[この本に学ぶ]
『イノベーターの条件~
社会の絆をいかに創造するか』
P.F.
ドラッカー著
ダイヤモンド社(2000年)
- はじめて読むドラッカー【自己実現編】
『プロフェッショナルの条件~いかに成果をあげ、成長するか』 - はじめて読むドラッカー【マネジメント編】
『チェンジ・リーダーの条件~みずから変化をつくりだせ!』 - はじめて読むドラッカー【社会編】
『イノベータの条件~社会の絆をいかに創造するか』
3冊は1.2.3.の順に出版され、発行部数や人気の度合いも同様の順のようですが、私としては逆に3.2.1.の順で読むことをお薦めしたい。なぜならば、『ドラッカー入門(新版)』の紹介でも触れたように、ドラッカー自身はこれらの問題を考えるに際し、まずは「社会」のあり方を歴史的変遷のなかで捉え、その上で「人間」のあり方を探っていった。マクロからミクロへと考えを深めていった。したがって、これらの著作をより良く理解するためにも、まずは「森」を見る。その次に「林」を見る。そして最後に「木」を観察する、という順で読み進むのが望ましいと考えるからです。
というわけで、まずご紹介するのは3.『イノベータの条件~社会の絆をいかに創造するか』。「社会」の領域に関わるドラッカーの著作10点からの抜粋を再構成したものです。
論点の詳細は下記「NOTE」に譲るとして、全体を大きな流れとして捉えると、ドラッカーは1970年頃を境に、それまで続いた「継続の時代」が「断絶の時代」へと大きく転換した。あらゆることが、それまでとは根本的に異なる時代へと突入したと捉えており、そうした新しい社会を「組織社会」「知識社会」という言葉で呼んでいます。
ドラッカーの著作として最も有名な『マネジメント』は、この「組織社会」「知識社会」の時代をより良く生きるための実践的手段として著されたもの。逆にいえば、『マネジメント』をよく理解するためには、まずは本書を手にして、現代社会はどのような特徴を備えた社会であり、なぜ「マネジメント」という手法が求められるのかを知る必要がある、ということです。
本サイトの中心テーマである「経営理念」の視点から言えば、組織社会といわれる今日、ほとんどすべての人たちが生を営む手段として参画する「組織」。そうした組織のあり様を根本の部分で規定することを通じて、組織メンバーそれぞれの位置づけと役割を明確にしていく――それが経営理念だということができます。

1. 激動の転換期にある社会
1.1. 社会の存在を当然としてはならない
- 社会は、一人ひとりの人間に「位置づけ」と「役割」を与え、そこにある権力が「正統性」をもつとき、はじめて機能する。
- 一人ひとりの人間が社会的な位置づけと役割を与えられなければ、社会は成立しえず、大量の分子が目的も目標もなく飛び回るだけとなる。他方、権力に正統性がなければ、絆としての社会はありえない。
- 今日の誤りは、秩序なき大衆への賛美である。無秩序の大衆は社会の解体にすぎず、腐敗物にすぎない。… 危険は、価値や制度が存在しないために、社会への参画が不可能になることにある。無関心となり、しらけ、絶望に至ることにある。
1.2. 経済至上主義は人を幸せにするか
- 自由と平等は、ヨーロッパの2つの基本概念である。すでに2000年にわたって、ヨーロッパのあらゆる秩序と信条が、キリスト教の秩序から発し、自由と平等を目的とし、その実現を正統性の根拠としてきた。ヨーロッパの歴史は、この2つの概念を現実の社会に実現しようと企てる歴史だった。
- 自由と平等の実現は、初め宗教的な領域で求められた。…当時は、人間を「宗教人」として理解し、社会における人間の位置づけを、精神的な秩序において理解していた。…この宗教人の秩序が崩壊したとき、自由と平等は、知的な領域において実現すべきものとなった。…人間とは、自らに与えられた自由かつ平等な知性によって聖書を理解し、自らの運命を決定すべき存在であるとするルター派の教義は、「宗教人」の秩序から「知性人」の秩序への変容をもたらした。この知性人の秩序が崩れた後、自由と平等の実現が求められた次の領域が、社会的な領域だった。人間は初め「政治人」とされ、次いで「経済人」とされた。
- 経済人とは、常に経済的な利益に従って行動するだけでなく、常にそのための方法を知っているという概念上のモデルである。
- 資本主義は、経済的な進歩が個人の自由と平等を促進するという信念にもとづいていた。…経済的な自由は、一人ひとりの人間に経済的な不安定をもたらし、経済的な利益をもたらさなかった。
