ダイアローグ160602

日本経済の強みは「道徳力」にあり


[この本に学ぶ]
『なぜ名経営者は石田梅岩に学ぶのか?』
森田健司著
ディスカヴァー・トゥエンティワン(2015年)


前回取り上げた『江戸商人の思想』(≫ダイアローグ160531)は、江戸商人の思想の背景となったさまざまな思想家たちを幅広く紹介したものですが、それらのうち、今日にまで最も大きな影響を及ぼしてきた人物は? と問えば、石田梅岩と渋沢栄一の二人を挙げるのが、大方の見方になるのではないでしょうか。本書は、そのキーパーソンの一人である石田梅岩の思想のエッセンスが、それが持つ現代的な意味についての著者の視点とともに意欲的に語られている良書です。

石田梅岩(1685~1744年)の思想は、彼の死後、多くの弟子たちによって「石門心学」として全国に広められ、続々と作られた心学講舎は北海道から九州まで45カ国173舎にも及び、聴講生は、町人ばかりでなく武士、それも大名までもが実に51藩64名も参加したといいますから、まさに国をあげての“石門心学ブーム”が江戸の中期から後期まで続いた、と理解できます。

こうしたブームはなぜ起こったのか? それは「士農工商」の身分制度のもと、「いかなる生産にも携わっていない」賤しい存在とみなされていた商人たちに対し、石門心学が、商人として働くことの「意味」を伝え、商人たちの自信と誇りを創りだしていったから。その心意気は、梅岩の「商人の利は武士の禄に同じ」との主張に端的に表れています。

このようにして日本人の心の襞へと深く沁み渡り、「助け合い」「勤勉」「もったいない」などの精神として今日にまで大きな影響を及ぼす梅岩の思想。それは、道徳と経済の関連について執拗な考察を重ねたアダム・スミス(1723~1790年)、さらには現代経営学の始祖であるピーター・ドラッカー(1909~2005年)の思想と多くの共通点を持つばかりでなく、経済や経営を「人間の本性とは何か」という問いかけにまで遡って深く考察している点でも、この世界的な経済・経営学者に比肩する立派な「学」だと著者は述べます。

そのうえで、著者の問題意識は「消費」への欲望が限りなく掻き立てられる現代社会へと向けられます。それは、消費に心を乗っ取られると、確かな価値観を自身のうちに育てるのが困難となり、一生、市場に翻弄され、踊り続けるしかなくなる。自らを破綻し、家を滅ぼし、安定した共同体を破壊させることになる――ということに対する懸念であり、梅岩の思想は、こうした問題に対しても私たちに大きな示唆を与えてくれる、と著者は結びます。




