ダイアローグ160531

“日本的経営”の淵源を知る


[この本に学ぶ]
ドラッカーに先駆けた 江戸商人の思想』
平田雅彦著
日経BP社(2010年)


前回の『百年続く企業の条件』では、それら老舗企業の家訓・社是・社訓からは“カ・キ・ク・ケ・コ”(感謝・勤勉・工夫・倹約・貢献)のキーワードが浮かび上がってくる旨をご紹介しましたが(≫ダイアローグ160523)、これらの概念は、果たしてどのような背景のもとに日本の商家の経営理念に取り込まれてきたのか? そうした疑問に的確に答えてくれるのが本書です。

本書では、江戸時代の商家で重んじられた教訓を「お客様満足」「自立」「共生」「謙」「勤勉」「倹約」「誠実」「現場主義」「信用」「持続的成長」「公」の11の概念に分類。それぞれがどのような背景のもとに重用されるようになってきたかを、さまざまな文献を引用しながら分かりやすく解説してくれています(詳細は下掲のNOTEご参照)。

では総じて、このような極めて高い倫理観を基盤とした「商人道」が、なぜ江戸時代の日本に誕生したのか? この点に対する著者の答えは――。「士農工商」の身分制度を基本とする幕藩体制のもと、商人の台頭を喜ばない武士階級は、体制側にある学者たちを使って商人の仕事を蔑視し非難を続けた。そんななかで自分たちの仕事に意義を見いだそうとする商人たちは、懸命になって商売の存在価値(アイデンティティ)を求め、商売の社会的役割(ミッション)を探した。さらに利益をあげることを非難する武士階級に納得してもらうには、法を重んじ、誠実を通し、倫理観に裏付けられた行動が必要であった。そこでは毅然としたマネジメントが求められ、そんななかから商家の家訓が生まれ、日本の商人道が誕生した。

著者は、松下電器の元副社長を務め、松下幸之助氏の高弟でもあった平田雅彦氏。本書は、同氏が松下電器を退職後、産能大学の客員教授として担当した「企業倫理」講座での研究成果などがベースとなっていますが、豊富な実業経験の上に築かれた知見だけに、柔らかなもの言いの中にも確かな説得力が秘められており、“日本的経営”の淵源を知る格好の良書となっています。



