用させてもらうと――。

徳川時代はすでに、経済的合理性なきものは存立しえないことは、多くの人にとって公理であった。いわば「資本の論理」を無視すれば、個人も商人も、藩も成立しえないのである。

したがって合理性の追求は「善」であった。梅岩にとっては、消費者のために徹底的な合理化を行なうのが「正直」であり、鷹山にとっても竹俣当綱にとっても、藩の経済的合理性を確立するためには、愛馬に人糞を積み、家老が鍬を握って泥田に入ることが「善」であった。ただしそれは自己の利益追求すなわち「私欲」のためでなく、一に藩という共同体のためであらねばならなかった。同じように、梅岩も私欲を禁じた。彼にとって、「商」という行為自体が、社会に奉仕し、かつ、それを行ないうる商家という共同体を確立し、それに属する人々の生活を保障する行為であった。

この原則は、藩という共同体を維持するためには、これが資本の論理に基づく機能集団に転じねばならぬという発想であり、同時に、商家という機能集団は、それが機能するためには、共同体と化さねばならないという考え方でであった。

そして、その原則は明治にも、戦後にも生かされ、それが日本の「奇跡」といわれる発展を招来した。

同時に、各人の精神構造もこれに対応して機能しなければならない。「農業即仏行」であり、すべての事業は「皆仏行」であって、それ自体を行なうことに、「生きがい」すなわち宗教的な精神的充足を求めねばならない。その意味では、賤業といえるものはない。

いざとなれば、武士が鍬を握るのも、馬糞をひろうのも、立派な行為である。そして、それが組織となるとき、機能集団の一員として機能することが、そのままそれと裏腹の関係にある共同体への奉仕という形で、精神的充足がえられるという関係になる。

このことは、当然に「企業神的な対象」、ないしはその種の「目標」、またはその体現者のような教祖的人物が、この共同体の中心になりうるということである。またその集団は共同体であるから、当然に終身雇用であり、何らかの形の年功序列制であっても、雇用は契約によらないわけである。

欧米社会は、機能集団と共同体とがはっきり分化している。一方日本においては、機能集団は共同体に転化してはじめて機能しうるのであり、また逆に、集団がなんらかの必要に応じて機能すれば、それはすぐさま共同体に転化する――この「機能集団=共同体」論が、本書のいわば基本的な枠組みとなっている。

山本のこの説明は、日本人であればおそらくほとんどの人が頷くはず。「日本資本主義の精神」は、マックス・ウェーバー言うところの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」とは異なる、この「機能集団=共同体」文化を基盤に形成されてきた独自のもの、というわけだ。

筆者(馬渕)は、山本が“擬制の血縁共同体”という言葉で呼ぶ企業組織を、“社縁共同体”として現代に蘇らせるべく、それを「企業理念」という道具立てによって実現することをめざしているが、山本のこの「機能集団=共同体」論は、私に大きな勇気と自信を与えてくれた。

というのも、“社縁共同体”といったものの形成について、P.F.ドラッカーはきわめて否定的な見解を示しているからだ。『イノベータ―の条件』から該当箇所を引用する。

40年前、私は、そのようなコミュニティは働く場所において実現されると考えた。『産業人の未来』(1942年)、『新しい社会と新しい経営』(1949年)において、一人ひとりの人間に対し、位置づけ、役割、責任を与える場として、職場コミュニティを論じた。これは、日本ではかなりの程度実現された。しかし、その日本においてすら、職場コミュニティは実現しそうにない。少なくとも、知識労働者については実現しそうにない。

今日では、日本の職場コミュニティといえども、帰属意識よりも不安に根ざす部分が多かったことが明らかになっている。…西洋では、職場コミュニティは一度として根を下ろさなかった。

さすがのドラッカーも、山本の観察眼のこの深みにまでは達していなかったようで、筆者としては山本の見解を全面的に支持したい。そしてこの「機能集団=共同体」論のフレームワークを活用しながら、現代社会にあって、日本人がほんとうに生き生きと働ける組織のあり方を、引き続き探っていきたいと思う。