  • 石門心学は、日常のあらゆる行為の意味を考えさせ、その一つひとつを確かなものとし、人々に尊厳を与えた。
    • 米国人・社会学者のロバート・ベラー(1927~2013)が著した『徳川時代の宗教』: 西洋近代化の原動力、すなわち「資本主義の精神」をキリスト教におけるカルヴィニズムととらえたマックス・ウェーバーに対して、ベラーはその日本版を「石門心学」と考えた。
    • 日常の行為の意味を知った人々は、倹約に励み、より勤勉となった。
  • 「倹約」「勤勉」「正直」という性質を備えた労働者は、国富を増大させると同時に自らも大きな利益を得ることが可能となる。
    • 石門心学は結果として、優秀な労働者を育て上げる思想となった。
    • 非西洋圏において、日本だけが近代化のための経済的土壌を作りあげることができた。
  • 石田梅岩(1685~1744)とアダム・スミス(1723~1790)の思想には多くの共通点がある。
    • アダム・スミス
      • 資本主義経済(市場原理を中枢に据えるシステム)は、参加者による「自己の利益」の追求が、「見えざる手」の働きにより、最終的に「社会全体の利益」の増大をもたらすという性質をもつ。
      • ただ、これが成立するためには、市場参加者が「道徳」という参加資格を身に付けている必要がある。「中立的な観察者」を、自らの精神に正しく保持できている人間である必要がある。
      • 「他人のことには深く心を動かし自分のことにはほとんど動かさないこと、利己心を抑え博愛心を発揮することこそが人間本性の完成に他ならない。このことだけが人々の間に感情と情念の調和をもたらし、礼節に適った適切なふるまいを成り立たせる」(『道徳感情論』)
    • 石田梅岩
      • 「学問において最も大切なことは、心を尽くして性を知り、性を知れば天をも知るということである」(『都鄙問答』)
      • 学問の役割は、現実的な心を「性に戻す」こと。人の心が性(本性)に戻ったとき、感情や行為は、真の意味で適切なものとなる。
    • 二人の思想はともに、人間本性を根拠として自己愛を抑制させ、傍若無人に「自己の利益」を追求する行為を否定するもの。「共同体」なくしては「個人」は生存すらできない。
  • 梅岩は正しい商業を「自然の摂理」と同じようにとらえた。「天下の財貨を流通させて、すべての人々を安心させることができれば、「四季が後退して、すべての生き物が自然に養われる」ということと同じく、理にかなっている」
    • 世の中の人びとに「共感」される商行為によって財を成せば、家は栄えて、子孫が絶えることもない。
    • 商人の利は武士の録に同じ
  • 梅岩は「倹約」を力説した。通常、倹約とは自分のために節約することと思われているが、梅岩は、倹約とは世界のための節約だと主張する。
    • 日本に住んでいる多くの人は、「消費」は道徳的な行為ではなく、「倹約」は道徳的行為であると無意識に認めている。
    • 「幸福」が「消費」と結びついた社会では、多くの人の目標は、たくさんの収入を獲得することになる。結果的に、人はお金の獲得になりふり構わなくなる。ルール至上主義が蔓延した社会は、道徳を喪失した社会であるどころか、自律的思考を放棄した人々の園になるであろう。
    • 消費のみを煽るのではなく、その前提として道徳を備えることが重要。
    • 「倹約を理解して実行するときには、家が整い、国が治まり、天下は泰平になる。これが王道ではないか。倹約といっているのは、つまり、身を修め、家を整えるためである」(『斉家論』
    • 「こうして正直に物事が行われることになれば、世間一同は和合し、世界中の人びとはみな兄弟のようになる。私が願っているのは、人々をそこに至らしめることである」
    • 「私欲ほど世に害を及ぼすものはないだろう。このことを理解せずに行う倹約はどれも吝嗇に至り、大きな害を及ぼす。
  • 梅岩は、仕事の「意味」を教えることにより、人々の仕事(ワーク)と人生(ライフ)を結びつけた。
    • 人間関係の改善や共同体の維持という、一個人の「悟り」などよりはるかに面倒な目標を見据える梅岩は、いかなる宗教にも特権性を与えることがなかった。あらゆる学問や宗教は「性(本性)を知る」ための道具と捉えていた。
    • 商人たちが最も欲していたものは、自分が従事する仕事の「意味」を理解するための知恵だった。
    • 「形によるの心」: 「形あるものは、形がそのまま心である」という考え方。性を知るためには、この「形の実践」が必要。「形の実践」とは、「自分の置かれた状況」で励むこと。
    • 「自分の置かれた状況」で、常に道徳的行為を実践できる人間は、短期的な「自己の利益」に構うことがないため、安定した働きぶりを発揮できる。
  • 江戸後期には、日本のあらゆる地域に住む、あらゆる階級の人々が、直接的、間接的に心学の影響を受けた。今日に至る日本経済の強い芯は、心学なくしては作られえなかった。
    • 日本人は天災時においても「日常を継続しよう」とする心性を強くもっている。困った時にも心を悩まさせない、それが学問の力であり、助け合いの社会だ。
    • 互助の社会を支えるのは「仁」の心。互助は、「できることをする」程度のもので構わない。忘れてならないのは、人々の苦しみや問題を自分のものとして受け止める心構え。
    • 「もったいない」も心学の影響が大きい。「倹約」は「互助の精神」とも繋がりが深い。互助のためには倹約が必要だから。
    • 「消費」に心を乗っ取られると、確かな価値観を自身の内に育てるのが困難となり、一生、市場に翻弄され、踊り続けるしかなくなる。自らを破綻し、家を滅ぼし、安定した共同体を破壊させることになる。
  • 梅岩の思想は、現代の偉大なる思想家であるピーター・ドラッカー(1909~2005)の思想に多くの点で共通する。梅岩はいわば「江戸時代のドラッカー」だといえる。
    • ドラッカー: 愛国心は「国のために死ぬ意思」、市民性は「国のために生きる意思」であり、成熟した時代にはこの両方が必要である。市民性はローマの崩壊とともに消えたが、国民国家が成立することによって再発見された。
    • 梅岩: 国家は、世の一人ひとりが徳を積み、人格的に向上することによって、平和という状態をもたらす「装置」。
    • 適切な役割と、適切な位置。企業はそれを従業員に提供し、従業員は「自分の置かれた状況」の下で最善を尽くし、自らの本性に近づいていく。