ダイアローグ160307

「経営理念」でむすぶ、はぐくむ。


――馬渕文筆事務所のキーメッセージとして使われている≪「経営理念」でむすぶ、はぐくむ。≫には、どんな想いが込められているのか?


世界史における「近代化」という大きな流れの中にあって、私たち現代人が背負い続けている大きな課題に「バラバラになった個人」の問題があると思います。そしてこの問題は、個々人がもつ能力ではもはや対処が困難なほど、深刻なレベルに達している。その背景にあって猛烈なスピードで進行しているのが「交換経済」の不釣り合いな発達であり、またそれにともなう家族や地域社会といった非マネー経済共同体の崩壊だといえるでしょう。

世界はどんどん「バラバラな個人の集合体」と化している。そして、そうした状況に耐えられなくなった人々が、さまざまな病理的社会現象を生み出している――それが今日、私たちが目にしている世界の姿ではないでしょうか。いうまでもなく、人間は「バラバラな個人」としては決して生きることのできない、社会的な動物なのです。

ならば、「近代化」という歴史の流れを逆戻りさせれば問題は解決するかというと、そんな単純な問題ではもちろんない。私たちは「近代化」を受け入れつつ、なおそれが内包する様々な課題を同時に克服していくことを求められているのです。

「バラバラな個人」を救う手立てとして従来大きな役割を果たしてきたのは、国家と個人との間に存在する中間団体である、家族や地域社会、檀家、講といった共同体でした。ところがこれらは戦後、急速に崩壊し、もはや回復は望めない状況に至っている。また政治や行政が担える役割にも自ずと限界がある。

しからば、私たちの子孫世代は、どのような社会システムに望みを託せばよいのか? この問いに対する私の答えが企業。「共同体」としての企業です。


――企業は「交換経済」のまさに只中にある組織体ではないか。そのような組織に、「共同体」としての機能を期待することができるか?


企業活動は「交換」の上に成り立っている。そしてその「交換」を基盤とする企業の活動は、「互恵」を基盤とする共同体の活動とはまったく馴染まない、と思われる。でも、よく考えてみると、その理解は正しくないことが判ります。

確かに、企業と企業との間で行われる取引は「交換」行為に違いない。市場における熾烈な競争のもとに行われる、完全な「交換」行為だといえます。しかし、そうした「交換」が行われるのは、あくまでも企業と企業との間で行われる対外的な取引行為におけるもの。対外的な交換価値を生み出すために企業内で行われる活動は、実は、その大部分が「互恵」関係によって遂行されている。組織と組織、社員と社員との間の協力関係によって営まれているのです(「独立採算制」など企業内における活動にも「交換」原理が導入される場合もありますが)。

つまり企業は、「互恵」関係の上に成り立っている組織体だと捉えて間違いない。いやむしろ対外的には「交換」という厳しい競争関係に晒されている分、内部における「互恵」関係はより強固なものとなりうる環境にある、と考えることができるのです。

※「互恵」「交換」については≫160310

こうした視点に立ったとき、そこには、国家と個人と間にあって個人の暮らしを支える「共同体」としての企業の姿が見えてくるのではないでしょうか。≪「経営理念」でむすぶ、はぐくむ。≫の言葉には、そうした企業の輝ける未来を「経営理念」を通じて実現したい、との想いが込められています。