ダイアローグ160306

自由は不自由の際に生ず


――経営理念は「会社」の壁であり、社員にとってもそれぞれ「自分」の壁が必要とのことだが、それは間違いではないか。そうした壁はむしろ取っ払い、我々はもっと自由な発想に立つべきではないか。そうした自由こそが、企業の成長に求められるのではないか。


「自由」というのは確かに大切な概念であり、企業経営においても、その拡大はさまざまな局面で求められることだと思います。が、「壁」を取っ払うことは、果たして自由の拡大に繋がるのでしょうか? 違うと思います。人間、壁を取っ払われると、何をしてよいやら分からなくなってしまう。とても不自由な想いをするのです。

私は仕事柄、これまで多くのインタビューを行ってきましたが、「何でもいいですから、いちばん話したいことをしゃべってください」と投げかけたところで、いい話を引き出すことは決してできない。「何でもいいから」というのはとても不自由な空間だからです。

福沢諭吉は『文明論之概略』の中で、「あるいは自由は不自由の際に生ずというも可なり」と述べていますが、まさに至言だと思います。そう、自由は不自由の際にこそ生ずるものなのです。あなたの会社が社会に対して果たしている「役割」を、壁に囲まれた四角い部屋のような空間に喩えてイメージすると、部屋の中は「自由」で満たされている。社会に対して果たすべき役割をちゃんと果たしているかぎり自由がある。だが壁の外はすべて不自由で、果たすべき役割をちゃんと果たしていないと、部屋は、外からの不自由の圧力でたちまち押し潰されてしまいます。

一方、逆に、役割をちゃんと果たしている、つまり内側から外側に向けて役割を広げよう、高めようと皆で壁を押していると、その「際」(=壁のすぐ外側)に自由が生じ、部屋(=自由な空間)が広がっていく――そんなイメージです。

もうひとつ、別の例を挙げて説明します。家庭の主婦は、何十年料理を作り続けてもいっこうに上手にならない人も多い。一方、料理人、とりわけカウンター越しに毎日、舌の肥えたお客さんと接する板さんの腕はメキメキと向上する。両者の違いはどこにあるのでしょうか? もうお分かりですよね。板さんの前には、舌の肥えたお客さんという壁がある。その不自由が板さんの腕を磨くのです。