  • お客様満足
    • 石田梅岩(1685-1744)「富の主は天下の人々なり」
      • 「商人にとって田圃にあたるものは天下の人々である。天下の人は私たち商人の俸録のご主人さまにあたる。武士は俸録のために主君に命をささげる。およそ天下の人の心は同じである・・・」(『石田先生語録』)
    • 石田梅岩は、ピーター・ドラッガーが説いた顧客満足の概念をそれより250年前に既に唱えていた。
    • 松下幸之助の企業哲学も同じ。「利益は企業が世の中に貢献した結果の報酬である」
  • 自立
    • 江戸時代の商人たちは、武家政治の体制下にあって、自分の商売の存立の基盤を確立するのに苦労を重ねた。それが彼らの生き方に自己規制の厳しさを与えた。その自己規制のなかから日本の「商人道」が生まれた。
    • 幸いにも、日本には神道と仏教が儒教とうまく結びついて、特有の倫理精神が生まれていた。物質の前に精神があったことが彼らの「自立」を支えた。
  • 共生
    • 「舟中規約」(1604年?): 朱印船貿易を進めた角倉素庵が、乗組員と間で交わした文書
      • 「およそ貿易の事業は、お互いの有無を通じ合って、相手に喜ばれ、自分も喜ぶことができるもので、そこにこそ意義がある。・・・利益という言葉の真の意味は、喜びの寄合のことで、皆が喜び合うことに意義がある。
    • 近江商人と「三方よし」の精神:「売り手よし、買い手よし、世間よし」。商売の相互を尊重するだけでなく、その地域の社会までも尊重の視野に入れている。
    • 『町人嚢』: 曾祖父以来長崎で海外貿易に携わった商人・西川如見(1648~1724年)が著した書。江戸時代たびたび版を重ね多くの人々に愛読された。徳川幕藩体制下にあって、新しい時代を担うべき経済人としての商人の役割と責任を示している。
      • 商人の守るべきは謙の一字なり。謙というのは、人に慇懃を尽くすことだけをいうのではない。天の決められた理をおそれ、つつしむのが謙の道である。
  • 勤勉
    • 武士階級には、家代々の禄高、身分による越えられぬ厳しい階級制度があった。が、商人階級は、どんな身分のものでも実力次第で番頭、支配人になれる仕組みになっていた。だから志を持った人は勤勉に働いた。
    • 丁稚にはいるとき、雇う側、雇われる側双方の想いは「一人前の人間に育てる」ということにあった。その教育責任のうえに勤勉の華が咲いた。
  • 倹約
    • 石田梅岩『斉家論』: 背景となっているのは儒教『大学』の「修身、斉家、治国、平天下」の思想。「倹約」は人間の欲望を抑え、奢りの心をつつしませる。それが「修身」に役立ち、家を整えることに繋がる。
      • 「そもそも私欲ほど世間を害するものはない。このことを知らずに行う倹約は吝嗇といわれ、ただの物惜しみのための倹約であって、世間に害を与えることが多い。しかし私が申し上げているのは正直から出た倹約なので、人を助ける倹約である」
      • 正直とは、毛すじほども私ごとのないようにし、自然ありのままにすること。このような正直が行われれば、世間の人たち全体が仲良くなり、世界中がみんな兄弟のようになるだろう。私の願うところは、世の人びとがこのような社会を創り上げることである。
  • 誠実
    • 江戸時代、日本の中心である日本橋の三大呉服店(越後屋、大丸、白木屋)として成功し、以降250年以上繁栄し続けた企業の経営思想に共通していたのが「誠実」だった。
  • 現場主義
    • 現場現物を大切にする経営姿勢は、江戸時代の越後屋や住友などから始まり、トヨタをはじめとする日本の製造業に伝わり、今日ユニクロにおいても経営の中枢に据えられている。
      • 「まず担当者の意見を聞け。それぞれの役向きの用件については、まずその担当者に判断させ、それが妥当であれば、その意見によって処理せよ。妥当でない場合には、その趣旨をよく話して相手に納得させよ」
    • 現地現物主義は「お客様満足」に端を発している。「全員が経営者である」という思想と結びついている。
  • 信用
    • 江戸時代の家訓には「“不実商い”など致すまじく候」という言葉がよく出てくる。「不実商いは致しません」というお客様への誓いが、商家のプライド・看板になっていた。
    • 商売の基本は「信用」であり、それはお客様が満足する「商品」を提供し続ける、その営々とした努力の積み重ねから形成されるもの。そのために、メーカーであればまずモノづくりに神経を使い、商人であれば仕入れに注力する。
    • 住友グループは、画期的な銅の精錬法を開発した蘇我理右衛門(業祖)と、仏典を深く研究した博学の宗教家である住友政友(家祖)の両者が結び付くことによって生まれた。
  • 持続的成長
    • 江戸時代、商家で「家訓」が盛んに創られたのは享保の改革(1716~45)の頃。開幕以来繁栄を続けてきた経済は、元禄時代に頂点に達し、享保の改革によって一転、深刻な不況に。その際、せっかく築き上げてきた自分の身代や暖簾をいかにして維持するかに懸命になった創業者が、遺言を残し、その言葉をもとに二代目、三代目が形を整えたものが多い。
    • 日本の商家の長寿の秘密:
      • 事業を「先祖からの預かりもの」と考え、その継続を最大の願望としていた
      • 伊勢神宮の御神託など「お天道様が見ている」との意識が商家にあまねく行き渡っていた。「謀計は眼前の利益たりといえども、必ず神明の罰にあたる。正直は一旦の依怙にあらずといえども、終には日月の憐みをこふむるなり」
    • 「公儀をおそれ慎むことは、下にいる人にとって第一に肝要なことである。公の字はおふやけと読んで、天理であって、私がないことである。天子は万民の上におられて、天道のご名代であり、天道をおそれ慎み、万民を教え誡め給う役割をもっておられる。・・・将軍は天子のご名代になって、天下の政道を司りたまうが故に、公儀というのである。天子も将軍も天道に従って、法律をつくり、市民は天子、将軍に従って、法律を守ることにより、天下の太平は保たれるのである。
    • 今日、民主主義の世の中になって、自分たちの要望にこたえるために「公」があるという考え方が一般化してきた。その考え方のなかには、天道とか天理という思想はない。