――当社では社員の「個」を大切にした経営を目指している。こうした社員の「多様性」と、企業理念が内包する「統一性」とは、どのような関係のもとに併存しうるのか?
大乗仏教の学派のひとつである瑜伽行唯識学派(ゆがぎょうゆいしきがくは)が唱える「唯識」思想。その根本的な世界観に“一人一宇宙”という概念があります。横山紘一著『やさしい唯識』(NHK出版)から引用すると――。
世界には具体的世界と抽象的世界とがあります。前者は一人ひとりが自らつくり出した世界であり、後者は言葉で語られ、しかも人間同士が「ある」と認め合った、いわば抽象的世界です。そして私たちは、この具体的世界から抜け出ることはできません。それなのに、私たちは一つの共通な世界の中に住んでいると思っています。しかし決してそうではありません。一人一宇宙の中に閉じ込められているのです。そしてこの閉じ込められた世界、すなわち自分の心の中に、自分が認識しているあらゆる存在があります。
人はそれぞれ異なる宇宙(具体的世界)に生きている。だから、それぞれの人がそれぞれの考え方を持つのは当然のことであり、それを前提に世界を認識する必要がある、というのが唯識の教えです。
が、とはいうものの、皆がそれぞれ好き勝手な世界観の下に仕事をしていたら会社という組織は成り立たない。右向きのベクトルと左向きのベクトルとがぶつかりあって互いの力を打ち消し合い、組織の力を減殺させるからです。
こうした事態を回避しながら、皆を束ねる役目を果たすのが「経営理念」となるわけですが、それは「ベクトル合わせ」を強要するものであってはならない。“一人一宇宙”という原理に反するやり方は、決して上手く機能しないからです。
ならば、一人一宇宙という「多様性」と企業理念という「統一性」とを並立させるにはどうすればよいか? その答えを、私は一本の「樹」に喩えてイメージしています。
樹は、一本の幹から枝がさまざまな方向に分かれ出て、その先にたくさんの葉っぱを付けて生きている。幹を会社、枝を各組織、葉っぱを社員とだとすると、いろんな枝(組織)やいろんな葉っぱ(社員)は、それぞれの固有性を保ちながらさまざまな方向へと伸びる一方、地表近くでは一本の幹として大地にしっかり根づいている。そして一つの生命体を形づくっている――こうした三者の関係性のもと、「私たちはどんな幹でありたいのか」を定義したものが企業理念だと思います。
そしてさらには、「木」は集まって「森」を成す。「会社」は集まって「社会」を成すわけですが、この点についはまた回を改めて。