1. 日本の伝統と日本の資本主義
1.1. 日本のこれまでを支えたものは何だったのか
  • 日本においては、機能集団は共同体に転化してはじめて機能しうるのであり、このことはまた、集団がなんらかの必要に応じて機能すれば、それはすぐさま共同体に転化することを意味する。
  • 機能集団は同時に共同体であり、機能集団における「功」が共同体における序列へ転化するという形である。
1.2. 血縁社会と地縁社会
  • 日本は血縁社会ではなく「擬制の血縁社会」。婿養子制度など、血縁のように見られるものに非血縁的要素が入ってくることを、誰も不思議に思わない。
  • 地縁集団は「第三の種族」化しなければ、共同体になりえない。ところが日本は、機能すれば共同体に転化し、一種の強固な擬制の血縁集団化してしまう便利な国。
  • 機能集団は、ある目的を達すべく機能するための組織である。共同体のように、それ自体に存立理由があるわけではない。
  • 欧米社会は、機能集団と共同体とがはっきり分化している。人々は共同体に住み、そこから会社に「出稼ぎ」に行く。一方日本では、団地は、会社共同体に通うための単なる寝場所にすぎない。
  • 「共同体の要請」を絶対化しているのが「話し合い」。超法規的な「話し合い」が絶対的な「義」とみなされる。
1.3. 「契約」の社会と「話合い」の社会
  • 日本には「契約がない」という言葉は、日本の社会構造の中に契約という要素がないという意味であって、個人の私的な信義がなく、また共同体内の「話し合いに基づく決定」への遵守がない、という意味ではない。「話し合い」絶対という構造であるがゆえに、「契約」がないのである。
  • イスラム教徒にあっては、神との契約の内容が同一である二人の人間のあいだには、相互契約も話し合いも必要ない。これに対し日本の「天地神明に誓って」は、相互に強く約束の遵守を誓うため、「天地神明」を証人もしくは保証人としているのであって、話し合いが必要ではないという状態ではない。
  • 日本における社規・社則は、伝統的な話し合い体制を維持し、それから逸脱しないようにする認証的な作用をしているにすぎない。
2. 昭和享保と江戸享保
2.1. 日本をつくった二人の思想家
  • 江戸時代は「日本の自前の秩序」を確立した時代である。鎌倉幕府の崩壊以降、さまざまな形で混乱を続けてき日本は、その総仕上げともいうべき朝鮮出兵と敗退という小型太平洋戦争の「敗戦経験」を経て、新しい秩序の確立時代に入ったわけである。いわば一つの「戦後」であった。
  • 徳川時代はいわば「忠孝一致」の時代である。「孝」という血縁の原理が、社会組織全体の原理となった時代である。その前提となる精神構造の形成に、鈴木正三/石田梅岩という二人の思想家の思想が大きく影響を及ぼした。
2.2. 禅とエコノミック・アニマル
  • 鈴木正三の思想: 人間の内心の秩序と、社会の秩序と、天然自然の秩序は、一致していなければならない。それを完成するには、みなが内心の仏、すなわち自らの内なる宇宙の秩序どおりにならなければならない。その障害となるのは三毒であり、この病いから身を守るには、医王である仏に従って、定められた健康法を守ることが必要である。その健康法とは、つまり各人が自らの業務を仏行と信じて、ひたすらにそれを行うことである。そして、それを行うにあたっての基本的態度は、「正直」であり、各人がその心構えに従って、世俗の業務という仏行をはげめば、その各人の集合である社会もまた仏となり、同時に、それによって造り出したものは社会に益し、巡礼のごとく働いてそれを流通さすことによって各人を自由にする。そして最終的には、これによって各人の内心の秩序と宇宙の秩序は一致し、各人は精神的充足を保って、同時に戦国のような混乱がなくなって、社会秩序が確立する。
2.3. 神学と心学
  • 正三と梅岩の世界観は基本的には同じ(徳川時代の多くの思想家も基本的には同じ)で、宇宙の秩序と内心の秩序と社会の秩序は一致しているし、また一致させなければならないという発想。ただし梅岩は、それを主として朱子学に負っている。
  • 正三にとって、宇宙は「一仏」という人格神的対象。梅岩においては「天」という非人格的なもの。正三より非宗教的で、市民思想的な道徳律へと変化している。
  • 日本には「社会の中の自然現象」ともいうべき意味の「自然」という言葉がある。人間はこの「自然現象」のとおりにしなければ不自然なのである。
  • 「心」すなわち内心の秩序と、宇宙すなわち天然自然の秩序は同じであり、この2つをつないでいるのが「形」であり、「形」に従っているのが自然であるように、人と社会をつなぐのが「形」であって、この「形」に従っているのが自然であり、それに従うのが「道」であり、その基本をきわめたものが聖人ということになる。
  • 「倹約というは畢竟身を修め家をととのえん為也」。法律・社規・社則等で外から規制されることを拒み、内なる「自制」で秩序を維持しようとする。
  • 社会は動かないものという前提に立って、その中でいかに生きていくべきかを考えることが、梅岩の思想でも根底をなしている。
3. 現代企業のなかの「藩」
3.1. 「資本の論理」と「武士の論理」
  • 徳川時代とは、武士自体が「資本の論理」に基づいて、自己を「藩株式会社」の経営者もしくは経済官僚と規定せざるをえない時代だった。その意味では「武士の町人化」である。
  • 梅岩が説いたのが「働く者の倫理」であれば、鷹山などの明君が残したものは「経営者の倫理」。「資本の論理」を厳格に実施しつつも、本人は無私・無欲であらねばならないという倫理である。この発想の基礎にあったのは「公私の峻別」であり、「資本の論理」をあくまでも公の論理として把握した点である。この遺産が現代の日本を築いた。
3.2. 日本資本主義の美点と欠点
  • 日本人は「資本の論理」は否定せず、経済的合理性なきものは評価しない。したがってそれが確実に未来への発展を見通した経済的合理性をもつと納得すれば「飢えの瀬戸際政策」さえ行なえるのである。
3.3. 日本資本主義の伝統を失わないために
  • 経済性を無視しても、成果が全くなくても、「ひたすらやった」ことに意義を感じ、同時にそれが、この意義を認めよ、という形になり、それが認められないと、不当と感じ、強い不満を抱くという結果にもなる――というのは、あらゆる面に見られる日本の特徴である。
  • しかし、機能集団が同時に共同体であり、共同体であらねば全体が機能しないという世界では、成果のみの評価もまた、問題を生じる。この問題は、日本のように自己規制の倫理の社会では、各人が自らに峻厳な自己評価を下す、即ち自己の「本心」に照らして自己診断するという以外に方法がない。
  • 鷹山が実行したことは「あたりまえ」のことである。だが、そうした実行の前には多くの抵抗があり、それは、その時代の「権威」とされる言葉によって行なわれた。いわば「聖人の教え」であり、「武士の道」であり、戦後ならば「民主主義」であろう。そしてそれを克服しえた人は、「日本資本主義の倫理」をその方法論として身につけていた。その倫理を失った者には指導力がない。