[この本に学ぶ]
『
実践経営哲学』
松下幸之助著
PHP研究所(1978年)
1917(大正6)年にわずか3人でゼロからスタートし、一代で10万人を超える企業グループを築き上げた筆者が、83歳のとき、創業以来の60年間を振り返り、その事業体験を通じて培い、実践してきた経営についての基本の考え方をまとめたもの。いわば、松下幸之助の経営哲学の集大成ともいうべき本です。
本書で松下は、それまで大切にしてきた基本的な考え方を20項目にまとめて説明しています。詳細は下掲[NOTE]のとおりですが、このなかで松下は、経営理念をしっかり確立することの大切さとともに、その経営理念は、大自然の理にかなったものでなければならないと強調します。すなわち、単に経営のことだけを考えるのではなく、人生について、人間について、社会について、広く深く、いかにあるべきか、何が正しいかを考え、さまざまな体験をするなかから生まれてくる哲学、信念に基づいて生み出されるべきものであり、またそうあってこそ、その経営理念が真に正しい経営理念たりうるし、誤りのない確固たる経営ができるのだ、ということです。
経営のあるべき姿を、人間や社会のあるべき姿にまで遡って徹底的に考え抜くその姿勢は、本サイトでも取り上げてきたドラッカーや石田梅岩に通ずるものですが、事実、松下の経営哲学にはこの両者との共通点を非常に多く見いだすことができます。
松下が両者から影響を受けたという事実はなく、三者は独自にそれぞれの経営哲学を追求した。それが結果として、非常に似通ったものになったということですが、このことは、三者がまさに人間や社会の本質を見抜き、そこに同じようなものを見たということ。似通うのは必然であり、それはまた、これらの考えの妥当さを証するものでもあると私は理解しています。
最終章「素直な心になること」に書かれる次の一文は、松下幸之助の経営哲学の真髄を、まさに凝縮したものといえます。
「経営というのは、天地自然の理にしたがい、世間大衆の声を聞き、社内の衆知を集め、なすべきことを行っていけば、必ず成功するものである」

まず経営理念を確立すること
- 私は60年にわたって事業経営にたずさわってきた。そして、その体験を通じて感じるのは、経営理念というものの大切さである。…経営理念というものを明確に持った結果、私自身、それ以前にくらべて非常に信念的に強固なものができた。そして従業員に対しても、言うべきことを言い、なすべきことをなすという力強い経営ができるようになった。…一言にしていえば、経営に魂が入ったといってもいいような状態になったわけである。そして、それからは、われながら驚くほど事業は急速に発展したのである。
ことごとく生成発展と考えること
- 正しい経営理念というものは、単に経営者個人の主観的なものではなく、その根底に自然の理法、社会の理法といったものがなくてはならない。…私は「限りない生成発展」ということがその基本になるのではないかと思う。この大自然、大宇宙は無限の過去から無限の未来にわたって絶えざる生成発展を続けているのであり、その中にあって、人間社会、人間の共同生活も物心両面にわたって限りなく発展していくものだと思うのである。
人間観を持つこと
- 経営というものは、人間が相寄って、人間の幸せのために行う活動だと言える。したがって、その経営を適切に行っていくためには、人間とはいかなるものか、どういう特質をもっているのかということを正しく把握しなくてはならない。いいかえれば、人間観というものを持たなくてはならない。
- 人間は万物の王者ともいうべき偉大にして崇高な存在である。生成発展という自然の理法にしたがって、人間みずからを生かし、また万物を活用しつつ、共同生活を限りなく発展させていくことができる。そういう天与の本質を持っているのが人間だと考える。…万物の王者というのは、一方においてすべてを支配活用する機能を有すると同時に、いつくしみと公正な心を持って一切を生かしていく責務をあわせ負うものである。
- 経営者は経営体における“王者”である。そこにおける一切の人、物、資金などを意のままに浮かす権限を与えられているのが経営者である。しかし同時に彼は、それらの人、物、資金すべてに対し、愛情と公正さ、また十分な配慮をもって、それぞれが最も生かされるような用い方をし、その経営体を限りなく発展させていく責務を負っているのである。
使命を正しく認識すること