- 経済的な自由が、…自由と平等をもたらすわけではないことが明らかになったため、資本主義と社会主義の双方の基盤となっていた人間の本性についての概念、すなわち「経済人」の概念が崩れた。
- 一人ひとりの人間は、その意味を受け入れることも、自らの存在に結びつけることもできない巨大な機構のなかで孤立している。社会は共通の目的によって結びついたコミュニティではなくなり、目的のない孤立した分子からなる混沌とした群衆となった。
- 自らの利益を最大にすべく行動するという経済的な自由の本質が、社会的な価値を失った。…自由が平等をもたらさないならば、自由を捨てる。…ファシズムは、資本主義と社会主義のいずれをも無効と断定し、それら二つの主義を超えて、経済的要因に依らない社会の実現を追求する。ヒトラーやムッソリーニも、…生産のための機構を維持しつつ、非経済的な秩序と満足を中心に据える脱経済社会を創造しなければならなくなった。
- あらゆる経済活動と社会活動を軍事体制下に置く軍国主義なるものが、産業社会の形態を維持しつつ、社会に対し非経済的な基盤を与える上で重要な役割を果たす。
1.3. 20世紀の変化の本質はなにか
- 知識社会とは、ほとんどあらゆる社会的機能が、組織のなかであるいは組織によって遂行される組織社会である。
- マネジメントたるものは、組織のなかのそれぞれ異なる知識をもつ人間同士が共同で成果をあげられるようにしなければならない。人間の強みを生産的なものにし、弱みを意味のないものにしなければならない。
- 「知識社会における社会的な課題に誰が取り組むか」との問題に対する答えは、政府でもなければ、雇用主としての組織でもない。それは社会セクターとしてのNPOである。
- NPOはもうひとつ重要な役割を果たすようになっている。市民性の創造である。
- 今日、われわれは多元社会における組織の社会的責任を問うようになっている。すなわち、それらの組織は、自らの目的を果たすほかに、公益の増進のためになにをしなければならないかである。
1.4. 多元社会における組織の原理
- 組織は「機能」「責任」「正統性」の3つの次元から捉えることができる。
- 機能:組織の機能には3つの側面がある。①それぞれの組織の目的を明らかにし、②その目的を果たすためにマネジメントし、③そこに働く人たちを活かすことである。
- 責任:責任には必ず権限が伴う。逆にいえば、権限のあるところに責任がある。権限のないことについて責任をもつのは越権である。
- 正統性:組織は、組織の外の人たちを満足させ、組織の外の目的のために働き、組織の外で成果を上げる。…成果こそが組織にとって唯一の存在理由である。…多元社会の組織にあっては、それぞれの目的に集中することが正統性の鍵となる。…「彼らの実りによって彼らを知る」ことが、これからの多元社会の基本原理となる。
1.5. 起業家社会の到来は何を意味するか
- 経済と同様に社会においても、あるいは事業と同様に社会的サービスにおいても、イノベーションと起業家精神が必要となる。イノベーションと起業家精神が、社会、経済、産業、社会的サービス、企業に、柔軟性と自己革新をもたらすのは、まさにそれが一挙にではなく段階的に行われるからである。青写真ではなく、機会やニーズに焦点を合わすからである。暫定的であって、期待した成果、必要な成果をもたらさなければ消え去るからである。
- われわれが必要としているものは、イノベーションと起業家精神が、あたり前のものとして存在し継続していく起業家社会である。
1.6. NPOはなぜ成功したか
- これからは社会的なニーズが2つの分野で高まる。①伝統的に慈善としてとらえられてきた「救済サービス」の分野、②コミュニティと人間に働きかける「社会サービス」の分野である。社会サービスは救済サービスと違い、コミュニティを変革し、人間を変革する。こうして社会セクター特に社会サービスのための社会セクターが、先進国における成長セクターの1つとなる。
- NPOは、意義ある市民性の回復の核でもある。…社会セクターにおける市民性や、社会セクターを通じての市民性は、ポスト資本主義時代における社会や政治の抱える病を治す万能薬ではない。それは、病に立ち向かうための前提条件である。
- 今後あらゆる先進国が、独立したコミュニティからなる社会セクターを必要とする。それは、社会サービスとコミュニティという靱帯を提供し、能動的な市民性を回復する。かつてのコミュニティは宿命によるものだったが、これらのコミュニティは意思によるものとなる。
2. 断絶後の経済
2.1. 「継続の時代」は終わった
- この半世紀(1913~1968年)は「継続の時代」だった。それはヴィクトリア朝(1837~1901年)の遺産を実らせた時代だった。
- しかし今や経済も技術も「断絶の時代」に入った。あらゆることが断絶の時代に入った。
2.2. 世界経済の変貌がもつ意味
- この10年または15年間(1971~1985年頃)に、世界経済の構造そのものに3つの大きな変化が起こった。①一次産品経済が工業経済から分離した、②工業経済において生産が雇用から分離した、③財とサービスの貿易よりも資本移動が世界を動かす原動力となった。
3. 模索する政治
3.1. 理性崇拝は何をもたらすか
- 理性主義のリベラルは、理論については過激、行動は遅疑逡巡、反対するときは強硬、権力を握れば無力、机上においては正しく、政治においては無能である。
- 理性主義のリベラルがその政治的不毛から脱する道は唯一つ、理性主義を捨て、公然と絶対主義者、全体主義者、革命家になることである。その運命的な一歩を踏み出したのがルソーだった。ファシズム全体主義は、非合理の絶対性ゆえに、理性主義に幻滅していた大衆を惹きつけた。
3.2. 改革の原理としての正統保守主義
- アメリカの独立は、啓蒙思想やフランス革命とは反対の理念に基づいていた。それは、フランス革命の政治的よりどころである理性主義的専制への対抗運動として成功した。…理性主義のリベラルという新手の暴君と、啓蒙思想の専制に対する自由のための保守反革命だった。
- アメリカとイギリスは自由な商業社会を見事に発展させた。その保守主義の方法論は3つの柱からなっていた。
- 第1の柱――未来志向: 過去の問題ではなく未来の問題を解こうとした。
- 第2の柱――問題解決志向: 彼らが固執したのは基本的な理念についてだけだった。彼らが求めたのは、目前の問題の解決策であり、それらの間の詳細には矛盾があっても平気だった。
- 第3の柱――実証主義志向: 社会とは日々の営みの結果としてもたらされるものである。したがって人は、理想の社会ではなく現実の社会と政治を、自らの社会的行動、政治的行動の基盤としなければならない。
3.3. 社会の問題に唯一の正解はない
- 中世のヨーロッパを支配したのは「信仰による救済」だった。それは16世紀の宗教改革によって復活したものの、17世紀の半ばに力を失った。
- 18世紀中ごろに「社会による救済」、すなわち現世の政府によって具現された社会秩序による救済が現れた。ルソー、ベンサム、コント、ヘーゲル、マルクス、レーニン、ヒトラー、毛沢東など。だが永遠に過ぎ去った。
- レッセ・フェールもまた、個人の利益追求を阻む障害を除去するという方法論に基づく「社会による救済」だった。
3.4. 「利害による連合」の終わり
- 1890年以降は、「社会による救済」に「利害による連合」が加わった。「繫栄」という名の共通の利害すなわち経済成長の名のもとに経済的利害集団つまり経済的階層を統合する政治。だがこれも陳腐化した。
3.5. 国民国家から大国家(メガステイト)へ
- フランスの政治家ジャン・ボダンが、スペインの軍事的脅威に対抗すべく『国家論』を執筆(1576年)、国民国家を発明した。
- 19世紀末以降の国民国家は、従来とは全く異なる「大国家(メガステイト)」となった。ビスマルクによる福祉国家の発明が最初(1880年代)。政府を政治的な機関から社会的な機関へと変えた。国家は支給者から実行者へと変質した。同じく19世紀末、政府は経済的な機関ともなった。そして20世紀の2つの世界大戦が、国民国家を財政国家に変えた。その結果、国民経済が貨幣化された。政府は、財布の力によって、政治家の想い描くままに社会を形成することができるようになる。
- 福祉国家、経済国家、財政国家から冷戦国家へ。冷戦国家のもと、国防とは、戦闘行為を民間社会や民間経済から隔離するためのものではなく、恒久的な戦時社会と戦時経済を構築することを意味する。
- 民主主義国家は、公選された国民の代表が、その第一の仕事として、貪欲な政府から選挙民を守ってくれるとの確認を前提に機能する。
3.6. 高齢者が政治を動かす
4. 問われる知識と教育
4.1. 知識の政治学
- 知識の地位と力に関わる変化は、われわれが直面する「断絶」のうち最大のもの。従来の「技能」に替わり、われわれは仕事に「知識」を使い始めた。知識に関わるものに新たな「責任」を課している。
4.2. 学校が劇的に変わる
4.3. 分析から知覚へ――21世紀の社会と世界観