- 事業活動を通じて、人々の共同生活の向上に貢献する…この根本の使命を見忘れた事業経営は真に力強いものとはなり得ない。“企業の社会的責任”の基本はそこにある。
自然の理法に従うこと
- 私は経営の秘訣を尋ねられたとき「別にこれといったものはないが、強いていえば“天地自然の理法”にしたがって仕事をしていることだ」と答える。たとえていえば、雨が降れば傘をさすというようなことである。
利益は報酬であること
- 使命を遂行し、社会に貢献した報酬として社会から与えられるのが報酬である。
共存共栄に徹すること
- 自分の会社だけが栄えるということは、一時的にはあり得ても、長続きはしない。共存共栄ということでなくては、真の発展、繁栄はあり得ない。自然も、人間社会も共存共栄が本来の姿なのである。
世間は正しいと考えること
- 私は、世間は基本的には神のごとく正しいものだと考えている。一貫してそういう考えに立って経営してきた。
- 世間というのは往々にしてあやまつものだというように考えてしまうと、何を頼りに経営を行っていけばいいのか非常に不安であり、いたずらに心を労することになりかねない。けれども、世間が正しいものを正しいと認めてくれるとなると、われわれは“何が正しいか”を考えつつ経営努力を重ねていくならば、それは必ず世間の受け入れるとこととなる。だから、われわれは世間を信頼して、迷うことなく、なすべきことをなしていけばいいということになる。
- 自然の理法、社会の理法は限りない生成発展ということなのである。その社会を形成している大衆の求めるところも、基本的にはそこから外れることはない。
必ず成功すると考えること
- 私は、物事がうまくいった時は「これは運がよかったのだ」と考え、うまくいかなかった時は「その原因は自分にある」と考えるようにしてきた。外部要因のせいにするのではなく、常に“失敗の原因はわれにあり”という考えに徹すると、そうした原因を事前になくしていこうという配慮ができるようになる。…いかなる時でも、うまくいく、いわば百戦して百勝というように考えなければならないと思う。
自主経営を心がけること
- 経営のやり方は無限にあるが、その一つの心構えとして自力経営、自主経営ということがきわめて大切である。…そういう考え、姿勢を基本に持ちつつ、その上で必要な他力を大いに活用するならば、それは非常に生きてくるであろう。またそのような自力を中心でやっている姿には、それだけ外部の信用も生まれ、求めずして他力が集まってくるということもある。これはいわば理外の理ともいうべきものかもしれないが、そういうものが世間の一つの姿なのである。
ダム経営を実行すること
- 企業経営というのはいついかなる時でも堅実に発展していくのが原則であり、そのような企業にしていくために、大切な考え方として“ダム経営”というものがある。ダムというのは、河川の水をせきとめ、蓄えることによって、季節や天候に左右されることなく、常に必要な一定量の水を使えるようにするものである。
- 大切なことは、経営のダムもさることながら、それ以前の“心のダム”というか、「そのようなダムを経営のうちに持つことが必要なのだ」と考える“ダム意識”ともいうべきものである。
- 人間は神のように全知全能というわけではないから、その力にはおのずとある一定の限度がある。…自分の力、さらには会社の力を越えた大きな仕事をしようとしても、多くの場合失敗に終わってしまう。それでは企業本来の使命も果たせず、社会のマイナスになる。だからその時々における自分の力の範囲で経営を行い、社会に貢献していく“適正経営”という考え方がきわめて大切である。
- 結局、それは、その経営者の経営力の問題である。…1万人の人を使えるという人はきわめて少ないだろう。それに対して、千人の人を使えるというほどの人はある程度求めやすい。…事業部制というのは、そういうところから生まれた制度である。
専業の徹すること
- 多角化、総合化という行き方と、専業化という行き方があるが、私は、基本的には、会社の持てる力をすべて1つに集中して、そのかわり、その分野についてはどこにも負けないといった姿をめざしていくことがより好ましいと思う。…多角化を進める場合でも、その個々の仕事については専業的に独立性の高い姿でやっていくことが大切である。
人をつくること
- 私はまだ会社が小さき頃、従業員の人に「お得意先に行って『君のところは何をつくっているか』と尋ねられたら『松下電器は人をつくっています。電気製品もつくっていますが、その前にまず人をつくっているのです』と答えなさい」とよく言った。
- では、どのようにすれば人が育つか。
- 一番大切なことは、正しい経営理念、使命観というものを、その企業としてしっかり持つことである。そうした会社としての基本の考え、方針がはっきりしていれば、経営者なり管理監督者としても、それに基づいた力強い指導もできるし、また是非の判断ができるから、人も育ちやすい。
- 企業は社会に貢献していくことを使命とする公器であり、そこにおける仕事もまた公事である。私のものではない。だから、公の立場から見て、見過ごせない、許せないことに対しては叱らなければならない。決して私の感情によってするのではなく、使命観に立っての注意であり、叱責である。
- 思い切って仕事をまかせ、自分の責任と権限において自主性を持った仕事ができるようにしていくこと。…もちろん、基本の方針はピシッと押さえておかなければならない。ここでも経営理念がきわめて大切なものになってくる。
- 手腕や技能ももちろん大切だが、職業人としても社会人としても立派な人間を育てることを強く心しなくてはならない。
衆知を集めること
- 衆知を集めた全員経営、これは私が経営者として終始一貫心がけ、実行してきたことである。全員の知恵が経営の上により多く生かされれば生かされるほど、その会社は発展する。
- 大切なのは形ではなく、経営者の心構えである。…自分の主体性を持ちつつ、他の人の言葉に素直に耳を傾けていく、経営者としての主座をしっかり保ちつつ衆知を集めていくところに、ほんとうに周知が生きてくる。
- 労働組合にいかに接していくかについて私自身が考えてきたのは“対立と調和”ということである。労使は一面において対立しつつも、大きくは強調していくことが大切である。…会社と労働組合とは、めざすところは究極的に一致する。…労使の力関係は、双方の力がほぼ同じ程度であることが望ましい。いわば車の両輪にようなものであり、一方が大きく他方が小さいと円滑に前に進んでいきにくい。
- 対立と調和ということはいわば自然の理法であり、社会のあるべき姿である。対立しながらも、互いに調和し合って、この大自然なり人間社会の秩序というものを形づくっているわけである。
経営は創造であること
- 経営は“生きた総合芸術”であるともいえる。…芸術作品といってもいいような、見る人をして感嘆せしむる素晴らしい内容の経営もあれば、駄作といってもいいような成果のあがらない経営もある。さまざまな活動を総合した経営自体に、その企業の精神というか経営理念が生き生きと躍動している、そのような経営であって、はじめて芸術だといえる。
時代の変化に適応すること
- 経営というのは、結局人間が人間の幸せをめざして行なうものなのだから、人間の本質がいつの時代においても変わらないものである以上、正しい経営理念も基本的に不変であると考えられる。しかし、その経営理念を現実の経営の上にあらわすその時々の方針なり、方策というのは、時代時代によって変わっていくのでなければならない。“日に新た”でなければならない。
- 企業経営を真に適正に進めていく上では、政治に対して強い関心を持ち、必要な要望を寄せていくことが大切だ。…経済人としての観点から、何が国家国民のために好ましいかを考え、それを要望するということである。そういう要望が適切に寄せられ、それが政治の上に実現されていくことによって、好ましい政治が生まれ、企業内部での努力も生かされる。社会的責任もよりよく遂行されていくことになる。
素直な心になること
- 経営者が経営を進めていく上での心構えでいちばん根本になるものとして、私自身が考え、努めているのは“素直な心”ということである。言い換えれば、とらわれない心、物事をありのままに見ようとする心である。
- 経営というのは、天地自然の理にしたがい、世間大衆の声を聞き、社内の衆知を集め、なすべきことを行っていけば、必ず成功するものである。…そういうことができるためには、経営者に素直な心がなくてはならない。…素直な心は、その人を正しく、強く、聡明にするのである。
- どうすれば、素直な心を養い高めていくことができるのか。私自身は、素直な心になりたいということを強く心に願って毎日をそういう気持ちで過ごせば、約30年で素直な心の初段にはなれるのではないかと考え、日々それを心がけ、自分の言動を反省している。